第273話・織田家の年貢と戦シーズンの三河

side:久遠一馬


 冬になり領内で米の脱穀が終わると、税としての年貢が清洲城や那古野城に運び込まれている。


 ただこれがまた大変だった。


 特に清洲の旧大和守領は春に麦の年貢が納められたが、米の年貢は初めてなんだ。


「本当に蔵が足りなくなるとは……。この歳まで生きておりますが初めてですな」


 直轄領から次々に運び込まれる米俵は米蔵に納められていくが、エルの進言で清洲城に元からあった米蔵では足りなくなる可能性があるとのことで、清洲城の改築では米蔵を優先して建てていたんだ。


 結果として政秀さんも驚くほどの年貢が清洲城に運び込まれてる。旧大和守領の検地と代官の変更に豊作も重なった結果だ。


「不正がまかり通ってましたからね」


 領民の実入りはどちらかといえば増えただろう。織田に入った分の実入りは、中間搾取をしていた代官やら商人やらの分らしい。


 ずる賢い領民は村単位で代官や寺社と癒着してたとこもあるらしいから、必ずしもそれだけとは限らないけど。


 旧大和守家の織田信友さんも実質的に傀儡で、坂井大膳とか重臣が好き勝手にやってたからね。どうも信友さんへの報告よりも清洲城に入っていた年貢は少なかったようだ。


 米や銭を信友さん自身が勘定したわけでもないし、たまに『足りない』と誰かが信友さんに囁いても、『売った』とか『借金の返済に充てた』と言われて誤魔化されてたみたい。


 この時代は全体的にどんぶり勘定だ。肝心の年貢を計るますにしてもバラバラなんだから、弾正忠家でさえもまだまだだけどね。


 とはいえ旧大和守家の年貢は、春の麦を含めてだいぶマシになったのは確かだろう。


「エル、米の備蓄は必要だよね?」


「そうですね。籠城や飢饉対策にも必要です。なにより豊作ですから米が安いんです。下手に売ると領民の暮らしに打撃を与えかねませんので」


 お金はなるべく溜め込まないで使いたいけど、やっぱり米の備蓄は必要か。


 元々清洲城も籠城を考えた城じゃないからね。今の改築ではある程度は籠城も考慮して蔵とか増やしているけど。


 蔵に米が入りきらないなんて、ギャグみたいなことになるとこだったよ。


 清洲城の米蔵は備蓄用や相場操作用に利用することになるみたい。織田家は米を売らなくてもお金があるからね。


 肝心の貨幣の流通は相変わらず銭不足状態だけど織田領に関してはマシだろう。銅銭はウチと工業村で鋳造して、市場供給は物資購入や賦役の資本金に当てる事で民や商取引を通して行い、経済成長に合わせて流通量を常に増やしているから。


 武芸大会も貨幣の流通量を増やすという意味では本来の意味以上に役にたった。


 それと少し前から流通させた織田手形の評判も悪くない。あれは実質的に織田とウチが内容を保証している兌換(だかん)紙幣だから信頼度があるんだろうね。パッと見で偽造が難しいデザインであることも関係していると思うけど。


 ただし、織田領以外では貨幣の価値が地域によりバラバラで、関東と畿内では信用される銅銭の種類まで違う有り様だ。


 畿内では宋銭が好まれ、関東では明銭が好まれる傾向にある。


 経済の勢力圏が広がってるから、そっちの経済情勢にも影響されるんだよね。


 一番の問題はこの時代の人が、経済オンチというか経済という概念そのものへの理解が乏しいことか。


 まあ、そのおかげでウチは優位にやれてるんだけど。


 オレが堺の商人を嫌うのは、畿内の悪銭で買い物をして織田領で流通してる良銭を持ち帰ろうとするところだろう。


 そうすれば連中には額面以上の儲けがある。そういう悪知恵は働くらしい。


 悪銭もある程度は流通させてるけど、あまりに集まるから結局ウチで回収して再鋳造する羽目になっているくらいだ。


 史実で、石高制になった訳がよくわかるね。




side:松平広忠


「いかなることだ? 織田は三河に攻めてくるのではないのか?」


「今のところその兆候はありませぬ。安祥の信広は今年も戦で荒廃した田畑の復旧をしております。また清洲、那古野、蟹江でも大掛おおがかりな賦役が行われており、とても戦をするとは思えませぬ」


 織田が美濃と和睦した話はすぐに三河に伝わってきた。いよいよ信秀による三河侵攻が再開されると誰もが思ったはずだ。


 今川もさすがに無視できないのか、各地の国人衆に対して離反を阻止するべく動き出した。


 わしも伊賀者である半蔵に調べさせたが、まさか織田に戦の兆候がないとは……。


偽計ぎけい、欺瞞のたぐいではないのか?」


「それも否定できませぬ。今の織田は支度をせずとも戦ができるとも言えまする。それと織田弾正忠家と久遠家は警戒が厳重で調べられませぬ。武具や兵糧も久遠家が用意すれば兆候すら掴めぬおそれもありまする」


「そちでも無理だとは……」


「申し訳ありませぬ。されど久遠家の抱える甲賀者の数と忠誠は凄まじく、某では太刀打ちできませぬ。また伊賀のほうでも織田とは既に内約ないやくを交わしたとおぼしき関係にあり、主に畿内や西国の情勢を調べる手助けをしております。当然、三河の内情も筒抜けだと考えるべきでしょう」


 半蔵を責める気はない。織田の力はよく理解しておる。


 尾張を統一し、関東まで行き北条の戦を手伝い完勝したとか。最早わし如きが及ぶ存在ではない。


 織田と今川が戦をするならばわしも態度を決めねばならぬと思うておったが、これはいかなることだ?


 西三河は織田に鞍替えしたい者が増えておるというのに。今川に人質がなくば西三河はまさに織田に落ちておったであろう。


 今年は去年とは違い、米の出来も悪くはなかった。ようやく一息ついたが、ふと気付けば矢作川の向こうは更に豊かになっておるのだ。


 皮肉なことだが織田の侵攻を待つが故に西三河は平穏になりつつある。皆、織田と今川のいずれが勝つか見極め、勝つほうに付きたいのだ。


 今ほど三河を攻める好機はあるまい。


「いかに思う?」


「わかりませぬ。されど三河を攻めずとも織田が困らぬのは確かかと。北条と織田はよしみを結んだ様子。今川がこれ以上攻めてこぬのならば、急ぐ必要はあまりないのかもしれませぬ」


「織田は三河を欲しておらぬかもしれぬのか……」


 まさか織田が攻めて来ぬかもしれぬとは。それこそ誰も想像もしておらぬことかもしれぬ。


 今川との戦に興味はないのか? 近隣に取れる領地があるのだぞ。


 わからぬ。織田はなにを考えておるのだ。


 仮に織田が来ぬとなれば三河はいかがなる? 今川の支配が進むか?


 東三河はまだよかろう。されど西三河は荒れるぞ。隣の織田領は飯が食えるのだ。飢えてまで今川に属するほどの忠義がある者などそうはおるまい。単純に織田より今川が強いと考えたから今川に付いた者がほとんどだろう。


 まさか織田は西三河が荒れるのを待つ気か?


 わからぬ。わしはいかにすればよいのだ?





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