リカー男子に恋をして
アヌビス兄さん
第1話 ふしぎなバーとキャプテンモルガン・プライベートストック
カラン。
バカラのグラスに宝石みたいな氷が奏でるお酒の音色。琥珀色のラム酒から香る芳醇なそれはどこか現実を忘れさせてくれる魔力を持っている。
やや薄暗い店内で葉巻を蒸すのもいいだろう。店内に流れるシックな音楽に耳を傾けてもいい。一杯のお酒と共にに自分と向き合う時間なのだから、
いや、バーに迷い込んだというべきなんだろうか? 彼女はタウン誌等を手掛ける編集部に在籍している。中々企画が通らず連載を貰えない。先輩や上司の手伝いに収まっているのが現状だった。そして本日、エスニック料理特集を十分過ぎる自信と共に持っていってあえなく爆死した。
とりあえず呑んで忘れよう。
大学生までお酒を飲むという習慣がなかった唯だが、サークルの飲み会で彼女の飲兵衛としての資質が開花することになる。
とりあえずビール! カシスオレンジ! 杏露酒! 梅酒!
とファミリー居酒屋で頼めるお酒をループする事が多い唯。そんな彼女が迷い込んだお店。
“バー・バッカス“
「いらっしゃいませ」
そこには薄い桃色の髪をしたショートカットの若いバーテンダー、染めているのだろうか? いや、染めているのだろうな。見つめられると、息を呑みそうになるくらいドキリとした。胸の膨らみはない彼女は女性なんだろうか? それとも彼は男性なんだろうか? 声からでは検討がつかない。
バーなんて初めてな唯は帰ろうか? でも入店して間違えましたさようならという雰囲気でもない。
「あの、おススメのお酒を」
言ってしまった。
じっと唯を見つめると、「畏まりました」とバーテンダーは上品に会釈をして背景になっていたリカーラックから一つの瓶を取り出した。
「お客様、冒険はお好きですか?」
「……冒険? えぇ、そういう番組を見るのは」
「では、こちらキャプテンモルガン・プライベートストックのストレートはいかがでしょう?」
唯のイメージに合致するザ・ウィスキーボトルという形状の瓶を見て、
「私、ウィスキーは……」
「こちらは海賊のお酒。ラムです。いかがでしょう?」
確かに海賊らしき男性がパッケージイラストに堂々と立っている。
トクトクトクとロックグラスにストレートで注がれるラム酒。美味しそうな、甘くて良い香りがふわりと鼻を刺激する。同時に細長いカクテルグラスに水を入れて差し出してくれた。
「チェイサーです。ゆっくり、舐めるようにお楽しみください」
パチンとバーテンダーは指を鳴らす。言われた通り唯はラム酒を口につけてみた。にがめのコーヒーみたいなコクがあるのに、サトウキビの甘い口当たり。
これ、おいし。
「美味しい? 良かった!」
「えっ?」
気がつくと唯はバーではなく、どこかの店? いや、ここは船の中だ! 気が動転しそうな唯に目の前にいる若い男。彼は見たところ……スーツではない洋服に長いブーツ、そして歪な形をしている帽子を被った。ワイルドな、それでいてひと懐っこい彼は多分、海賊なんだろう。
「貴方は? それにここは?」
「俺はキャプテンモルガン・プライベートストックだよ。今、君が呑んでいるお酒!」
一体何を言っているのか? 彼はニッコリと笑いながら唯の顔をじっと見つめている。一体何の冗談だろう? そう思っていた時、ラム酒だという彼はこう言った。
「頑張ったね? でも少し疲れてる。今は俺でゆっくりしていってよ。ほら! 外は大海原、そして唯の手元には……俺。風を感じて、香りを楽しんで、ちゃんとチェイサーも飲んでね? もっと自由でいいんだよ? きっと唯は自由な事を勝手な事だと勘違いしてるんだよ」
酔ったんだろうか? 唯は、普段の日常を思い出した。出せども出せどもダメ出しをされる企画の数々。確かにどれもこれも取り繕ったどこかで見たことがあるような物ばかりだった。型にはまらないといけないという自分が心のどこかにあったのかもしれない。
「ねぇ? キャプテンモルガン・プライベートストック君」
「なぁに?」
「私、自由にやっていいのかな?」
「いいよ」
そう言ってキャプテンモルガン・プライベートストックは唯の頭をよしよしと撫でた。すごいキツいお酒なのに、とても優しい口当たり、そんな彼はどこからか、大きな氷を持ってくるとそれを唯のグラスの中にポトンと落とした。
「氷を入れても美味しいよ! 割って飲むならコーラとかもおススメ」
氷で冷やされると全然違う感じに変わる。彼は足を組みながら美味しい飲み方を教えてくれる。こんな風に誰かに甘やかしてもらった事、慰めてもらった事がここ最近あったろうか? 多分ない。
唯は普段の日常を思い出して、グラスで手遊びをしながら聞いてみた。
「またここに来てもいいかな?」
「来ちゃえ! 来ちゃえ! 何なら宝島に一緒に冒険に行く? でも、その前に唯は冒険しなきゃね?」
そうだね? 冒険しないとね! ゆっくりとキャプテンモルガン・プライベートストックの顔が近づく。海みたいな綺麗な色の瞳、唯は目を瞑った。唇に感触。彼の味は、
「お客様、お客様」
ふと声をかけられる。唯は寝ていたのか……と、そしてお店に迷惑をかけた事に焦る。
「あの、ごめんなさい! 私寝ちゃって」
「構いませんよ。それより、良い夢は見られましたか?」
「えっと……はい、とても」
「それはようございました。是非、またいらしてくださいね?」
「また来ていいんですか?」
「もちろんでございます」
お会計をして唯は店を出る。“バー・バッカス“高架下のわかりにく場所で経営しているこのお店、儲けは出るんだろうか?
翌日、唯は普段のヘルプの仕事の合間に新しい企画を考えてみた。今日は地域の観光地と女性向けの人気ソシャゲのコラボが行われるのでその記事を上司が手掛けるらしい。
「リナ先生宜しくお願いします!」
ゲームのキャラクター原案イラストを手掛けるイラストレーターのリナ先生が会議に参加して、どんなイラストを描いたらいいのかなどを話すのだろう。唯もどうせだからと参加させてもらう。
「こんな感じでいいっすか? ざっくりと」
ホワイトボードにものの数分でイラストを描いてしまうリナ先生に皆驚き拍手。一時休憩の時に唯は1日考えた企画を上司の元に持っていく。
「すみません。高橋リーダー」
「何秋田ちゃん」
「これ、新しい企画考えてきたんですけど」
「えっ? 今? ちょっと空気読んで……これ、面白いね」
そう話していた二人に興味を持ったリナ先生が唯の企画を覗き込んだ。それに、「あぁ、私もお酒好きですよー」と言ってホワイトボードに海賊の美形の男の子のイラストを描いた。
「キャプテンモルガン・プライベートストック君!」
思わず声に出してしまった唯。昨晩であったあの男の子がそこにいたのだ。それに「おいおい秋田ちゃん」と言いながらも「この企画単発でやってみる? スペース空けれるようにデスクに聞いてみるよ」とまさかの企画が通り、それを聞いたリナ先生が「じゃあ、あーしイラスト描いていいっすか?」「リナ先生描いてくれるんですか? ちょっとこれ、上と掛け合わないとな!」
まさか、まさか、まさかの秋田唯、初めての企画が通った。
『リカー男子に恋をして(仮)』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます