第24話 スノップとフロム・ザ・バレル
“バー・バッカス”
ふらりと立ち寄った一見のお客さんが多いそんなバーに最近、若い女性がよく入り浸っているなと、この店の古参の常連客、高峰稔は思いながら、いつも通りマスターに小さく手を上げる。
微笑のマスターは小さく頷くと、スミノフのウォッカを取り出しジンジャーエール、レモンジュースでウォッカバックを作ってくれる。
スミノフは別に高い酒でもないし、どこでも手に入る。それでも稔はバーでしかお酒は飲まない。いや、飲まない事にしたというべきか、あまり客の多すぎない店がいい。そういう意味ではこの“バー・バッカス”は稔にとってのオアシスと言えた。
「お待たせしました。高峰さん。ウォッカバックです」
「ありがとう」
ミックスナッツの小皿が置かれる。これは店側のサービスである。日や季節によってチョコレートだったり果物だったり、出ない時もある。この店は儲かっているのだろうかと稔は思いながらウォッカバックを口にしながらクルミを口に放り込み、若い女性がキャッキャッとマスターを前に色んな酒の話をしている事を聞く。どうやら一人は記者で一人は絵描き、もう一人はよく分からない。
リカー男子という単語が飛び交うが、一体なんの事か稔は分からず。話を聞いているマスターもやや困惑気味なので、何かそういう流行りでもあるのだろう。ウォッカバックは美味い。ジンバックやラムバックと違って主張してこないのだ。稔はウォッカこそカクテルを作るスピリッツの王様だと個人的に思っていた。
「やっぱりジンがカクテルの王様っすねー」
は?? と昨日今日でジンの味を知ったような女性はタンカレーのボトルの前でうっとりしている、ジンリッキーをマスターに作ってもらい、他二人にもご馳走している。稔が驚くべきは彼女等、毎回来ては少なくとも5杯は飲んで帰る。店からすればお得意さんだろう。
「高峰さん、グラス空きましたけど、いつものいれましょうか?」
「あぁ。お願いするよ」
女性客との会話中でも稔の状況もしっかりと把握し、的確なタイミングでチェイサーを出してくれるマスター。ありがとうと会釈する稔。いつもの、とてもいい響きだ。自分が常連であると再認識できる。ボトルをトンと出してくれるマスター。
「こちらニッカのフロム・ザ・バレルでございます」
女性客三人が稔の前に出されているボトルをガン見している。デザインは実にシンプルだ。ポケットボトルより少し大きい500ml、無骨なデザインと言ってもいい。
稔はこれを男の酒だと思っている。なんせ度数は51%。
「飲み方はどうなされますか?」
お酒の味を覚え始めたお嬢さん達にこのお酒の美味しい飲み方を教えてあげようかと稔はいつもの飲み方を注文。
「いつもので」
「かしこまりました」
ストレートでもハイボールでも美味いのだが、おススメはロック。しかもロックアイスではなくクラッシュアイスで飲む飲み方。
マスターがわざわざ砕いた氷でニッカ・フロム・ザ・バレルを注いでくれる。既にいい香りがする。ちらりと目線を送ると皆注目している。
嗚呼、美味い。ニッカ。フロム・ザ・バレル。これを飲みに来たと言っても過言ではない。ウォッカバックで慣らして、このウィスキーをゆっくり楽しむ。ゆっくり、ゆっくり、氷が溶けて加水されていくごとに味が変わる。もちろん、一口ごとにチェイサーで口の中をフレッシュしておくのも忘れない。
どこのウィスキーがいいとか稔も分かるわけじゃないが、マスターにおススメしてもらったこの酒を飲んでいると時折、今日は来たらしい。
くぐもったタバコの香り、あいつがいるらしい。
「稔、また来たのか? 懲りない奴だなぁ」
咥えタバコの山男みたいな恰好をした男前、彼に稔は会いに来た、どこか亡くなった父の面影がある彼に、
「フロムザ・バレル。久しぶりだな。一カ月ぶりくらいか? アンタと飲みたくて通ってんだ」
狭い部屋だ。山小屋か? そしてささやかなテーブルにニッカ・フロム・ザ・バレルのボトル。ショットグラスが二つ。そこにフロムザ・バレルくんはトクトクトクと三分の一程注ぐとショットグラスを稔に渡す、「ほら」「あぁ」二人の中にはあまり言葉はいらない、受け取ったグラスをコツンと合わせてゆっくり口に含む。高い度数の酒とは思えないまろやかさ、美味い。誰かと飲む酒は本当に美味い。今までこの不思議な夢のような状況に陥った事が何度かあったが、稔は深くそれを考える事はなかった。酒の相手をしてくれるフロム・ザ・バレルくんも自らが酒である事以外は何も言わない。ショットグラス1杯を飲み終える頃にこの夢はさめる。いつもの事だ、それ以上でもそれ以下でもない。
稔は何か迷いが出来た時、彼に会に来る事にしている。何か提案してもらうわけでもない。寡黙に静かに酒を飲み交わして、それだけだ。なのに、不思議な事に安堵する。
「俺、今度結婚するんだ」
今日は酔ったのかそう呟いた。
「そうか、おめでとう稔」
その一言だけだったが、稔はバーで目覚め、
「高峰さん、タクシー呼びましょうか?」
「いや、もう少し飲んでいくよ。良かったらマスターも、そちらの皆さんも飲みませんか? 私のおススメのお酒です。ご馳走しますよ」
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