第二章 本物の菓子職人

1999年12月25日19時すぎ

 一九九九年、十二月二十五日。


 ノストラダムスの大予言が外れた年のクリスマス。十九時過ぎ。



「お父さーん! 最後のケーキ、お受け取り終わったから、お店閉めちゃうよ~」


 店頭の方から娘の声が聞こえるが、もう微動だにできないし、声も上げられない。


 死ぬ。毎年のこととはいえ、死ぬ。マジで死ぬ。調理場の隣のスタッフルームで、ソファーに倒れこんだ俺は、今まさに死んでいる。


 俺の名は、宇佐木うさぎ洋司ようじ。三十八歳。バツイチ独身。娘あり。


 この街で祖父の代から続く洋菓子店『ボンボン・ラパン』の三代目菓子職人パティシエだ。ちなみに、店名は、フランス語で「ウサギのお菓子」という意味である。名字である宇佐木うさぎからちなんで、祖父がつけた。


 とにかく、この誰にしているのか不明な自己紹介をしてしまうレベルで疲れているのはおわかりいただけただろうか。


 ケーキ屋はどこの店もそうだろうが、一番の繁忙期はクリスマスだ。二十三日から二十五日の三日間で、ものすごい量のケーキを作らなければならない。特にショートケーキは悪夢にうなされるほどの予約が入る。


「……センパイ、今年はマジでヤバかったですね……」


 丸椅子の上で、試合後のボクサーのようにうなだれていた製菓専門学校時代の後輩がそう呻いた。


 こいつが助っ人に来てくれなかったら、本当に事前にご予約いただいていた分のクリスマスケーキもお断りする羽目になっていたので、感謝しかない。



 四日前の仕込み中に、親父が倒れた。急性心筋梗塞だった。一命はとりとめたものの絶対安静で入院。


 しかしながら、菓子職人の本能か這ってでも店に来ようとするので、母が、父が病院を脱走しないように見張ることになり、調理場の主戦力がマイナス一に、店頭の主戦力もマイナス一という危機的状況で迎えた今年のクリスマス。


 正直、父親よりも先に俺の方がキリストの元に旅立ちそうだった。いや、うちは臨済宗の仏教徒だけどさ。


「お父さん、レジ閉めたよ。売上金、とりあえず金庫に入れておくけど、ちゃんと帰りに手数料かかってもATMで預けるんだよ」


 声も身体も動かないので、目だけで「はい」と訴えると、娘は腰に手を当ててため息をついた。その姿は元妻にそっくりだ。年々似てくるなぁ。



 元妻とは高校生の時に出会い交際し、俺は製菓専門学校へ、優秀だった彼女は非常に有名な大学へ進学した。


 娘ができたのは、まだ彼女が大学生の時で、俺は双方の父親からぶん殴られる等の大変な騒動になったが、最終的には認めてもらって俺たちは籍を入れ、彼女は大学を休学して娘を出産した。


 結局、五年も持たずに、若い二人の結婚生活はあっけなく終わってしまったが。



「お母さん、もう店の前まで、迎えに来てくれてるから行くね。私、今夜はあっちの家に泊まるから。お父さん、お店でこのまま寝て風邪ひいたりしないでよね」


 娘は元妻に引き取られたが、彼女が再婚し弟ができると、俺と一緒に暮らしたいというようになった。


 再婚相手は優しい人で全く問題はないようだったが、弟が大変賢い子らしく、残念ながら俺の学力を受け継いでしまった娘には、少し居心地が悪かったらしい。


 最初は、難色を示していた元妻も中学生になった娘が「菓子職人になりたい。店を継ぎたい」とハッキリと主張し始めたら、親権変更に応じてくれた。


 高校生になってからは俺と暮らし、時々向こうの家に行くという関係である。


 最後の力を振り絞り、冷蔵庫を指さす。冷蔵庫には、娘にあちらの家へのお土産として、持たせようとしていたクリスマスケーキが入っている。


 懸命に指をさしながら「あ…」とか「う…」とか呻いていたら娘は察してくれた。さすが俺の娘。後輩にも謝礼を渡さなければ……娘が金庫を開けた時に気がついたようで、俺の代わりに封筒を渡してくれている。さすが俺の娘。


 娘と後輩が何か言っているが、もう無理だった。俺の瞼はそのまま閉じた。



――――――――――――

――――――――

――――……


〔 ……異世界人召喚プロトコル開始します 〕


 ハッと、目を覚ます。見渡す限りの白い空間。俺、マジで死んだか?


〔 否定します 〕


 あ? なんだこの声。いせ? ぷろ? なんだそれ。


〔 召喚対象、解析中……。解析完了。対象者:宇佐木洋司、職業・菓子職人。


 対象者の環境適正化を開始……。対象者の環境適正化完了。多世界秩序MWOへ召喚ギフト『菓子職人パティシエ』を申請……。


 召喚ギフトの構築許可を確認。召喚ギフト構築開始します 〕


 は? は? は? マジでなに。


〔 対象者専用インターフェイスシステム構築中……召喚ギフト及びインターフェイスシステム構築完了 〕


 くっそ、この女、他人ひとの話、聞かねぇな。元妻を思い出すわ。


〔 召喚ギフト出力開始します 〕


 目の前に何重もの光の輪が回転しながら、大きくなったり小さくなったりを繰り返している。やがて、光の輪はどんどん小さくなっていき、矢のように細くなると、俺の心臓を貫いた。


 あ、マジでこれ死ぬわ。店、大丈夫かな。親父、俺の代わりにあの子が菓子職人になるまで長生きしてくれ。


〔 対象者への召喚ギフト『菓子職人パティシエ』インストール完了。対象者専用インターフェイスシステム起動成功 〕


〔 私は、菓子職人パティシエインターフェイスシステム『Menuメニュー』です。ご用命の際は、『Menuメニュー』とお呼び出しください 〕


〔 世界転移を開始 〕


 急に身体が支えを失い、空間を落下する。あまりの気分の悪さに意識が、また薄れ始めた。


 店の売上金、大丈夫か? 空き巣入ったら、どうしよう。それにしても、なんなんだよ。俺、落ちる系ジェットコースター苦手なのに……。


〔 貴方の存在が、女神ノルンの助けとなることを期待します 〕


 そして、目の前が真っ暗になった。

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