第143話・初夏のひととき
side:久遠一馬
照りつける太陽が眩しい。夏だ。エアコンがないけど暑さは元の世界に比べると酷くないから楽だけどね。
代わりに周りは自然がいっぱいなので、虫が多いことはキツいけど。まあこの辺りは去年から分かっていたので、この時代にもある蚊帳を家中に配った。
あとは蚊取り線香。これはこの時代にはないみたいだから、宇宙で作って船で取り寄せ中だ。
「見たことがない物ばかりだな」
「まあ、あちこちから集めた物ですからね。どうぞ。美味しいですよ」
牧場の畑はこの時代では見られない野菜が並んでいる。孤児院の子供たちや領民が、暑い中を草むしりとか害虫駆除を頑張ってくれたから作物の生育もいい。
牧場はウチの領地になってるから、好きにできる分だけ上手くいってるね。
「なんか血みたいな色ですね。若」
「おお、美味いぞ!」
「大丈夫っすか!?」
今日は朝から草むしりを孤児院の子たちと一緒にやっていたら、水練の訓練帰りと思われる信長さんたちが来た。
メロンやスイカも植えてるけどまだ収穫には早い。一方で少し前から収穫ができてるのはトマトだ。
真っ赤なトマトにお付きの勝三郎さんたちはドン引きしてるけど、信長さんは井戸で冷やした食べ頃のトマトを一つ差し出すと遠慮なく丸かじりで頬張った。
「たわけ者。唐辛子も赤いではないか」
「辛いんですか?」
「いや、甘さと酸っぱさがあるな」
それにしても見知らぬ野菜を平然と食べる信長さんに、周りは付いていけてない。毒味もなく食べるのも問題と言えば問題だけど。
ただ、この信長さんの決断力と様子見の周りは、そのまま行けば史実のような独裁的な主君になるのかな。
自ら体験し決断する信長さんと、それに付いていくだけの家臣たちか。史実の信長さんの欠点は家臣を育てることに重きを置かなかったからか?
いや、育てるのが間に合わなかった可能性もあるか。
尾張統一とその後の美濃併合には相応の時間が掛かったけど、その後の上洛以降はあまりに早すぎる勢力の拡大だったからね。正に今の尾張の状況と同じだ。領地の整備も人材の育成も全く追いついていないのだ。
「みなさんもどうです? きゅうりもありますから、こちらも美味しいですよ」
冷蔵庫がないから元の世界ほど冷えない。けど井戸でも意外に冷やせるんだよね。畑の水は工業村の方から水路で流してきてる水を使うから、井戸は主に生活用に使ってる。
もちろん手押し式のポンプも付けてるけど、蓋が木製だから野菜とか冷やすのにも使ってるらしい。
「じゃあ、オレはきゅうりを……」
「オレは赤実にしようかな」
水練してきてお腹空いてるんだろうね。
お付きのみなさんにもトマトやきゅうりを勧めると、各々に好きな方に手を伸ばした。
トマトは塩を軽く振ると甘味が引き立ち美味いし、きゅうりは味噌を付けて食べるだけ。
実はここの牧場の品種は宇宙要塞にある元の世界の品種だから、それだけでも美味しいんだけどね。
もちろん、この時代の野菜も美味しいよ。ちょっと癖や苦味があったりするけど。
ただ生産性とか味は比べるとやっぱり違うからね。
元気な子供たちの姿を見ながら、取れたての野菜でのおやつも悪くない。
まるで映画の中のワンシーンのような光景だ。
side:望月千代女
夏になりました。今日は津島の門前市にメルティ様とセレス様のお供で来ております。
さすがに尾張は違いますね。品揃えが甲賀とは桁違いです。
聞くところによると近頃は、他国からも物を売りに来ている者がいるとか。何人か素破も混じっているようですが、騒ぐほどでもないですね。
伊賀者と甲賀者でしょう。一応帰ったら父上に報告はしますが。今の尾張に素破は珍しくありませんから。
南蛮人であるお方様たちはやはり目立ちます。とはいえ津島では騒がれるほどではありませんが。
「貴方、嘘は駄目よ。それは明の陶器ではないわ」
途中少し買い物をなされたお方様たちですが、大声をあげて明の陶器を売ると言って場を騒がす男の前で足を止められました。
「なんだと!?」
明らかに怪しく胡散臭げな男です。実際に誰も買ってません。
尾張では久遠家が明の陶磁器を売っておりますし、堺から流れてくる陶磁器もあります。皆さん目が肥えてますからね。
「てめえ。誰だ!? でかいうえに気味の悪い色の髪しやがって!!」
なんとメルティ様は怪しげな男の品を、偽物だと言い切りました。しかし問題はそこからです。男はメルティ様が何者か知らないのでしょう。言ってはいけないことを。
久遠家の皆様は背が高いです。それに私たちとは髪の色も違いますが、それは言ってはならぬこと。
お方様を侮辱するなど許されることではありません。
「私の容姿は関係ないわ。貴方が尾張の民を騙そうとしてるのが問題なのよ」
「……てめえ。何者だ?」
侮辱の言葉に護衛の兵が刀を抜き、周りで遠巻きに見ていた人々は静まり返りました。
どうやら周囲の私たちのことなど見ていなかったようですね。
素破ではない。ただの牢人でしょう。
「私が誰であろうと関係ないわ。もう一度だけ言うわね。嘘は駄目よ。すぐに商いを止めて尾張から出ていきなさい」
「ふざけるな! 女風情がワシを愚弄する気か!」
どうしようもない人ですね。十人も護衛の兵が居るのに虚勢を張ってどうするのでしょう。
メルティ様がせっかく穏便に済ませようとされているのに。
「捕らえなさい」
「はっ!」
どうしようもないうつけだと笑う周囲の空気を、男は読めないようです。メルティ様も呆れて物が言えないご様子。
結局男は捕らえられて津島神社に引き渡されました。男の売っていた陶器は何処かの粗悪な品だということです。
「最近多いのよね。困ったものね」
「ああいう連中は、 どこにでも居るわ」
お方様たちは津島や熱田の門前市に出向かれては、怪しい商人を見つけて追放してますからね。
津島神社としては税を払えば市に参加することを許可してるようです。彼らには物の真偽を見極めることができないのと、何を売ろうがあまり興味がないのもありそうですが。
しかし久遠家では怪しい商人や悪徳商人は相手にしませんし、明らかに領民を騙すような者は捕らえております。
今回は無礼な発言もありましたので打ち首でしょう。
商人の信頼を落とすような者には、殿もお方様も厳しいですからね。
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