第2話 リナ先生とタンカレー ロンドン ドライジン

 企画が通るや否や、うち合わせが多くなり、まさかまさかのイラストレーターのリナ先生とお酒を飲みにいく事になる。これは親睦会を兼ねた唯の企画が生まれたバーへの資料集め。

 

「本当にこんな所にバーなんてあるんですか?」

「それがあるんですよー、私もびっくりしました」

 

 “バー・バッカス“に顔を出そうとするも、まだ19時を少し回ったからか、高架下にそれらしき店はない。仕方がないので、少し時間を潰そうかと適当なファミリー居酒屋に入った。ガヤガヤと、会社の同僚達で、学生達の合コンらしい姿も見える。

「ピーチサワーのお客様!」

「あっ、はい私です」

 唯が綺麗な桃色のお酒を店員さから受け取り、リナ先生は……

 

「こちらジンソーダです」

「あーしです」

 

 最近流行りのジンソーダを注文していた。ひとまずそれらのグラスをつけて、

 

「「かんぱーい!」」

 

 可もなく不可もなしなオツマミを前にリナ先生は唯が連載を持つ事になるコーナーについて質問を始めた。

 

「唯さんってお酒にくわしいんすか?」

「いえー、お酒は好きなんですけど全然。特にスピリッツなんて殆ど」

「じゃあコンセプトどうするかっすね?」

 

 スケッチブックにカキカキとリナ先生はざっくりとしたこのコーナーの方向性を描いてみた。お酒に詳しいお酒好きの為に行うのか? それともお酒は好きだけどあまりお酒の事を知らない人の為に行うのか? それともキャラクター物として細く長く記事の一部を埋めるコーナーとして行うのか?

 なんでこんなにリナ先生がこういう方面に詳しいのか聞きたかったが、勢いで通ってしまった初めての唯の連載。

 

 ピーチサワーを飲みながら考える。自分ならどうだろう? 例えば居酒屋に来てピーチサワーを注文したのは、一度飲んで美味しかったからだ。

 もし、このお店にキャプテンモルガン・プライベートストックがあればこの前の感動がまだ冷めていないので注文していただろう。

 

「せっかくリナ先生とタッグを組ませていただけるから、私は私みたいなお酒の事は詳しくないけど、お酒が好きな女子の為に記事を書いてみたいと思います。その人の好きなお酒が見つかれば嬉しいです。そこには視覚的にリナ先生のリカー男子がいてくれれば私の推し銘柄、みたいな反響があったら嬉しいなと……あの調子に乗ったかもしれません。すみません」

 

 ふむとリナ先生は頷く。頼んだジンソーダーを飲んで少しだけ困ったような顔をする。唯の考えが甘かったか、それとも何か機嫌を悪くするような事を言ったのか?

 

「このジンソーダってお酒、まずっすね……テレビのCMでは滅茶苦茶美味しそうに飲んでたのに」

「そうなんですか?」

「唯さんも飲んでみ」

「あっ、いただきます」

 グラスを受け取り飲んでみる。少しだけ癖のある後味があるが、飲みやすい部類に感じる。ただ、苦手な人は苦手なんだろうなと唯は思ってグラスを返す。それから二人でお酒の説明やおすすめの飲み方などをリカー男子が教えてくれるという形の記事の雛形を作って居酒屋でのミーティングは終わる。もう一度高架下に行ってみたがバーらしきところはない。

 

「唯さん、もしかして夢とか見てませんでした?」

「本当にあったんですよ……ピンクの髪のマスターがいて……」

 

 言ってて本当にあの店はあったのか、少し自分も飲んでいたので、あまり自信がないのも正直な気持ちだった。確かにあったし、もし夢ならあんなリアルなお酒の味……いや、一部リアルじゃない経験をした……

 

「まぁ、そのバーに関してはおいおいという事で、また飲みましょう! あーしここでタクシー待ちます」

「は、はい。お疲れ様です」

 

 二人は別れ、唯は駅に、リナ先生は面白い子だなとタクシーでも拾おうと思った時、高架下に先ほどまであったか? という地面に立てかけてある看板を見つける。

 

「もしかして、唯さんの言ってたお店ってここっすかね?」

 

 リナ先生が店名を見て、それがビンゴである事を確信する。

 

“バー・バッカス“

 

 恐る恐るリナ先生はドアを開く。なんだかバニラのようないい香りがする。音楽は静かなジャズ。恐らく曲名はスペインが流れていた。

 

「いらっしゃいませ」

「あっ! ピンクの髪のマスター」

 

 すごい作ったようなイケメンとリナ先生は思うが、案内されたカウンター席でマスターを見ると、彼女である事がすぐに分かった。

 

「唯さんに聞いて探してたんですよー! あー、唯さんもう帰っちゃったなー」

「秋田唯様のお知り合いのお客様でいらっしゃいましたか」

 

 リナは自分の名刺をマスターに渡すとマスターは大事そうに受け取り、代わりにお店の名前が書いてあるコースターを渡してくれた。

 

「バー・バッカス。素敵なお店っすね」

「恐れ入ります。ところでお飲み物は?」

「そうっすね……さっきジンを飲んでみたんですけど、美味しくなかったので何か他のオススメのお酒とかありますか?」

「……ジンの飲み方はどのような飲まれ方でしたか?」

「ジンソーダっす。最近流行ってるらしくて」

 

 なるほどと、マスターがリナ先生の前にコトンと置いたボトル。緑色で上部が丸く、真ん中に手紙につけるシーリングスタンプのある可愛い形状。

 

「へぇ、可愛い形っすね」

「こちら、カクテルシェイカーをイメージしているそうです」

 そう言ってマスターは銀色のシェイカーを横において見せてくれた。確かにこのボトルはシェイカーの形をしている。

「このお酒、なんなんすか?」

「はい、こちら、四大ジンの一つ、イギリスのタンカレーです。ジンのロールスロイスと呼ばれたタンカレーのナンバーテンより、お客様にはぜひ、こちらのロンドンドライジンをぜひお試しいただきたく思います」

 

 先ほどジンはあまり口に合わなかったので、少々閉口していたが、「じゃあお願いします」と注文。マスターは緑色の小さな瓶を取り出す。

「それなんすか?」

「トニックウォーターでございます」

 

 タンカレーのロンドンドライジンを適量、そして氷を適量、トニックウォーターを注ぎ、ライムを添えたどこに出しても恥ずかしくない。

 ザ・「ジントニックでございます」

 

「あぁ、ジントニックね! バーとかでは最初に頼む人も多いんすよね?」

「お酒は度数の低い物から順に高くしていくのが基本と言われていますから、トニックウォーターで加水したジントニックは好まれますね」

「じゃあ、いただきます」

 

 ごく……と喉を鳴らした瞬間、リナ先生は先ほど居酒屋で飲んだジンソーダとは全然違う事に驚いた。

 

「すみません、マスター! このタンカレー? ジンソーダでいただけますか?」

「かしこまりました。こちら、ジンリッキーでございます」

 

 炭酸水で加水されたジンソーダをトンとリナ先生の前におく。そして恐る恐る口にすると……

 

 リナ先生の目の前には大きな時計塔、目を擦ってみるが、紛れもなくビック・ベン。自分はどこかのオープンカフェのテーブル席に座っている。

 とりあえず自分の頬をつねってみる。

「微妙に痛いので夢じゃないっすね」

「いいや、僕は君に夢を見せたいんだよね」

 そこには、金髪碧眼の緑を基調とした貴族衣装を着た青年。ゆっくりとリナ先生の前の席に座ると、その手にはタンカレー。

 

「貴方は誰っすか?」

「僕はタンカレー、ロンドンドライジンだよ」

「うわ! リカー男子っすか?」

  ただならぬ色気を持つタンカレー、先ほどまでバーにいたハズのリナ先生だったが、彼女の理解は早かった。なるほど、唯さんはここで刺激的な経験をしたのだなと、

  

「リカー男子? なんの事か分からないけど、会えて嬉しいよ。グラス開いてるみたいだけど、僕を呑む?」

「さっきジントニックとジンリッキーでしたっけ? ジンソーダをもらったので、それ以外で何かねーですか?」

 

 ふーむと人差し指を鼻に当てて考える仕草。あざと可愛いそんな様子にリナ先生は持ってきていたスケブにラフを描く。これは堪らないなと思っていたリナ先生にタンカレーは小さなショットグラスを置く。

 

「ストレートなんてどうかな? 冷凍室で冷やしておいたから口当たりが面白いと思うよ?」

「ではいただきます」

 

 とろりとそれでいてとんでもなく冷たい。そんな中でしっかりとジンのボタニカルさを感じる。

 

「何かのハーブで味付けしてるんすかね?」

「ボタニカルはジュニパーベリー、コリアンダーシード、リコリス、アンジェリカルート。僕はこの四つだけで200年近く人気のアイドルだよ! 最近は日本でもジンが人気だよね? 日本のジンはワサビとか入っていたり、その風土にあった物を楽しめるのかな?」

 

 リナ先生は居酒屋で飲んだジンは一体どこのお酒だったのか? なるほど、入っている素材によって味が違うから好き嫌いがあるのかと、ジンの奥深さを知った。ちなみにタンカレーはリナ先生にとって大いにありだった。

 お酒も、リカー男子も……

 

「タンカレー君に合うおつまみって何かあるんすか?」

 

 タンカレーは「そういう事なら」と言ってどこからともなく、イギリスパンで作られたホットサンドの乗ったお皿を取り出した。そしてそのサンドイッチを一つ摘むと、

 

「リナせんせ、はい! あーん!」

「えっ、マジっすか! じゃ、お言葉に甘えて、あー」

 

 ホットサンドを食べさせてもらえると言うお姫様扱いを受けるその瞬間、リナ先生はふと気がつく。

 

「お客様?」

 

 ここは……バーだ。ロンググラスが二つにショットグラスが一つ、もしかして飲みすぎて寝てしまってた?

「あの、すみません。寝ちゃってたみたいっすよ」

「タクシー、お呼びしましょうか?」

「お願いしますっす。あ、これお詫びに」

 スケブのページを一枚破りマスターに渡す。それはここにきた時に描いたマスターの似顔絵。

 

「私でございますか? これはこれは、ありがとうございます」

「マスターさん、ここって不思議なバーとかなんですか?」

「不思議な、でございますか?」

 

 リナ先生はここで感じたことを話す。それは唯も恐らく同じ経験をしたんだろうと……それにマスターはにっこりと笑う。

 

「元来バーという場所は出会いの場です。人であったり、自分自身と向き合ったり、当然、好きになるお酒とも、そういう意味ではお酒の神様がリナ様にタンカレーと出合わせたのかもしれませんね。もちろん、私とも」

 

 うまい事を言うな。そうリナ先生は思ったので、一応自分も何かを生み出す事を生業にしている。その為に笑って言ってみた。

 

「という事はマスターがあーしとタンカレーを出合わせてくれたので神様っすね」

「かもしれませんね」

 

 口元を抑えて笑うマスター。流石に少し痛かったかと思ったが、お酒が入っているしまぁいいかとタクシーが来るまでこの不思議なマスターと談笑して過ごした。

 

 自宅に着くとすぐに唯に連絡するリナ先生。

「えー! なんで誘ってくれなかったんですかー!」

 とテンプレート見たいな反応にリナ先生は謝りながら、自分が飲んで、見て、経験した事を話した。

 あのバーはとても面白い場所だと、コーナーにはマスターにも力を貸してもらえないか聞いてみないかとリナ先生は提案した。

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