異世界生活1日目
1日目①
ナッペ、ナッペ、ナッペ。
回転台の上にスポンジケーキを乗せて、生クリームを塗り、デコレーションをしていく。
何台も何台も何台も……ジングルベルの鐘が鳴り終わるまで……。
「ナッペ!」
俺は、ケーキ屋の専門用語を叫んで飛び起きた。落ち着け、クリスマスはもう終わったはず。ちなみに、ナッペとは、スポンジケーキの表面にクリームを塗ることである。
ん? ってか、なんか生臭いな。目の前に……ゴムパッキン……。は?
「陛下ぁ。起きたみたいだよぉ」
間の抜けた声がゴムパッキンから聞こえた。
「ふむ。シロクマ将軍、大儀であった」
「えへへ。褒められたぁ」
は? 白……熊……? は?
確かに目の前には、白熊が立っていた。白熊って、二足歩行できるのか? 戦争映画で観るような軍服も着ているし、そもそも喋ってんぞ。
とりあえず、死んだふりしよう。
「あれ? また寝ちゃった。もう一回『
「……クッサッ!!」
思わず激臭に跳び起きてしまう。再び、謎の二足歩行生物と目が合ってしまった。
「目、覚めた?」
白熊は首をかしげて尋ねてくる。そのゴムパッキンのように黒く縁取りされた口元からは、凶暴な肉食動物の牙が覗いていた。食うなら寝ている間に食ってほしかった。
「……はい」
俺は仕方なく声を絞りだす。
「さて、異邦より訪れし者よ。そなたは何ができるのだ」
今度は、白熊とは別の女の声の方向に目をやる。修学旅行先で見た既視感が鎮座していた。
「……大仏?」
デカイ布団にデカイ女が大仏のように横たわっている。喋る白熊に、大仏女。これ夢か?
「ふむ。『ダイブツ』ということができるのか?」
大仏女は肩ひじで身体を支えると、少し身を起こす。
「いや、大仏はアンタのことだけど……って、女に、大仏は失礼か」
床に胡坐をかいた状態で、俺が小声でブツブツ言っていると、彼女の方も少し考え事でもするかのように顎に手を当てた。
「
大仏女の喋り方は、なんだか時代がかっていて変だ。彼女は、なおもこう続けた。
「そなた、元の世界に帰りたいか?」
だんだん腹立ってきたな。「この世界に役立つ者」だと? まるで俺がハズレだったみたいな言い方しやがって。
「あ? 当たり前だろ。勝手に連れてきておいて、ナメてんのか。あと特技ってことなら、菓子が作れる。なんもできねぇわけじゃねぇ」
俺は腕を組んで片眉を上げると、彼女を睨み啖呵を切った。ヤンキー全盛期に公立高校に通っていたせいか、相手にナメられる前にメンチを切る癖が抜けない。
娘にもよく「恥ずかしいから、お父さんやめて」と言われる。
「……『カシ』が何かわからぬが、なにやら面白そうじゃ」
大仏女は俺の不遜な態度など気に留めてさえいないように、そう言って微笑む。その笑った顔に、ちょっとドキリとした。
よくよく見ると、ドエライ金髪美女。笑顔も可愛いし。スタイルもいいし。デカイからちょっと距離感わからんけど。
「ふむ。では、しばし客人として滞在するとよい。そなたの帰還方法は考えておこう。シロクマ将軍よ、あとは任せた」
「あいあいさー」
白熊が手を挙げて応じると、彼女の姿はレースのカーテンの中に消えてしまった。
「え? おい! ちょっと……」
俺の呼びかけが空しく響く。
「ねぇねぇ。お名前は? ボクは、シロクマ!」
あ? 白熊がシロクマって名前なのか? こいつの親、テキトーすぎんだろ。
「……俺は、宇佐木洋司だよ」
シロクマが首を傾げる。
「……ウサギヨージ! 長い?」
「だぁ! もう面倒くせぇな。洋司でいいよ。宇佐木は無しでいい」
シロクマは、俺の手を取ると立ち上がらせた。
「オッケー! ヨージね! とりあえず、ヨージの部屋にゴーゴー!」
突然、目の前に光る輪っかが現れたが、あまりにも変なことばかり起こるので、もう俺は大晦日に神社でくぐる茅の輪ぐらいの気持ちで、シロクマの後に続いてその輪をくぐった。
さて、茅の輪くぐりした先は、やたらとだだっ広いだけで、家具など何もない部屋である。
「家具とかは好きな物を置いていいと思う~」
自分で家具を運び込まないといけないことに困惑しつつも、奥に扉を見つけたので、そこを開けた。寝室か。さすがにベッドはあるな。
寝室の中にさらに扉を開けると、バスルームだった。寝室の扉からシロクマに声をかける。
「それで、家具ってどこから運べばいいんだ?」
シロクマは首をかしげた。いや、首かしげんな。つぶらな瞳でこっちを見つめられても困る。
何回か「んー?」と言いながら、シロクマは首を捻っていたが、やがて手のひらをポンと打つと、質問をようやく理解できたといった感じで話し始めた。
「ネコさん呼んでくるから、ちょっと待ってて。彼女ならメイドのスキルで、家具出せるから」
ネコ……サン……。白熊の次は猫か。俺は犬派だ。
何言っているのか意味不明だが、ここまでも、さんざっぱら理解不能なので、気にしても仕方ない。
シロクマはまた光る輪を出すと、どこかの部屋とこの部屋をつないだ。光の輪でつながれた向こうの部屋に向かって、シロクマが手招きをすると、二足歩行の大きな三毛猫が輪の向こう側から現れる。
「……なんですか?」
開口一番、三毛猫は不機嫌そうに、そう言った。彼女はメイド服を着て、手にはホウキ。かなりテンション低め。うちの娘の反抗期と同レベルだ。
女の機嫌のいい時と悪い時の寒暖差で、こっちが風邪をひくわ。シロクマが事情を説明すると、「わかりました」と彼女は頷いた。
「では、何が必要ですか?」
それにしても暗いな、この子。女の子って意味もなく、ウルサイことの方が多いが。もしかして、ウルサイのうちの娘だけか。などと考えつつも、ネコに要望を伝える。
「とりあえず、シンプルなのでいいからテーブルと椅子がほしい。あと着替えが欲しいかな」
俺の話には応えずに、ネコは無言で踵を返すとホウキを一回転させる。「あ? シカトか、コラ」と言おうと口を開けた次の瞬間、光とともに俺の望んだテーブルと椅子が現れた。
「服、同じものでいいですか?」
淡々と問われたが、何もなかった所に急にテーブルと椅子が出現し、驚きで返事ができない。
「聞いていますか?」
今度は、強めに確認された。俺は、いま着ている洋服を慌てて確認する。店の制服の白のコックコートに、黒のチノパン。コックコートの中は、黒のロングTシャツだ。
「……え……ああ、この白い上着以外は、同じでいい」
彼女は黙って寝室に入り、クローゼットのハンガーラックをホウキで撫でる。次々と、服が現れた。また、何もないところから服が出現したので、俺は呆気に取られる。
シロクマの瞬間移動できる光の輪もそうだが、これは魔法か?
「……ここは魔法の国なのか?」
あと数年で、四十歳になる大人が言うには、あまりにも間の抜けたセリフだ。
「マホウ? マホウじゃなくて、スキルだよぉ。ヨージもヨージだけのスキルが使えるよ」
俺も使える? んなわけねぇーだろ。いやでもこの状況、どう考えても夢だよな。夢の中なら魔法も使えるのか?
俺が困惑していると、シロクマは右手の人差し指をクルクルしながら、視線の右下を指した。
「視界のこのあたりに、なんかない?」
言われた通りに視線を動かすと、確かに電子レンジのタッチパネルのような『
なんだ、これ。すごい技術だな。
『
〔
だれだ? どこにいるんだ? 声の主を探して左右をキョロキョロと見渡す俺を、シロクマとネコは不思議そうに眺めている。もしかして、俺にしか聞こえてないのか?
〔 肯定します。私は、
ア……アイトラ……なんだって。
〔 アイトラッキングです。眼球の動きを自動追尾します 〕
SFかよ。
〔 否定します。サイエンス・フィクションではありません 〕
まぁ、いいやもう。で、なんか俺も魔法使えるの?
〔 『魔法』の定義設定に問題がありますが、概ね肯定します 〕
いちいち学校の先生みたいな奴だな。で、何できるわけ。
〔 一度、ご自身でお試しください 〕
視界に『レシピスキル』と書かれた項目が表示された。視線を動かしていくと、店のメニューに加えて、俺が今まで作ったことのある菓子の名前がズラズラと並んでいる。
うちの店は、昔から看板商品のショートケーキと、数年前から始めたガトーショコラが人気だ。一覧の中に『ショートケーキ』と『ガトーショコラ』を見つけた。
ショートケーキは、しばらく名前も見たくないのでパス。次は二月のバレンタインデーか。
うんじゃ『ガトーショコラ』を選択と。
ベッショ……。
足元に目をやると、床に落ちて潰れたガトーショコラがご臨終していた。
は?
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