第205話・幻庵さんの講義と……

side:久遠一馬


 幻庵さんの講義の日。学校には武士と子弟だけで三百人以上も集まった。家臣を含めるとその数倍の人が学校には来たもんだから、敷地内は大賑わいになってる。


 時期的に農閑期であることもあるのだろうが、関東の北条家は尾張でも有名だからな。動員をかけてないのに、この人数は正直驚きだね。


「これほど集まるとは思わなんだ」


 幻庵さんと北条家の人たちは集まった人数に驚いているが、悪い気はしないんだろう。誇らしげな表情をしてる人もいる。


 関東だと扱いが悪いらしいからなぁ。


 最近だと、検地が北条家にならい真似たのは尾張では有名だし。何より天文15年の河越城の戦いにおいて関東連合軍八万に対して、北条軍は夜に奇襲を仕掛けて八千の兵で破ったのは尾張でも武家ならば知らない者は居ないかもしれない。


 そういえば、確か河越城の戦いをけしかけたのは義元じゃなかったっけ? 自分だけ領地取り戻してさっさと和睦したのは凄いね。


 史実だと日本三大奇襲なんて言われてた奴だ。ちなみにかの有名な桶狭間の戦いも三大奇襲の一つだったはず。後は毛利の厳島の戦いか。


 桶狭間は無いだろうなぁ。すっかり織田は変わったし。それに、エルは織田がそこまで追い詰められる状況にはしないだろう。


 三大奇襲の一つが変わるのかね?


「今後のために駿河守殿の話を記録してもよろしいでしょうか?」


「某は構いませぬが……」


「ありがとうございます」


 ふふふ。太田さんには幻庵さんの話を書き残すように頼んである。今後の授業に使えるし、後世に残れば歴史の資料となるはずだ。


 そうそう。太田さんといえば最近になり日記を書き始めたみたい。元々メモ魔だったらしいけど、この時代では貴重な紙がウチの屋敷にはたくさんあるからね。


 自由に使っていいと言ったら、日記として日々のことを書き残してるみたい。


 本人が現時点でどこまで意識してるかは分からないけど、信長公記かそれに準ずる歴史書を残してくれるだろう。


 オレとか久遠家のことはまあ適当でいいとしても、織田家の正確な資料を後世に残したい。太田さんには長生きして隠居したらゆっくり執筆してほしいね。


 ちなみに、久遠家では書き損じなどで処分する紙は、子供たちの字の練習用に使ってる。そして最後には真っ黒になるまで練習して紙飛行機を作って飛ばして遊んでるけどね。


 いや~、前に暇な時に紙飛行機を飛ばして遊んでたら、子供たちに見つかって一気に流行ったんだよね。さすがに新品の紙で紙飛行機を作るのはもったいないって、資清さんに怒られるから字の練習に使った紙で作ってる。


 少しやらかしちゃった気もするけど、気にしない、気にしない。




 講義は人が集まりすぎたので野外でやることになった。講堂というか体育館というか武道場はあるんだけどね。夏場に人を室内に押し込めると暑いし。


 それに武士だけじゃなくお付きの家臣や郎党の皆さんも、幻庵さんの話を聞きたいらしいんだよね。


 天気は薄曇りだから直射日光は厳しくない。尤も直射日光が射してもいいように幻庵さんのために天幕を張ったけど。


 ただ、聞く人たちの分の天幕はない。幻庵さんと相談して適度に休憩を入れるように頼むしかないね。


「まるで祭りだな」


「……確かに、こういう祭りも面白いかも。楽しみながら学べるなんていいじゃないですか。今後もやりましょう。いずれは領民にも開放してやりたいですね」


 集まったみんなは勉強というか、娯楽でも始まるかのように楽しみにしてる人たちが多い。


 信長さんはそんな人たちを見て不謹慎だと感じたのか少し呆れていたが、いいアイデアな気がする。紙芝居に続く娯楽としてお芝居や落語に歌舞伎なんかを興行しようか。


 この時代でも能楽・狂言・猿楽とか大道芸とかあるんだよね。そんな人たちも呼んだりしてもいいし、音楽を聞かせるコンサートとかも面白そう。


「ふむ。やはり久遠殿は面白いの。ワシら武士とは違うところから領地と領民を見ておる。領民にも学ぶ機会や娯楽は必要やもしれぬのう。尤も食わせる方が先じゃがの」


 領民にも、と言ったオレの言葉に真っ先に反応したのは、他ならぬ幻庵さんだ。やっぱりこの人は凄いね。


「いずれ機会があれば、小田原にて久遠殿に講義をしてほしいですな。海の話や明や南蛮の話。話せる範囲でも皆が喜ぶはずじゃ」


 というか幻庵さん。オレを小田原に呼ぶ気じゃないのか? 本当に抜け目がないな。


 ただ、人材交流は悪いことじゃないんだよなぁ。商いの取り引きついでに小田原に寄るのも悪くはない。


 うーん。どうなるんだろうね?




side:武田晴信


「北条長綱が尾張に行ったか」


「はっ」


 塩尻峠にて勝って上田原の大敗から立て直した矢先に入ってきた北条長綱の動向に、ワシはしばし考え込んでしまった。


 尾張では守護の斯波武衛家がすでに力を失い、織田が台頭しておることは知っておるが、長綱が自ら尾張まで行くとは。新たな同盟先でも探しておるのか?


「それにしても尾張は裕福なのだな」


 尾張の金色酒なる物が、いつからか甲斐にも入ってくるようになった。高価ではあるがあの味のとりこになった者も多い。


 他にも砂糖・胡椒・鮭・昆布などの高価な物から絹や木綿まで近頃は全て尾張ものだ。甲斐の金も幾ばくかは対価として尾張に流れておると聞く。


「噂の久遠家の力は相当なようです」


 尾張の虎のことは知っておる。近頃は仏と呼ばれておるらしいがな。奴の息子が召し抱えた久遠一馬なる男が織田躍進の立役者だ。


 毎月、数隻も久遠家の南蛮船が尾張に来ると言うが、久遠一馬はいったい如何程の船を抱えておるのだ?


 船とそれを動かす人手を考えると奴一人で、一国の国主に匹敵する力があるのではないのか? 少なく見積もっても国人衆とは明らかに桁が違うであろうな。


「海があるというのは、羨ましい限りだな」


 甲斐は山国だ。故に南蛮船どころか水軍すらない。正直なところ甲斐では塩すら貴重なのだ。他家を羨んでも仕方ないが本当に羨ましくなるわ。


「甲賀の望月家が家を分けて久遠家に仕官しております。他にも甲賀の滝川家や甲賀衆を大勢召し抱えておりまして、なかなか警備が厳しいようです」


 久遠は素破を使うか。武家は素破を侮り軽く見がちだが、素破の働きは雑兵とは比較にならぬ。下手な武士より役に立つ。


 甲斐は山国故に、自ら世情を集めねば入ってくることもない。故にワシは素破を使い世情を集めておったが。新参者である久遠が同じく素破を集めておるとはな。


「久遠も世情を集めておるのやもしれんな」


「久遠と繋がる商人は、伊勢から関東にまで広がっております。そのおそれは十分あるかと思われまする」


「今川は気が気ではあるまいな」


 北条と織田が結ぶとなれば対今川ということになろう。北条は先の戦で今川と和睦した際に返還した駿河の河東を欲しておるのか? 関東管領と組んだ今川を信用できぬのは理解するが。


 北条と今川が争えば、我が武田家も信濃に専念できなくなる。なかなか難しいな。


「織田か。少し誼を通じておきたいところだが、信濃はまだ予断を許さぬし、今川領を通り行くしかないか」


「よろしいのですか?」


「今川とて織田と商いをしておるのだ。否とは言えまい。だが、まずは望月にやらせるか。本家と分家なのだからな。久遠の内情を少しは知れるやもしれん」


 台頭してきた織田が美濃に進んでも三河に進んでも、いずれは隣国になるやも知れぬ。あまり多くの人を配するほどではないが誼を結んでおいて損はあるまい。


 武田は織田とは特に繋がりはなかったが、噂の久遠とは望月が繋がっておる。今川がそうそう負けるとは思わぬが、今のうちから探りを入れる必要はあろう。




――――――――――――――――――

 天文17年夏。尾張を訪れた北条幻庵(長綱)が、織田学校にて講義をした記録が残っている。


 記録したのは織田家や久遠家に関する記録を数多く残している太田牛一で、当時伊勢宗瑞と呼ばれていた北条早雲の話や河越城の戦いに関する話で盛り上がったとある。


 幻庵は領民にも気さくに接するような人物であった為か、尾張の武士たちとも早くから打ち解けていたようで、平手政秀や久遠一馬が彼の人柄を気に入り絶賛したとの記録もある。


 それと実子である幻庵の語る早雲の話や河越城の戦いに関する話は、他に資料が乏しいことと太田の生真面目な記録のおかげで現在では第一級の資料として認められている。


 なお、この太田牛一の直筆の資料は、現在も織田学校に現存している。



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