第103話・揺れる伊勢守家

side:山内盛豊


「殿。宜しいでしょうか」


猪之助いのすけか。いかがした? 」


 夜も更けた頃、ワシは密かに岩倉城の殿のもとを訪れた。


「弾正忠家とのことです。考え直されませぬか?」


「その方は反対か?」


「はっ、清洲の町を見て感じました。以前よりも活気があり、人々は弾正忠殿を早くも受け入れている様子。町も焼けた跡など見えず再建されております。敵わぬかと思いまする」


 深夜の来訪に殿は少しいぶかしげな表情をされたが、人払いを頼むと素直に応じてくださった。


 用件は他でもない。弾正忠家とのことだ。一戦交えぬうちに臣従などできるかという家中の空気は理解する。されど勝てぬ戦をして何になるのだ。


 仮に勝てぬまでも奮戦できればいい。伊勢守家の誇りを見せつけることができれば、最終的に臣従しても皆が納得する形になろう。


 だが無様な負け方をしたらどうするのだ?


「殿が自らの力で尾張の統一をお考えならば、某もこのようなことは言いませぬ。されど……」


「尾張の統一か。考えたこともないな。上四郡の守護代と言えば聞こえはいいが、犬山を筆頭に上四郡ですら治めることができておらぬのだ」


 何より問題なのは殿が戦の先を何も言わぬことだ。弾正忠家を倒し、織田の総領は自分だと世に示して尾張を統一する。そのくらいの夢と気概があれば、ワシも家臣も付いていくだろうが。


 勝って弾正忠殿が引いて、臣従をさせることに傾けばいい。されど勝てば余計に怒らせ、臣従どころではなくなるのではないか?


「だが、ここで折れれば臆病者のそしりを受けるぞ?」


「臆病者の謗りならば、次の戦で晴らせばいいではありませぬか。愚か者と言われたまま家を潰しては、何も残りませぬ」


「猪之助……」


「伊勢守家の現状は殿のせいでは御座いませぬ。それに申し上げにくくございますが、弾正忠殿は格が違いまする。水野も佐治も戦をせずに降りました。何も恥じることはありませぬ」


 あの愚か者さえ出なければ、数年は様子が見られたであろう。


 だが伊勢守家の衰退は殿のせいではないし、弾正忠殿の隆盛は弾正忠殿の手腕だ。大和守家の二の舞いにはさせられぬ。


「しかしな……」


「某を臆病者と思うならば、今ここで斬り捨てていただいて構いませぬ。されどいずれは臣従をとお考えならば、無用な戦はお止めください。品野・美濃・三河には、まだ弾正忠家に心から臣従したわけではない者がおります。今ならば臣従の価値は高いと思われます」


 そもそも弾正忠殿は、何がなんでも許さぬとは言うておらぬ。順序が違うとは言われたがな。


 外にも内にも弾正忠家にはまだまだ敵は居る。今ならばまだ我らが臣従する価値はあるはずだ。所領は減されるであろうし、家臣も離れるであろうが家は残る。


「だが、もう戦をすると言うてしまったぞ?」


「殿は弾正忠殿が戦を望むならば、受けて立つと言われたのみ。裏で弾正忠殿と交渉しようが誰も文句は言えませぬ。戦を望む者は最悪でも武功を立てれば、自分は生き残れると考えておるだけのこと。されど殿は戦をすれば責任を問われまする」


「策はあるのか?」


「平手五郎左衛門殿と交渉致します。名誉ある臣従を。それだけを願えば、悪いようにはならないかと」


「分かった。猪之助。その方に全て任せよう」


「ありがとうございまする。必ずやよき形で纏めまする」


 よかった。本当によかった。殿はまだ冷静でおられた。


 さっそく話を纏めねば。家中の戦馬鹿どもが騒ぎ出す前に。




side:久遠一馬


「へぇ。流れが、変わりましたね」


「どうやら山内殿が、伊勢守殿を説得されたようでしてな」


 晴れ渡る春の陽射しの下、オレはエルと共に政秀さんに呼ばれて那古野城下の政秀さんの屋敷にて、野点のだてに参加していた。


 野点とは野外での茶道のことだ。先日には明の方の陶磁器を家中にばら蒔いたからね。政秀さんから茶の湯でもと、この日誘われたんだ。


 仕事もできて文化的な活動も得意な、本当のスーパーお爺ちゃんだね。


 メンバーは他には信長さんだけ。あとは人払いで遠ざけられた。何事かと思ったら、岩倉が臣従すると言ってきたらしい。


 てっきり戦になるとばっかり思ってたんだけど。エルは知ってたっぽいな。偵察機でも使ったか?


「親父は受けるのか?」


「そのおつもりのようですな。伊勢守殿個人としては、あまり野心もない御方。それに妹婿ですからな。無下にもできませぬ」


 意外な流れだけど、信長さんは少しホッとしたっぽい。そう言えば信安さんと、交流があると歴史にあったような。


「形式としては守護様が仲介する形で、織田の総領を弾正忠家とする事を伊勢守殿が認める。守護代の地位を返上する事で纏まりそうですな」


 いろいろ準備してたのに、戦が無くなるとは。いいことなんだけど弾正忠家に中央集権化していくことを考えると、一概に良いとも言い切れないかな。


 とはいえ史実の岩倉の歴史を見ると、徐々に衰退していくんだろうな。


「伊勢守家が割れなければいいのですが……」


「割れるかもしれぬと?」


「はい。こちらが集めた情報では、未だ戦支度をしてる者も居ります」


「ふむ。少しくらい割れた方が、こちらとしては御しやすいですな」


 ただ、ここでエルが不穏なことを口にした。


 確かに滝川忍軍の最新の情報では、伊勢守家の家臣たちは戦支度を止めてはいないんだよね。


 和平工作をしてる山内さんと、戦支度をしてる家臣たちが居ると。これが策略なら大したもんだけどね。


 政秀さんは割れてもいいと余裕の表情だ。もしかして調略でもしてるのかな? してるだろうな。ただ待ってるだけなわけないか。




「それはそうと警備兵の件は、どうなりそうですか?」


「その件は問題ない。殿も乗り気じゃ。まずは、清洲に五百名ほど、那古野に二百名ほどを用意してみよと仰せだ」


「わかりました。訓練と警備でそのくらいは必要でしょう」


 まあ岩倉のことはいいや。警戒はしなきゃダメだけど、たいしたことはできないだろう。


 ウチとしては警備兵構想の方が重要だ。信秀さんには先日献策していて返事を待っていた段階だ。


 現状で工業村の警備兵が二百人居て、牧場の警備兵はウチで今年に入り新規に召し抱えた百人が居る。清洲と那古野を合わせると千人の警備兵が用意できるな。


 基礎訓練が終わり次第、一部は土木隊・輸送隊・衛生隊の専門教育と訓練をさせて転属させてもいい。


 戦国時代風に言えば、黒鍬くろくわ隊・小荷駄こにだ隊か。衛生兵は存在すらしない。


 完全な職業兵は当面無理でも、数名を指揮する足軽組頭くらいは近代的な職業兵にしたいな。


 まずは、清洲と那古野の治安を早急に安定させないと。流民が増えると確実に治安が悪化するからね。先に手を打たないと、流民を追い出せと言う人が現れそうだからなぁ。


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