第2部 元氷姫と恋人になったら甘々な生活を送る事になりました
第5章 元氷姫との同棲
第76話 南川という男
電車の中で俺達は出会った。
日の光すらも反射してしまう程、真っ白で艶やかな髪。
サラサラで、指を通すと引っかかる事なく先の方まで通り抜けてしまう。
深い海の底のように蒼い瞳。
その瞳に見つめられると、吸い込まれてしまうかのような錯覚を起こしてしまう。
そのぷるぷるで、瑞々しい唇から紡がれる音色は鈴のように透き通っている。
いつまでも聞いていたくなる声だ。
肌にしみやくすみなんてものはなく、真っ白だ。
もちろん髪ほどではないが。俺とは比べ物にならないくらい白い。
そして、そのスタイルはアイドルやモデル顔負けのものだ。
すれ違う人皆が振り向く、と言っても過言ではないレベルだ。
へにゃりと笑う顔はとても可愛くて。見ていると自然に頬が緩んでしまう。
もちろん見た目だけではない。
優しくて、気配り上手。
誰も見ていない場所でも努力をする。家族が大好きで。暖かくて、元気をくれる。
少し寂しがり屋で。甘えんぼだ。
手を繋ぐ事が好きで、ハグをする事がもっと好きで。それ以上にキスをする事が好きで。
一緒に居ると暖かい気持ちになって。幸せが指先まで染み渡ってくる。
そんな彼女が――俺の婚約者となった。
色々、と一言で表せないほど数多くの事があった。
でも、全部。全部解決して。もう、後はゆっくり二人で歩んでいく。
そう、思っていた矢先の事だ。
「君達は狙われている。……私の同僚達に」
そう言ったのは、爽やかな青年。顔立ちは整っていて背も高い。
南川さん。
凪に婚約を申し込んだ人だ。
諸事情あって、その婚約……もといお見合いは俺が全てぶち壊した。
この人に非はない。悪いとしたら全て俺だ。後悔はないが。
「話が読めねえな」
俺の隣で腕を組み、南川さんを睨むのは瑛二。俺の親友である。
いつも明るく、コミュ力が高い。ただ、今はその雰囲気を微塵も感じさせない。
理由としてはこの目の前の男。南川さんである。
俺が色々とぶっ壊したため、その復讐……とまでは言わないが、何かしら仕返しされるのではと危惧してくれている。
少し警戒しすぎな気もするが、楽観視しすぎない方が良いのも確かだ。
「大まかに詳細を話そう」
一度言葉を切って、俺達の反応を待っているようだった。俺は凪と目を合わせ、小さく頷いた。
「あの後。私達南川グループは縮小も拡大も出来ずに居た。一度は東雲グループに取り込まれるとなっていたが、元の鞘に戻った形だ。そこまでは良いね?」
「……はい。それとなくお父様からお聞きしておりました。その度は――」
「謝罪は必要ない。その件は一度終わった事だからね」
凪が頭を下げようとするも、南川さんが止める。本当に、悪い人ではないらしい。
「その後の事だね。……この話をするには私が東雲家に縁談を申し込んだ理由が分かってた方が良いんだけど。メリットとか、なんとなく分かるかい?」
「……はい」
その言葉に俺もなんとなく察した。
もし――その未来が来る事はありえなかったのだが。凪と婚約したとして。
将来、会社の上の役職。もっと言えば、トップに就きやすくなる。のか?
「まだまだ古めかしい風習が多いからね。特にこの業界は」
「……なるほど」
「それに、私もそれなりの教育は受けてきていた。『取り込まれたとして、そこで南川グループが終わる事はない』と、父上が皆を納得させたんだ」
その言葉に頷いた。向こうも向こうでメリット……博打とも言えるが。上手く行けば、事業の大幅な拡大を望めていたのだろう。
「ここで一つ、話が変わってしまうけれど。私の同僚は皆、父上の古くからの友人の子供でね。皆、頭が固いんだ」
頭が固い? と色々思考を巡らせていると。凪が小さく耳打ちをしてきた。
「教育が偏ってる、と言っても良いかもしれません。例えば、東雲家などのように外国を向けた事業を悪とする、とか」
「……なるほど」
だから頭が固い、か。
「それで、皆頭が固くて。ついでに言うと私を崇拝してくれていてね。最初は大反対だった。どうにか説得して、婚約の手続きへと踏み切った訳だ」
なんとなく話が見えてきた気がする。
「頭が固い分、一度方向を変えたら戻すのが難しい。……縁談を直前で断られて。私や父上よりかなり怒っていたよ」
「……」
「うん、合ってるよ。君が謝る必要はないからね。先程も言ったように、終わってしまった事だ。それに、むしろ事態をややこしくしてしまったのは私達なんだから」
謝ろうか一瞬悩んだものの、その言葉の裏からは『謝罪をするな』と言われているような気がした。
分かっていた事だ。あの時、あのお見合いをぶち壊しにしたのだから。それだけ迷惑がかかる人も居る。
ここでの謝罪は自己満足にしかならない。既に起きてしまった事は自分には解決出来ないのだから。
今、俺に出来る事は南川さんの言葉を聞く事だけだ。
「それで……まあ。その問題はそいつらなんだよ。怒りの矛先が私や父に向かうのならどれほど良かったか」
「それが私と蒼太君に向いたと」
「そういう事だ。何をするのか分からない。だから私はその忠告に来た、という形だ」
なるほどと。そこでやっと理解をした。
しかし、凪はまだ何か聞きたそうな顔をしていて。俺の隣へと来た。
「どうして教えてくださったのでしょうか」
凪の言葉にピクリと南川さんが眉を動かした。
「下手をすれば南川グループに傷がつくものです。内々で揉み潰す。……もしくは、仕返しをさせた後にその面々を切り離すのが普通だと思われますが」
「な、凪?」
「いや、合ってるよ。彼女の言っている事は。ここに来た事は私の独断だからね」
「なっ」
凪が小さく声を漏らし、目を見開いた。
俺も驚いてしまった。凪ほどその言葉を理解出来ている訳ではない。
それでも。それが良くないという事は分かった。
「それは――」
「もちろん、色々理由があっての事だ。第一に、もし万が一があったらという事。その時の方が南川グループの信用が落ちると私は思っている。……昔とは時代が違うからね。悪い事をすればすぐ広がる世の中だ」
指を一つ立て、南川さんが言った。その言葉に凪は……俺や瑛二も頷いた。
悪い事が見つかれば、すぐに拡散される。拡散されてしまえば収束するのはかなり難しくなるだろう。
「そして次に二つ目。東雲グループが下手に言いふらす事はないと分かっているからだ。これでもあれは『恩』だと私も宗一郎様も理解しているからね」
「……そう、ですね」
「三つ目は単純な事だ」
南川さんが三本目の指を立て。笑った。
「このやり方は私が嫌いだったから」
「……!」
「そして最後に、と言いたいが。海以君」
驚く凪を見た後に、その瞳が俺へと移った。もう指は立てていない。はい、と返事をして。俺は南川さんを見た。
少し困った顔をしながらも。その瞳はしっかりと俺を見て。
「今から言う言葉は本心だ。けれど、君達の邪魔をするつもりは決してない事を誓うよ」
「……分かりました」
なんだろうと思いつつ。凪はしっかりと俺の服を掴んでいた。
「私は『東雲凪』という女性に恋をした。人生で初めての恋。『一目惚れ』というものだ」
まっすぐと向けられた言葉。それは、凪だけでない。俺へも向けられているようだった。
表情が変わった。
「好きな人が幸せな人生を歩もうとしている。その邪魔をしようとするなど、笑止千万である」
その瞳は先程までの穏やかなものではない。確かな火を灯していた。
「誰であろうと許す訳にはいかない。許したくない。例え身内であろうと、ね」
そこまで言って。やっと、南川さんが頬を緩めた。
「東雲凪さんを好いた者は数知れない。その中の一人として。傲慢ではあるが、改めて言わせて貰おう」
その瞳が初めて。凪一人だけを見据えた。
「心の底から、君が幸せになる事を祈っているよ」
「……どうして」
「好きになってしまったからだ。恋をするのに時間は一秒で事足りる」
そして、と。今度はその瞳が俺を見据えた。
「海以蒼太君」
名前を呼んで。しかし、その口元は緩んだままだ。
「『幸せにして欲しい』なんて事は言わないし、言えるはずもない。ついさっき確信した。私よりも君の方が断然、彼女の事を強く想っている。反対に想われてもいる」
その手がさっと、差し出された。
「君が幸せになる事を祈っているよ。心の底から」
「……ありがとう、ございます」
その手を取って握手をすると。南川さんは小さく笑った。
「それにしても。君も良い友達を持ったね」
「……ええ。そうですね」
瑛二はじっと。南川さんがどんな人なのか観察していた。
先程に比べるとかなり警戒は緩んでいるように見える。が、警戒を解いた訳ではない。
「さて。話はこれくらいにしよう。宗一郎様から連絡が入る頃だ」
南川さんの言葉と同時に凪のスマホが鳴った。凪がスマホを取り、宗一郎さんと思われる人物と何度か会話をした後に。電話を切った。
「お父様からでした」
「宗一郎さんはなんて?」
「……南川様に送っていただけと」
その言葉に南川さんが微笑み。
乗ってくれと運転手を呼んだのだった。
◆◆◆
「それじゃあ。もう会う事はないかもしれないけど」
「南川さん」
凪の家まで送って貰って。俺は南川さんを呼んだ。
「ありがとうございます」
『謝罪は必要ない』と彼は言った。それならば、改めて礼を言いたかったのだ。
「……良いんだよ、別に」
「それでも。ありがとうございます」
「ふふ。それなら素直に礼は受け取っておこう」
南川さんがそう言って、車へ再度乗り込んだ。その後ろの席に瑛二が座っていた。
念の為、瑛二も家へと送ってくれるらしい。
瑛二も『色々疑ってしまったから最後に謝罪をしたい』との理由で車に乗り込んだのだ。
「瑛二も、またな」
「おう。また明日」
「ありがとな」
「おうよ、親友」
瑛二が手を出してきて。パン、と乾いた音を立てて手のひらを叩いた。
そうして二人。運転手を合わせて三人は去っていった。
「良い人だったな。思っていたよりずっと。……大人だった」
「そうでしたね。最初は身構えてましたが。良い人でした」
ですが、と。凪が俺の手を取った。
「私は蒼太君が良いです」
小さく背伸びをして。その顔が近づいてくる。
そっと、柔らかな唇が触れたのは一瞬の事。
それでも。心がどんどん幸せで満たされていくのを感じた。
「蒼太君じゃないと、嫌です」
「……ああ。ありがとう。俺も凪じゃないと嫌だ」
もし、ああいう時。好きな人を諦めるのが『大人』だったと言うのなら。
まだ、子供で良かったと心の底から思う。諦める事の出来ない子供で。
あそこで諦めて、後悔の残る人生を送るよりはずっと良いと思う。
凪は笑って。頬をその綺麗な手で優しく撫でた。
「ふふ。『どういたしまして』、この言葉をちゃんと教えてくれたのは蒼太君なんですよ。他の誰かではなく、貴方が教えてくれたんです」
「あそこから始まったんだもんな」
「はい! 他の誰かでは、きっと言わなかったと思います。言ってたとしても、蒼太君だから私は惹かれたんですよ」
花が咲いたように笑う凪。
一度だけ、ぎゅっと抱きしめる。
「ありがとう、凪」
「どういたしまして、です」
今、腕の中に凪がいる。
それを肌で感じ取る。その暖かさが、優しさが。幸せが、心に染み込んでくる。
離れ際に、また軽く唇を重ねられた。
「さて、入りますか」
「ああ。話、聞かないとな」
家へと入ったのだった。
◆◆◆
「色々、すまなかった」
家に入ってすぐ。お義父さんは開口一番にそう言ってきた。
「い、いえいえ。元はと言えば俺が原因みたいな所はありますし」
「いいや。蒼太君は何も悪くない。蒼太君は私達家族を救ってくれた。……反対に、会社の事情に巻き込んでしまった。凪も、私がしっかりとしていれば巻き込む事はなかった。だから、すまなかった」
凪と顔を見合わせる。凪が小さく首を振った。
「わ、分かりました。とりあえず頭を上げてください、お義父さん」
「……ああ」
とりあえず座ってくれと視線で言われ、俺と凪は座った。縁側の見える客室。あの時と同じ部屋だ。
「蒼太君も凪も色々心配だろうが、気にしなくて良い。全てお父さんが解決するから」
「だ、大丈夫なんですか?」
凪の言葉にお義父さんが頷いた。
「私が何とかしてみせる……と言いたい所なのだが。二人に一つ頼みがあるんだ」
なんだろうと、二人でお義父さんを見る。
「二人は必ず守る、という事を前提に。あらゆる危険を無くしていきたいんだ。だから――」
続く言葉に。俺は耳を疑ってしまった。
「一ヶ月ほど、とあるマンションで二人で暮らして欲しい」
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