新しい目的地
アンに乗ってエルミナを移動するインが向かったのは、フィールのギルドである
【天之夜明け】だった。
屋台の立ち並ぶ道から路地裏に入り、そのままズカズカと進んでいく。
暗い道を抜け、ようやく日差しが舞い降りる開けた場所に出てきた。
ホタル火の浮かぶ空間。
その中央に位置する大木こそが、【天之夜明け】だ。
インはアンから降りると、ギルドの扉を数回ノックする。
すると数秒足らずで「誰だ」と職員と思しき男性がだるそうに扉を開けた。
「フィールさんは――」
バタンッ!
目を見開いた男性の手によって閉じられた。
扉が勢いよく音を立てて。
数秒その場で固まるイン。
しかし次第に男性の視線がアンに向かっていたのを思い出すと、もう一度扉をノックする。
「はい……」
やつれた姿で扉から顔を覗かせる男性職員は「ひっ……」っと悲鳴を漏らす。
やはりその視線はインではなく、アンの方へと注がれている。
徐々に顔が呆けていく男性。
ニッコリと笑みを浮かべたインは、これ以上ないほど含みのある弾んだ声で問いかける。
「あなたは虫ちゃん、好きですか?」
* * *
「まぁ後で言っとくよ」
「よろしくお願いしますね!」
面倒くさそうに首を鳴らすフィール。
こうでも言っておけば納得するだろうとの判断だろうか。
頼んだインはというと、それはもうニコニコとした笑みだ。
当然、その内面は憤怒の炎で燃え盛っているのだが。
腕を抱き寄せたフィールは、「誰よりも複雑さね」と震えてみせた。
インは客室に通されると、部屋の中央に位置する切り株の椅子に腰を下ろす。
「スリーの件だろう」
対面に来るよう座り込んだフィール。
「そうですそうです! どうなりましたか!?」
イベント前にスリーと一緒に行くという約束は果たした。
その時に虫ちゃんを新しく仲間にできる魔道具を開発すると言ったはず。
あの件はどうなったのかと、興奮気味に身を乗り出してインは尋ねた。
「その前にさ。あいつこのギルドを抜ける申請をしてきてね。何か覚えがあるなら聞かせてはくれないか?」
こっちの方が今は大事だとばかりにインを抑制するフィール。
どうやらスリーは、魔道具を捨てて魔法を一からやり直していくという決意をまだ伝えていなかったらしい。
あの人はほんととインは呆れていた。
それと同時に聞きたいことがあった。
「スリーさんはギルドから抜けたんですか?」
「いーやまだだ。だが顔を出さなくなってるのも事実だ。何してんのか」
自分の口からスリーの決意を伝えるのは簡単だ。
けどそれをスリーが望むだろうか。
そっちで伝えてくれて助かったというだろうか。
むしろ、余計なことをしやがったとばかりに罵声を浴びせてくることだろう。
それはごめんだった。
「じゃあ私からは話さない方が良いですね。スリーさんから聞いてください」
それに最後の戦いで見せたスリーの瞳は勇気と覚悟に溢れていた。
なら自分が答えるものじゃない。
インの答えに驚いた顔を見せるフィール。
しかし途端にくつくつと腹を抱え始めた。
「あー、そうしとく。危うくネタバレするとこだったよ」
「悪いことではないとだけ言っておきますよ。あれはセミちゃんの類ですからね」
フィールが手をパタパタとさせながら「清々しさで言えば蝶だろ」と返せば、インは「土の中にいたまでを仮定すればセミちゃんです」と納得のゆく表情で頷き返す。
「空を飛べても一週間」
「それデマなんですけどね。種によって違いますし。魔道具はどうなりましたか!」
「もう少し余韻に浸りたかったんだがしょうがない」
スリーの件はまた後での別件として、今は虫ちゃん。
新しく虫ちゃんを仲間にできると考えたインの脳内では、そのひとつでいっぱいいっぱいだった。
しかしフィールの表情は芳しくない。
非常に言いにくそうな声を出す。
「単純に飼うのと使役するのとでは違うみたいで。まだ少しかかりそうだ」
「それは約束が――!」
「まぁまぁ、あたしのように焦らされてると思って」
机を叩いたイン。
それでも納得がいかず、ムッとする。
ずっと期待していたのにそれは無いんじゃないかと。
スリーと一緒にいて最後は楽しかったけど、魔道具の報酬の件は別だろうと。
報酬を用意すると言われたのにまだできていない。
怒るのも納得だと、手で何とかインを鎮めていたフィールはいっそ大声で宣言する。
「ともかく! 無いもんは無い!」
「それ胸を張って言える言葉ですか」
インの白けるような目から逃れるようにフィールは顔を逸らす。
この様子ではいくら言っても無いのだろう。
「まぁいいです。思えばイベント最中でしたから。いきなり押しかけてこっちもごめんなさい」
すぐにできるとはいえダンジョンイベント最中もずっと作れってのは無理がある。
リアルでの仕事が忙しかったのかもしれない。
そう頭を冷やしたインは、少し思うところがありながらも頭を下げた。
「納期に間に合わなかったのはこっちの失態だ。こっちこそすまん」
お互い謝罪した後、フィールは魔道具の完成は三週間後になるだろうから、その後でまた来るよう約束を取り付ける。
インはといえば、魔道具に関して少し触れた程度なので全て任せることに。
そうして席を立ったフィールに、インは思い出したかのように声を上げた。
「フィールさん! 力を抑制する魔道具って作れますか!?」
「作れんことは無いだろうけど、何に使うつもりだ?」
「アンちゃんです!」
インの答えはあまりにも予想外すぎたのだろう。
フィールの体が固まった。
それからしばらくして、「話しを聞こうか」と面白そうな顔で乗ってくる。
これにインは「実はですね」と、アンのステータスを開いて説明する。
「これだとチームの輪がですね」
「話しは大体分かった。あたしならまずこんな化け物とは戦いたくないね。運営のバグを疑うレベル。なんか準レイド級とか書いてるし」
アンのステータスは、既にLV1のものと比べて遥かに開いていた。
フィールが言うにはハルトパーティが束になって戦うような相手であると。
PVPイベントでは絶対に当たりたくないし、手を組みたいレベルだと。
そこまで評され、今度は逆にインの方が驚く番であった。
ハルトが止めてくれとは言ったが、まさかそこまでの力だったとはと。
「あたしの結論といえばそうさね。作ってもいいが、その前に言いたいことがある」
「……何ですか?」
「作る必要なくないか? 暴走してんならともかく、抑制できている力を無理に押さえつけるものじゃない」
それは、フィールに反対される前からインも分かっていた。
アンのせいにしているだけで、実際は自分の力不足が招いている現状なのだと。
アンを考慮したうえでチームの作戦は考えるものなのだと。
しかしアンのステータスを考慮に入れると、たいていの敵が一撃死という末路を迎える。
どっちかをとればどっちかが疎かになる。
みんなを活躍させてあげたいと考えるのは間違っているのだろうか。
「虫の嬢ちゃん、前々から常々思ってたんだが少し固すぎやしないか?」
「そう……ですか?」
「みんなを活躍させてあげたいんだろ。だったら、ハルトやファイたちが普段戦いに行く場所に行きゃいい話じゃないか」
ハルトやファイのいる場所といえば、かなりの上位プレイヤーが募る場所だ。
そんなところに始めたばかりで行くのはどうなんだろうか。
再びインが考えようとする前に、フィールは手を叩く。
「行って体験してくりゃいいじゃないか。経験なしで成長できないだろ」
「けど――」
「はいはい! ここはゲーム! 難しく考えなくとも次は来る!」
いつまでもLV上げ、進化をしてきたからこうなっているんだろとフィールは諭してくる。
何事も経験。
試してみることが大事。
いつかどこかで言われたような、自分が言ったような言葉。
なんで忘れていたんだろう。
インは頭の中が広がっていく感触を覚え、体が軽くなるのを感じていた。
「そうですね! ピジョンちゃんを誘って行ってみることにします!」
「それは止めときな。全方面から攻撃受ける」
割と真面目な顔で申告するフィール。
ネタバレ、ではなく全方面からの攻撃。
割ともう遅いような気もしなくはないが、まだギリギリのラインで保てている。
ともあれ、新しい目的地を見つけることができたイン。
すぐにピジョンに連絡を取ろうとするインを、フィールは「意味が無いな」と嘆くのであった。
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