8 独特な靴の作り方


「………………え?」


 瞬間。フェリクスが雷に打たれたようにぴきりと固まる。


 リルジェシカはあわあわと言を継いだ。


「そ、そのっ! 私の靴の作り方は、足を測らせていただいた上で作るので……っ! それで、フェリクス様さえよろしければ、足を測らせていただけないかと、その……っ」


 ぶんぶんと意味もなく手を振り回しながら説明する。


 貴族の女性ほどの禁忌ではないとはいえ、身分が高い者ほど、足を人目にさらしたりはしない。それが異性ならなおさらだ。


 リルジェシカに靴の作成を依頼する者がいないのは、そういう事情もある。


「く、靴か……。うん、きみさえ気にしないのならわたしはかまわないが……」


 どこかほっとしたような表情で、ぎこちなくフェリクスが頷く。


「ほ、ほんとですか!? ではあの、こちらに座っていただいて……っ!」


 先ほどまで座って作業していた椅子を引っ張ってこようとすると、「わたしが運ぼう」と、さっと動いたフェリクスが椅子を持ち上げる。


「どこに運べばよいのかな?」


「えっと、ではこの辺りに……。ちょっと待ってくださいね。準備をしますから」


 自分にお客様がくるなんて予想もしていなかったので、客用の椅子の準備すらしていなかった。手際の悪さを情けなく思いながら、リルジェシカはあわただしく狭い部屋の中を走り回り、用意を整える。


「お待たせしました。ではフェリクス様。そこの椅子に腰かけて、片足の靴を脱いでこちらの踏み台に載せていただけますか?」


「ああ……」


 リルジェシカの指示に、フェリクスが右の靴を脱ぎ、あらかじめ台に敷いていた羊皮紙の上に足を載せる。


「あ、あの、さわっても……?」


「もちろん。靴作りに必要なのだろう? なら、きみの好きにしてくれればいい」


 覚悟を決めたらしいフェリクスが迷いのない顔で頷く。


「は、はい。失礼します……」


 ペンとインク壺を片手にフェリクスの足元に屈んだリルジェシカはじっくりと観察しながら、フェリクスの足をぺたぺたとさわる。


 やっぱり、自分の足とフェリクスでは、大きさも甲の高さも全然違う。


「リ、リルジェシカ嬢、くすぐったいんだが……」


 台の上から足を持ち上げ、皮膚が硬い足の裏の凹凸やくるぶしの出っ張りをあれこれ確認していると、こらえきれないとばかりにフェリクスが長身をよじらせた。


「す、すみませんっ。男の方の足なんて、なかなかふれられる機会がないので、つい……っ」


 名残惜しいが、いつまでもためつすがめつしているわけにはいかない。


「フェリクス様の足の形を書き写すので、じっとしていてくださいね」


 台の上に足を戻し、ひとこと断ってから、足の形にそってペンを動かしていく。ここで失敗してしまうと、履き心地のよい靴を作れない。


 何度かレブト親方に練習台になってもらったことはあるものの、練習と初めてのお客様とでは感じる緊張の度合いがまったく違う。


 もう季節は秋に入ったというのに、フェリクスの左右の足の形を書き写し、甲の高さや足首の太さなどを測り終わった時には、額に汗がにじんでいた。


「フェリクス様、ありがとうございました。もう履いていただいて大丈夫です」


 ふぅ、と大きく息を吐き、立ち上がってぺこりと頭を下げる。


 ずっと屈んで作業をしていたせいで、少し腰が痛い。


「足の大きさを測ってから靴を作るなんて、初めての経験だ。きみの靴作りは本当に独特なんだな」


 座ったまま靴を履いたフェリクスが、立っているリルジェシカを見上げて笑う。


 ふつう、靴を買うときは、工房へ行って、すでにでき上っている商品の中から、自分の足に合うものを選ぶ。貴族の場合は出入りしている商人が好みに合いそうな靴を何足も持って屋敷を訪れ、注文に応じて装飾を加えたり、余る部分を詰めたりするが、すでにでき上っている靴を買うという点は変わらない。


 上級貴族なら職人に要望を伝え、好みの靴を一から縫わせることもあるが、職人に足の大きさを測らせることはまずない。


「しかも、左右の足をそれぞれ測るなんて。いったい、どんな靴ができあがるのか楽しみだよ」


 靴職人の工房には靴の製作に使う大小さまざまな木型が代々伝えられているが、ひとつの木型で左右どちらの靴も作る。つまり、右の靴と左の靴はまったく同じものだ。けれど。


「ほら、見てください。同じフェリクス様の足でも、右の足と左の足でこんなに形が違うんですから! だったら、それぞれの足の形に合った靴を作った方が、履き心地がよいと思うんです!」


 書き終わったばかりの二枚の羊皮紙をフェリクスの眼前に突き出し、力説する。


 レブト親方に初めてリルジェシカの靴の作り方を告げた時には、目をむかれた。


「俺の家は代々靴職人だが、そんなやり方は聞いたことがない。第一、そんなやり方じゃあ、履ける相手がかなり限られちまう。ひとりひとりの客に、いちいち足の大きさを測って靴を作っていたら、いったいどれだけの手間がかかることやら。靴の値段が跳ね上がって庶民に買える値段じゃなくなるぞ」


 と。「これだから、貴族の嬢ちゃんは考えが甘いんだ」とも呆れられたが、リルジェシカは諦めなかった。


「確かに、私のやり方は効率が悪いですが、たとえ時間がかかって高価になっても、履き心地のよい靴を求める方はいるはずです! ですから、どうぞ親方の技を伝授してください!」


 と、親方を説得し、さまざまな技術を教えてもらったのだ。


 フェリクスの靴をちゃんと作り上げることができたら、少しは親方に認めてもらえるかもしれない。


 そのためにも、ここでフェリクスに依頼を取りやめられるわけにはいかない。


 前代未聞の作り方で本当にちゃんとした靴ができるのか、と笑い上戸のフェリクスに吹き出されるかと思いきや、意外にもフェリクスは笑ったりしなかった。それどころか、「なるほど」と感心したように深く頷く。


「セレシェーヌ殿下がきみの靴は履き心地がよいといたく感心されているのは、その製法のせいだろうね」


「あの、でもこの作り方だと、木型から用意しないといけないので、最初の一足を作るのに時間が必要で……。作った木型の調整などもしたいですし、フェリクス様には何度もお手間をおかけすることになっちゃうんですけれど……」


 本当は、最初に依頼を受けた時点でちゃんと説明しておくべきだったのに、浮かれてすっかり忘れていた。自分の手際の悪さに、ほとほと情けなくなる。


「ですので、その、早くご入用だというのなら、レブト親方が作った靴でお好きなものを選んで――」


「わたしとしては」


 不意に、フェリクスの大きな手に指先を掴まれる。いつの間にかうつむいていた顔を上げると、椅子に腰かけているせいで、驚くほど近い位置にフェリクスの凛々しい面輪があった。


 目線を合わせたフェリクスが柔らかに微笑む。


「せっかく測ってもらったことだし、きみの靴を履いてみたいな。それとも、男性用の靴を作るのは嫌だろうか?」


「とんでもありませんっ! 修練になりますから、ぜひとも作らせていただきたいです!」


 そもそも、フェリクスに断られても、腕を磨くために作ろうと考えていたのだ。もちろんリルジェシカは否と言う気などはなからない。


「それと、お代の話がまだなんだが……」


「そのことなんですけれど……。あの、先ほども申しあげた通り、男性用の靴を依頼をいただいて作るのは初めてなので……。お代については、品物ができあがった時に、もう一度ご相談させていただけませんか?」


「きみがそれでよいのなら、わたしはかまわないが……」


「はいっ、それでお願いします!」


 大きく頷いたリルジェシカは、無意識にふふっと笑みをこぼす。


「フェリクス様にご依頼をいただけるなんて……っ。本当に嬉しいですっ! ありがとうございます!」


 喜びに口元を緩むのを抑えられない。


「……わたしも、きみが元気なようで嬉しいよ」


「私、頑張って素敵な靴を作りますね!」


 穏やかに微笑んだフェリクスに、リルジェシカも笑顔で拳を握りしめて気合いを入れた。

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