■■■先生⑤

 フゥと大きく息を吐いてから、ウサギ先生の隣に丸椅子を持って行って、僕は座った。


「お疲れ様。あと一つのお菓子は何にしようか」


 もう次のお題!


 ウサギ先生、本職なだけあって何個お菓子作ろうが全然へっちゃらなんだろうな。さて、どのお菓子教えてもらおう。せっかくだから難しいのがいいよね。


「あ!」と思い出して、僕はポンと手を打った。


「僕、何度作っても上手く作れないお菓子があって、シュークリームなんですけど。シュー生地、上手く膨らんだと思っても結局しぼんじゃうんです」


「ああ。家庭用のオーブンならシュー生地焼くのは難しいと思うよ」


 え! オーブンで違うの!?


「俺たち菓子職人が使ってる業務用オーブンはフタ開けたところで、オーブン内の温度下がらないけど、家庭用は思いっきり下がるからな。それに上下火の温度調節もできないだろうし」


 僕は、目をパチクリとさせる。オーブンを上下で温度を変える!?


 青天の霹靂!


「俺、自宅でシュー生地焼いたことないから、家庭用オーブンで上手く焼く方法はわからないけど、とりあえずアオイが感覚つかめるように、次はシュー生地にしようか」


 もしかして、僕がずっと使っていた『オーブン』のスキルは業務用だったの……?


〔 肯定します。オーブン内の上下火の温度はそれぞれ設定可能です 〕


 オーブンさん、いままで全然、本領発揮させてあげられてなくて、ごめんなさい。



 気を取り直して、シュー生地を教えてもらうことにした。


「えっと、じゃあ材料だしてもらうけど、『パータ・シュー』で出して」


 また、かっちょいい専門用語キターッ!


 Menuメニューさんに『パータ・シュー』の材料を頼むと、無塩バター、グラニュー糖、塩、薄力粉に卵。そして、分量の水が出力された。


「シュー生地作りは、パイ生地とは逆に生地の温度を下げたくないから湯せんを用意して」


 ウサギ先生の的確な指示が飛ぶ。


 先生の頭の中にはきっと完成したパズルの絵があって、それに向かって最短距離で進んでいるんだろうけど、わけもわからずに、言われるがまま道を進む僕からすると、ただただ「職人さん、すごい!!」という感想しか出てこない。


 『ボイル』スキルで湯を沸かす。湯せんの準備が終わると、卵を全卵でよく溶きほぐした。


「卵の白身のどろっとしたところが残ってると、卵を少しずつ加えていくときに一気に入れすぎたりしちゃうから、よく切って混ぜてくれ」


 泡立て器で白身を切ろうと卵をかき混ぜていたら、ウサギ先生にストップをかけられた。


「ああ。そうじゃなくて、箸の方がやりやすいかも。ボウルの底に箸をしっかりつけて、そのまま左右に動かすと白身切れるから、やってみて」


 僕は泡立て器を置いて、長い調理用の菜箸に持ち変える。


「わ! すごい! 上手く切れた」


 白身が切れた後は、泡立て器でよくかき混ぜて全卵の液を作った。湯せんに当てて、全卵液を人肌に温める。次は、鍋に無塩バター、グラニュー糖、塩、水を入れ、火にかけた。


「沸騰したところで一度火を止めて、一気に薄力粉入れてから、もう一度火にかけて」


 薄力粉を鍋に投入し、手早く木べらで混ぜた。混ぜ続けると生地に透明感が出てきて、一つの塊のようになる。そして、鍋の底に薄い膜のようなものが張り、生地がくっつかなくなってきた。


「よし。もう火から外していいよ」


 鍋を火から外すと、生地をボウルに入れて、今度は少しずつ先ほど用意した全卵液を加える。


「そうそう。全卵加えるごとによく混ぜて」


 僕は先生の指示通りに、全卵液を加えてはよく混ぜるを繰り返す。生地をすくってみて、生地がボトッと落ちる固さになると、先生は「それでオーケーだよ」と言ってくれた。


「いよいよ、焼きですね!」


 シュー生地を絞るために、絞り袋と金属の搾り口を調理台の下から取り出す。


 ウサギ先生は、金属の搾り口をいくつか見た後で、直径一センチほどの丸型の口を選んでくれた。


〔 アオイ、六十分経ちました 〕


「あ! パイ生地寝かせる時間も経ったみたいです!」


 ウサギ先生に報告をする。


「寝かせる時間は、本当は一晩でもいいくらいだから、シュー生地を焼くのを先にしてしまおう。でもレシピ登録はしておいたら、どうだ?」


〔 レシピスキル:『パータ・ブリゼ(葵)』を新規登録しました 〕


 僕は心の中でガッツポーズをした。



 絞り袋に金具をセットして、シュー生地を入れていく。詰め終わった絞り袋を手に持つと、結構温かかった。


「天板に二、三センチ間隔で直径三センチくらいの丸になるように絞って。あと生地が冷めると膨らまない原因になるから手早くしよう」


 僕は緊張しながら、絞り袋でシュー生地を絞っていく。


「アオイは本当に手先が器用だな」


 搾り終わった後で、ウサギ先生はそう言って褒めてくれた。やったぁ!


「絞り終わったところでツノが立っちゃった場合は、指に水つけてならすといいよ。ボコボコのままだと、出来上がりの見栄えが悪くなるから」


 いくつかできたシュー生地のツノを、僕は言われた通り、水で濡らした指で整えて丸くした。


「よし。オーブン温度は、上火百六五度、下火百八〇度で六十分。最初は『蒸す』スキルを並行して使用する。オーブンの中に十分な水蒸気がある状態で焼くのがコツだ。業務用オーブンはスチーム機能があるけど、家で作る時はシュー生地の表面に霧吹きで水を吹きかけるといい」


〔 『オーブン』上火百六五度・下火百八〇度・六十分で開始。六十分後にタイマーを設定します 〕


「よし、じゃあ。アップルパイを完成させよう」


 丸椅子からウサギ先生は飛び降りると、オーブンの前に仁王立ちして、オーブンのガラス窓を見ながら、僕の方は特に見ずにそう指示を出した。先生、すごい真剣!


 Menuメニューさん、前に作ったリンゴのコンポートをお願いします。


 出力されたリンゴのコンポートにシナモンパウダーを混ぜる。そして、簡易冷蔵庫からパイ生地を取り出すと、大理石のマーブル台の上でパイ生地を底用とフタ用で二分割した。


 まずは、底用のパイ生地を薄く均一に伸ばして、用意していたパイ皿の底に敷いて少しギュッと指で抑えてからセットする。フォークでパイ皿の底部分の生地にいくつも穴を開けて、焼いている最中に浮き上がってこないように対策を行った。


 次に、フタ用のパイ生地を伸ばした。フタとなるパイ生地の準備が終わると、いよいよリンゴのコンポートをパイの中に敷き詰めて、上からフタ用のパイ生地を被せる。


 僕はパイ皿のフチをフォークで、ギュッギュッと抑えて底の生地とフタの生地をぐるりと一周、密着させた。パイ皿からはみ出したパイ生地をナイフでカットする。


 最後に、フタのパイ生地に時計の針のように三カ所切れ込みを入れた。あ、表面に塗る溶き卵を忘れていた。


 僕は一度、焼く前のアップルパイを簡易冷蔵庫にしまうと、慌てて溶き卵とハケの準備をする。やっぱり、ウサギ先生みたいに全部見通したような手順では進められないなぁ。


 アップルパイの表面に溶き卵をハケで塗っていく。今回こそ上手くできますように!


 そう願いながら、使ってない方のオーブンにアップルパイを投入した。


 普通に百八十度で、四十分くらいでいいよね。三十分で様子見よう。


〔 『オーブン』百八十度・四十分で開始。三十分後にタイマーを設定します 〕


 いつの間にか僕の様子を見ていたウサギ先生は、「そういえば、まだ『粉乳』作ってなかったよな?」と話しかけてきた。


「はい。『乾燥』スキルが解放されてからって話で」


 Menuメニューさん、粉乳の取得条件教えてください。


〔 素材スキル『粉乳』の情報を一部開示。『粉乳』取得条件:素材スキル『牛乳』及び調理製造スキル『遠心分離』『ボイル』『■■■』の取得 〕


〔 調理製造スキル『■■■』の情報を一部開示。『■■■』取得条件:調理製造スキル『オーブン』『乾燥』『送風』の取得。現在、調理製造スキル『■■■』の作成が可能ため、作成を開始します。……。調理製造スキル『熱風乾燥』の取得に成功しました 〕


〔 素材スキル『粉乳』の情報を全開示。『粉乳』取得条件:素材スキル『牛乳』及び調理製造スキル『遠心分離』『ボイル』『熱風乾燥』の取得。現在、素材スキル『粉乳』の作成が可能ため、作成を開始します。……。素材スキル『粉乳』の取得に成功しました 〕


「あ、なんかMenuメニューさんが今『粉乳』作ってくれました」


 僕が苦笑しながら、そう報告すると、ウサギ先生も吹き出す。


「あはは。相変わらずだな、Menuメニューは。アオイのMenuメニューは、俺のMenuメニューの妹分だな。姉ちゃんの方は、お堅い学校の先生みたいな奴だったけど、アオイのMenuメニューはまた違いそうだ」


「んー。Menuメニューさん、可愛いです。反応とか。褒めると『恐縮です』って返してくれますし」


 ウサギ先生はMenuメニューさんの話を聞いて、とても懐かしそうに笑った。



 オーブンの中のシュー生地がどんどん膨らんでいく。


「温度変更しよう。上火百九十度、下火百五十度。あともう『蒸す』のスキルは止めていい」


 言われた通りにスキルの使用を中止して、Menuメニューさんに伝える。


〔 『オーブン』上火百九十度・下火百五十度に変更します 〕


 僕もウサギ先生と一緒にオーブンの窓を覗き込む。オレンジ色の光に照らされる膨らんだシュー生地は、オーブンの外まで美味しそうな匂いを漂わせている。


 ウサギ先生はしばらくシュー生地を眺めていて、あるところでこう言った。


「ダンパー開けろって、Menuメニューに伝えてくれる?」


 ダンパーが何かよくわからないけど、言われた通りにした。


〔 ダンパー開放します 〕


「家庭用のだと難しいんだろうけど、業務用だとダンパーっていう空気口を開けてオーブン内の水分を外に排出して、オーブンの中を乾燥させたりできるんだ。だからシュー生地もパリッと焼きあがるんだけど、……家だとどうすればいいんだろうな」


 ウサギ先生はカッコよく説明していたのに、最後の最後で首をかしげて急にフワッとしたことを言いだしたので、僕は面白くて仕方なかった。



 ――バリッ。


 突然、部屋の空気中に静電気のようなものが走る。僕は驚いて、音と光がした方に目を向けた。


 そこには、絶世の美女が般若のお面みたいな顔で立っていたので、僕は心底震え上がった。

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