雨と灯屋とソウルライク

あまぎ(sab)

東屋

…………

…………

…………

………

……あめが、ふっている。

…………

…………


 きがつくと、自分はここにいた。


 さぁさぁ、ざぁざぁ、と静かに雨は降り続いている。

 聞こうとしなければ気づかない、風の音にも似た透明な雨。


 その手前には白い、大理石のような柱。直立するそれらは頭上の屋根を支えている。

 手のひらには今自分が腰掛けている物の硬さと冷たさ。おそらく柱と同じ石でできているのだろう。

 ああ、ここは東屋とでもいうのだろうか。


 そこに、自分は取り残されていた。


◇◇◇


「??? どんな夢?」


 最初に自分が考えたのはそれだった。

 知らない場所。

 知らない景色。

 そして、この場所に対する"印象"だけははっきりとしていること。

 "綺麗"で"ひとりきり"で。

 雨の屋外なのだから、このまま居たらたぶん"肌寒い"だろうな、ということ。

 つまり、夢の中だ。


 夢の中ということは、起きなくてはいけない。

 最近の自分は睡眠中夢を見ないので忘れていたが、時々こういった明晰夢があるのだ。

 こんなに意識がはっきりした夢は久しぶりだが、大抵の場合、何か行動を起こさなければいつまで経っても目が覚めない。

 そして何より、時間が心配だ。

 夢の中と現実の時間はかなりズレがある。一瞬の夢だとしても現実では一晩経っていたり、2時間の映画を見せられたような長い夢でも起きたら5分しか経過してない、なんてこともある。

どれだけ急いで起きても間に合わないかもしれないが、ともあれこういう夢はなるべく早く起きなけれればいけない。

 結果寝坊して「夢の中で迷いました」なんて苦し紛れすぎる言い訳を■■に言う方が悪夢だ。

 起きる手段はいくつかあるが、確実なのは今いる夢の中の自分が死ぬことだ。ビルなど高所があれば話が早い。飛び降りればいいだけなので。

 しかし、この場所はあまりに殺風景で、何も無い。


 東屋?をよく観察してみようと思ったが、先程説明した物以外には本当に何も無い。

 強いて言えば、自分が座っていたのが長椅子であることくらい。なんてことはない、冷たい白い石のベンチである。説明おわり。

 東屋の外はといえば、雨が降り続く平原が広がっているようだが……どれだけ目を凝らしても果てがみえない。おそらく地平線まで続いている。


「うーーーん。どうしよう」


思った以上にできることがない。

何?ここは椅子に座ってのんびりしっとり景色と雨と景色を楽しむワールドなんですか?

VRで売れそうですね。

じゃなくて。


 試しに、長椅子の背につかまり、雨に手を伸ばしてみる。

 小学生みたいな構図だ。

 東屋の床は平原から少し高さがある。平原に降りても戻ってくることは簡単だが、軒が短いので一度降りれば上がるまでにずぶ濡れなるだろう、と考えただけである。体重を預けている石の長椅子が床から動かないことを祈る。


それにしても綺麗な雨だなあ。


 透き通っていて、淡く草原の草色を含んでいる。その反射の少なさは雨粒というより流水のようだ。


ビリ


「ビリッ?」


 指先に違和感を感じ、体勢を戻す。

 恐る恐る、雨に触れた部分を確認してみる。

 見た目は特に変化はないが、触ってみるとじんじんと火傷のような痛みを感じた。


「熱湯……ってことはないな。湯気もないし。

 じゃああとは……」


酸、とか。


「え。あっまずい。逆の手で触っちゃった」


酸。酸かあ。

こういうとき何したらいいんだっけ。

中和させるために薬品をかけるとか……

その前に水だ。

水で洗い流すが正確!

水水!

み………


 そうだ。

 水といっても雨は使えないし。

 平原にずっと酸性雨が降っているなら外にも出られない。

 万事休す。

 見事に手立てがない。


「あーーーーーーもーーーーーーー

 何したらいいんだよーーーーーーーーー!!!

 今日だって大事な」


大事な………なんだっけ。

朝早く起きなくてはいけない用事だったのは覚えている。

いや、この際詳細は覚えてなくていい。

重要なのは「このまま寝過ごすとかなりまずい」ってことだ。

このまま自然に目が覚めるまで待っていたら、確実に"まずい"。


 最終手段として、私は元の長椅子に座り直し__目を閉じた。

 夢の中で寝れば、現実で目が覚める。という理屈だ。

 この方法で目が覚める確率はかなり低い。

 事故が何かで死にかけて目が覚めたら病院だったなんてことは現実でもあるが、目を閉じたら別の場所にいるなんてことはまずない。

 目を閉じた時と同じ場所で目覚め、時間が経過しているだけだ。

 そう、ほら、このとおり。


ガランッ


「ん……?今なにか音した……?」

 しかもかなり近くで。


 改めて東屋の中を見回してみる。


 ……あった。確かにさっきはなかった。

 金属製の腰ほどまである大きな筒。

 そしてそこに入っている、細長い。


「傘、だ」


 思わず手に取ってしまった。

 柄が白。透明なビニールが張られた、よくみる安っぽいビニール傘がそこにはあった。

 東屋の内側で開いてみても、穴も故障もない。新品同然で丈夫そうだ。


「待って。傘として使えるか確認しよう」


 相手はあの酸性雨。

 指で軽く触れたくらいでは火傷程度だが(今思うと強酸だったら危なかった)、この広い平原を歩くなら長時間雨に降られることになる。途中で溶けたら使い物にならない。

 閉じた状態でしばらく雨に晒してみるが、みるみる溶けていくなんてことはない。

 開いて確認しても、どこも溶けてはいなかった。

 雨の特殊な酸なのか、傘の材質が強靭なのか、ともあれこの傘はちきんと雨を防げるようだ。


 私は満を持して、草原に降り立った。

 正確には、東屋と平原までの高低差を繋ぐ石段が現れていたのでそこから降りた。

 おそらく傘と傘立てと同時に発生したのだろう。


 タイミングと都合が良すぎると思いつつも、こういう時は騙されてでもとりあえず進むのが大事なのだと自分を納得させた。他に手段はなかったし、外に出ることは別に悪い選択ではなかったと思う。

 ぼうっと考えつつ、どことなく暗い雨の草原を進む。

 ふと気になって東屋の方を振り返った。

 そこにはどこまでも続く雨の草原が地平線まであるだけだった。

 もちろんこの距離を歩いただけで、あの真っ白な雨屋が見えなくなることはありえない。

 それでも東屋から出た瞬間から、この先の見えない平原を歩くと決めた時から、一度決めた方向に歩き続けるしかないのだ。

 私はわざと動かさないようにしていた足に振り返った片足を揃え、元の方向に再び歩き始めた。



 しばらく歩いた頃、平原に変化があった。

 雨が止んだ。


 傘を閉じ、軽く水滴を払う。

 そういえばこの傘は、広がりを抑えるベルトのようなパーツが付いていない。今日あの紐のような部品がない傘は見ることがないので、珍しい傘だ。古い日本傘の番傘なんかには付いていなかったと思うし、便利な物として使っている以上それがなかった時代もあったのだろう。

 傘立てにあったときと同じく、閉じてもあまり広がらずコンパクトなので無くても大丈夫そうだ。


 先から雫が滴る傘を片手に、後ろを振り返る。

 少し向こうには今では見慣れた暗い空と雨の平原が見える。

 雨の降る平原と今いる平原の間には、巨大なカーテンのような雨の境界が浮き上がっていた。

 対して、今いる平原は"晴れの平原"といえる。

 青空こそないが、草原の草も乾いて、僅かに風も吹いている。

 自分はまた、歩き出した。

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