大叔母(2)
「あなた、クローンって知ってるわね。」
「うん、知ってる。」
「あなたはね、クローンなのよ。」
一瞬大叔母が何を言っているのか分からなかった。
「でも、父さんと母さんが……。」
「遺伝的に正確に言えばあなたが父母と思っている人は、
あなたの子ども夫婦になるわ。」
「子ども夫婦?」
桂には訳が分からなかった。
「あなたはね、私の兄のクローンなの。」
小さい頃、久美子からその兄の話を聞いた事があった。
有名なアクション映画俳優ですでに亡くなっている。
彼女と一緒にその映画も見た事がある。
「兄が亡くなる寸前に仕事が出来なくなることを恐れて、
自分のクローンを作ったのよ。
原体に遺伝情報を入れて後は記憶を入れるだけだったけど
兄は自転車事故で死んでしまった。」
「ク、クローンって勝手に作っちゃダメだろ。」
クローン技術が色々と進み出して20年程経っていた。
彼がクローンとして生み出された頃はその技術の黎明期に当たる。
だが大概技術の進歩に法律は追いつかない。
その頃はお金さえ積めばなんでも出来た。
やりたい放題だったのだ。
「今は医療目的や危険な仕事などしている人以外は駄目よ。
でも昔は抜け道は沢山あったわ。
そして兄はお金だけはあった。
だから自分を作り替えようとしたのよ。
あなたが大きくなったら自分の記憶を入れるつもりだったの。
要するに体のスペアよ。」
桂は息も出来なかった。
「あなたはね、兄の希望で再び銀幕で活躍できるようと
運動機能と目の能力を上げているの。
デザイナークローンベビーと言うのよ。
自分でも分かっているわよね。」
桂は自分のことを思い起こした。
ここのところ彼はかっとなるとすぐに手が出た。
言葉も激しくなる。
自分の感情が制御できないのだ。
そして一度も負けた事が無い。
自分の動きを誰も止められない。
みなは自分が荒れると逃げていく。どんなに物を壊したか。
だがどれほど壊しても怪我をさせても自分には何も咎がない。
「本当はね、あなたは生まれないはずだったのよ。
言い方は悪いけど処分されそうになったの。」
久美子が桂を見る。
「でもね、私が止めてと言ったのよ。私が育てるからって。」
桂は久美子を見た。
彼女は涙を流していた。
「生きているから止めてって。
絶対に死なせたくなかった。」
久美子は結婚もせずずっと仕事をしていた人だ。
だが桂が小さな頃にはいつも家にいた。
「私はあなたを育てて全然後悔していないわ。
仕事も辞めたけどそうして良かったと思っている。
あなたは大事な大事な本当に大事な子。
最初は兄の面影があったけど、そんなものは全然関係なくなった。
あなたは桂、遠山桂よ。
クローンなんて関係ないわ。あなたはちゃんとした一人の人間よ。」
その時だ、男性が部屋に入って来る。
「弁護士の藤井さん。」
背広の男が頭を下げて書類を出した。
「遠山桂様、これがあなたの新しい戸籍です。
久美子様の養子になっています。」
桂はそれを見る。
「今まであなたは私の姪夫婦の戸籍にいたけど、
保護者は私に変わったわ。
だから私の遺産は全部あなたに渡します。」
弁護士の藤井はその関係の書類も出した。
桂には訳が分からない。
「分からなくても目は通しておきなさい。
何かあればこの藤井さんがやってくれるから。
それと兄が持っていたビルとマンションをあなた名義にしたわ。
場所はここよ。」
藤井が住所の書かれた書類を出す。
「ビルはあのテロがあった所でほぼ廃ビルだけど権利はあります。
まだ再開発の話は無いけどあれば売っておしまいなさい。」
桂は頭を振る。
「久美子おばさん、俺訳が分からない……。」
それはそうだろう。
若干13歳の子どもにクローンや遺産相続の話では混乱するだろう。
「良いのよ、分からなくても。書類だけは大事に持っていなさい。
誰にも見せては駄目よ。
あなたには私の遺産が行きます。お金の心配はありません。
そしてあなたにはマンションとビルがあります。
今はそれだけでいいわ。
あなたが成人するまで藤井さんが後見人になってくれます。
信用できる人です。」
久美子は藤井を見た。
「私は久美子様に大変お世話になりました。
そのご恩返しと思っています。」
彼はそう言うと書類を置いて部屋を出て行った。
久美子は大きくため息をついて椅子に深く座った。
体が辛いのだろう。
「大丈夫?久美子おばさん。」
「え、ええ、本当は大丈夫じゃないけど、
久し振りにあなたの顔を見たら元気が出たわ。
7年ぶりかしら。」
「そうだね。」
久美子が手を差し出す。
桂がその手をそっと握った。
「大きな手ね、あんなに小さかったのに。」
彼女は彼の手を両手で包んだ。
骨ばった小さな手だ。
桂はそれを見て悲しくなった。
「久美子おばさん、死ぬの?」
「ええ、近々ね。
お願いだけどベッドに寝かせてくれる?」
桂は彼女を支えてベッドに寝かせた。
その軽さに彼は胸がつぶれそうな気がした。
「久美子おばさん、俺……。」
「良いのよ、みんな私が悪いの。
寄宿学校に行かせてしまって悪かったわね。
私は行かせたくなかったのだけど、皆が……。」
彼女は悔しげな顔をした。
「あまり言いたくないけど、
私以外の遠山の家は全部あなたの敵と思った方が良いわ。
みんな体裁ばかり気にしてる。
あなたの存在はあの人達にはとんでもないスキャンダルなのよ。
世に出たら政治生命が危ないから。」
全く会った事が無い戸籍上の親や
親戚などに対して彼は何の感慨もなかった。
だが、久美子の警告は怖かった。
「俺、どうしたらいい?」
「悪い事をせず静かに暮らしなさい。
賢く普通に生きなさい。
そして早く大人になって遠山の家から離れた所に行きなさい。」
彼はベッドの縁に顔をうつ伏せた。
その頭を彼女が撫でる。
「学校でのあなたの活躍は知ってるわ。」
久美子のくすくす笑いが聞こえる。
「あれは駄目よ、あれは止めて勉強しなさい。
賢い大人から色々と教わって、
良い事と悪い事の区別を早くつけられるようになりなさい。」
頭をそっと撫でられる感触は彼には懐かしいものだった。
子どもの頃何度も撫でられたのだ。
優しい思い出だ。
「兄さんも暴れん坊だったのよ。
俳優になっても無茶苦茶だったわ。でも楽しい人だった。
自転車が好きでいつも乗っていたけど、
それで事故に遭って死んでしまうなんてねえ……。」
久美子は呟いた。
外から微かに
「桂に会えて本当に良かった。」
彼女はそっと言った。
しばらくして彼は病室を後にした。
ベッドから手を振る久美子を見て
もう会えないだろうと彼は思った。
そして一週間後、藤井から連絡が来た。
葬式には来ない方が良いとの言葉もあった。
彼はその時間街に向かって手を合わせた。
それから学校での彼の態度はすっかり変わった。
あまりの変わり様に色々と噂は立ったが、
彼が次々と成績を残すようになり、
上位を目指す者たちにとっては気にするどころではなくなった。
特殊な学校に通っている彼らにとっては成績こそ真理なのだ。
人の噂どころではない。
そしていつの間か桂は
枠の太い黒いフレームの眼鏡をかけるようになった。
また長期休暇には学校長の家に行っていたがそれも止めていた。
いつも誰もいない寮に一人で残っていた。
そして窓辺で本を読む。
その本は何でも良かった。
ともかく知識を彼は欲していた。
早く大人になる事を彼は目指していた。
それが久美子に返せる唯一の恩返しだと思ったからだ。
今まで忘れていた事を
あの時彼女は思い出させてくれたのだ。
自分を大事に思っていた人がいた事を。
それだけで彼は生きて行けると思った。
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