第100話・窮する岩倉と笑う信秀

side:織田信安


「殿。どうなさいますか?」


 愚か者だと思っておったが、ここまで愚かだとは思わなんだ。


 勝手に逃げ出した領民を探して捕まえることは、百歩譲って良しとしよう。しかし、よりにもよって三郎の領地に行くなど、呆れて物が言えん。


 弾正忠家の嫡男だぞ? 簡単に渡すわけがなかろう。今の弾正忠家と揉めてどうするのだ。


 しかも狼藉者として生きたまま捕らえられるなど、恥さらしもいいところだ。いっそただの狼藉者として、斬り捨ててくれれば良かったものを。


「そもそも何故、あやつは弾正忠家に行ったのだ? 他から領民は集めたのであろう?」


「あの男はすこぶる評判が悪いようでして。まともな者は行きたがりませぬ。結局鼻つまみ者しか集まらなんだようです」


 領民も馬鹿ではない。村があるのに丸ごと逃げるような所に、まともな者は行きたがらぬか。それに仮に行く気になる者が居ても、他の領主がまともな者は出さぬ。


 逃げられた責めを負わせて処罰しておくべきだったか。


「それで弾正忠家からは何と?」


「領内で狼藉を働いた者が、当家の家臣だと名乗っておるので、本物かと問う使者が来たわ」


「それはまた……」


 知らぬと言えば狼藉者として処罰する。当家の者だと言えば釈明と謝罪を要求されるだろうな。


 ここで愚か者を切り捨てるのは簡単だ。重臣も大きな反対はするまい。だがそれでは、ワシが家臣を見捨てると宣言するようなもの。


 ワシが弾正忠家に臆したと噂されるだろう。日和見をしておる者は、一気に弾正忠家に流れるな。


 だが認めても問題だ。釈明や謝罪に出向けば、完全に立場が決まってしまう。伊勢守家は弾正忠家に臣従する意味になってしまうではないか。


 それを否定したところで、弾正忠家には敵わぬと認めたようなもの。最早臣従しない意味などなくなる。


「いっそ、罪人を庇う弾正忠家が悪いと、こちらからも釈明を要求するか?」


「馬鹿な。戦になるぞ! 戦の口実が欲しいのは奴らなんだ!」


「そうだ! 何故あの愚か者のために、ワシらが戦をせねばならんのだ!」


 かといって強くも出られぬのは、重臣たちも理解しておるか。


 確かに先に逃げた罪人を庇ったのは弾正忠家だと責めれば、強く出る口実にはなる。だが愚か者が狼藉を働いた罪が消えるわけではない。


 しかも逃げたのは一人や二人ではないのだ。一つの村が丸ごと村を捨てて、助けてほしいとすがったのだ。弾正忠家が助けたとて、他から責められることはあるまい。


 戦を覚悟して強く出るか、臣従を覚悟して釈明するしかないのか?




side:久遠一馬


「どこにでも困った奴は居るようだな。狼藉者はどうしておる?」


「自分は伊勢守家の人間だ。すぐに解き放てと騒いでおりますな」


 清洲に報告に来ると、呆れたような信秀さんが居た。捕まえた連中は牢屋で騒いでいるらしい。


「しかし何故、正式に清洲に訴え出ずに那古野に?」


「どうも伊勢守家では、この件は追わぬと決めたらしいのだ。逃げ出した領民も悪いが、逃げられたあの狼藉者も誉められた男ではないらしい」


「戦で荒らされたわけでもないのに逃げられたのだ。恥でしかないからな」


「大方現場を押さえて脅せば、返すと思ったのだろう」


 ちょうど何人か居た重臣たちと信秀さんに事態を報告するが、岩倉にも困ったちゃんが居たんだね。


 気持ちはわかるが、馬鹿だろうと言いたげな重臣たちの様子が今回の事態を物語っている。


「那古野は若の領地だ。その辺の土豪ではないのだぞ? 脅しに屈するわけはあるまい。しかもこの時期に。伊勢守殿は頭を抱えておろう」


 信秀さんはとりあえず岩倉に、那古野で狼藉を働いた男がそちらの家臣だと名乗っているが本物か?と使者を出したらしい。


 これって村人を取り返せたのであればまだいいけど、失敗して捕まるって恥としか言えないよね。


 尾張にはまだまだ明確な態度を示さず曖昧な者も多い。敵対はしないし友好的だけど、臣従まではしてない独立領主はいる。


 まあ織田弾正忠家は守護でも守護代でもないから、向こうから臣従を申し出る必要がないとも言える。今まではそれが通用したから、これからもそれでいいと考えているんだろう。


 水野さんや佐治さんは、その点決断が早かったね。


「殿。戦にいたしますか?」


「向こうの出方次第であろう。愚か者を見捨てるか、それなりの者が釈明と謝罪に来るなら受け入れよう」


「どのみち伊勢守家の影響力は落ちますな」


 今は農繁期だから、重臣たちもあまり戦にはしたくないんだろう。積極的に岩倉を討つべしという意見はない。


 信秀さんも戦には時期尚早だと見ているようだ。まあ、ここで岩倉の影響力を落としてしまえば、後が楽になるのは確かだしね。


  懸念があるとすれば史実のように、岩倉が道三と組むことだけど。現状でそれをやれば戦になるのは明らかなんだよね。


 半年前なら危うかったかもしれない。旧清洲方の動き次第では四面楚歌になった可能性もある。


 しかし現状では正反対だ。四面楚歌になるのは岩倉の方だろう。


「伊勢守はいかがするのやら」


 信秀さんは余裕だ。岩倉の出方を楽しむと言わんばかりの笑みを浮かべている。


 どっちにしろ岩倉をこのまま残す気はないんだろうな。




「伊勢守家のことはいいのですが、そもそもの問題として何故あのよう者が領内に入れたのですか?」


「現状では伊勢守家との関係は悪くはない。それに身元もそれなりだからな。関所でも通したようだ。さすがに鎧兜まで身に着けておれば別だが、槍を持たせた兵が二十名ほどなら単なる護衛だといえば珍しくもないからな」


 それはそうと何故あんなお馬鹿さんが、那古野まで来たかと思えば、関所が役割果たしてないのね。


 そもそもこの時代の関所って、通行人から銭を取るための関所だから、よほど問題が無ければ通すらしい。


 無駄に流通の邪魔をする割に不審者をスルーさせるって、そんな関所要らないじゃん。


 どうもこの時代って、治安維持を軽視しすぎな気がする。せめて国境の関所には、不審者なんかを入れないようにして欲しい。ただ、元の世界でも内戦中の国では、自分の身は自分で守るのが常識だから、こんなものなのかな?


 まあ、今回の場合は無理なんだろうけどさ。


 いずれは警察権を国人領主から、織田弾正忠家に一元化しないと駄目だな。


 関所といい治安維持といい、権力を分散させすぎだ。


 日本も律令制度がきちんとしてた時代は、まだマシだったのにどうしてこうなったんだ?


 まあそれはいいとして、今後の対策に警備兵を弾正忠家の直轄領に広げようか。今回の事で多少だけど実績ができたし。


 そもそもの問題として信秀さんはともかく、いきなり警備兵なんて作ろうとすれば、いろいろ煩い人たちも居るんだよね。


 自分の領地には口を出すなというのが、この時代の基本だし。


 とりあえず清洲と那古野に、警備兵を置いて治安維持をさせるべきだな。土木隊と輸送隊も、どさくさ紛れに作れればベストか。


 土木隊は平時は各地の工事をさせればいいし、輸送隊は馬借なんかに任せてる輸送業務を独自にやればいい。


 結果として、いつの間にか常備軍ができてましたってのが理想だな。


 家臣の領地は当面は放置で。津島と熱田には早めに置きたいけど、あそこも既得権持ちがいるからなぁ。


 岩倉の扱いより領内の問題と、織田弾正忠家の改革の方が難しいよ。



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