精霊樹

 水没した湿地帯。

 そこにはポツンと場違いな石碑が設置されていたはずだ。

 そこには上位精霊、司る物質、道は開かれんなどといった事が彫られていた。

 宴会の陽気に当てられつい忘れていたが、思い出したかのようにインが口にする。

 ピジョンもそういえばと言葉にして頷いた。

 どうやら思い出したようだ。

 取り残されたのは宴会中、仁之介と名を名乗った元酒虫に寄生されていた男性。

 杯片手に「はて何の事だ?」と問いただしてくるので、インとピジョンが説明を開始した。


「そのような物が……」

「酒虫はある国では、酒の精霊だと呼ばれることもあるので」

「して、酒虫を貸してほしいとな?」


 あの石碑に彫られていたことが本当であるかは分からない。

 だがもしそれが本当であれば。

 もし精霊を連れて行った場合どうなるのか。

 どのように道が開くのか。

 開けた先に何が広がっているのか。

 果てなき未知に一番乗り出来ると考えたのか、探究心を覗かせ、貸し欲しい旨をピジョンは告げる。


「断る!」


 しかしこれを仁之介はきっぱりと断ち切った。

 「ケチー!」と騒ぐ鳥を置いて、どうしてなのかをインが尋ねるとこう返答が返ってきた。


 曰はく、この場でただの水から上等な酒を造り、そのまま人を集めて宴会を開けたのだ。

 今この場で、酒虫の価値は測り知れないものとなった。

 もしそのまま取られてしまえば、残るは不幸のみ。

 少しでも芽は摘み取っておきたいとの事。

 そしてそもそもと前置きを入れて仁之介は続ける。


「儂がその要求を飲んだとして何の理がある」


 酒虫は元々仁之介に寄生していた虫だ。

 インとピジョンに取り出してもらったとはいえ、所有権という面から見れば変わらないだろう。

 加えて二人の行動を悪く言うと、敢えて取り出させるように仕向けた。

 なんて見方もできる。

 酒が入っているからか、疑う理由について饒舌に語る仁之介。

 そして最後に、「儂はお前が一番信用できない」とピジョンへ目を向けた。


(気持ちは分かるなぁ)


 ピジョンを信用することは難しい。

 インからすればこれほど納得のいく言葉はない。

 イベントの行動、今までの言動、最初の助言以外何一つ信用できる要因が見当たらない。

 しかしここで納得してもらえなければ、酒虫を借りるなんて事は到底難しいであろう。


 どう納得させるか、インが考えだそうとする前、仁之介が驚くべき言葉を口にする。


「どうしてもというのであれば、儂と小奴ら何人かを連れて行け」


 *  *  *


 場所は再びあの湿地帯。

 道中の魔物は、意外にもNPCである仁之介とその家来が、相手を取っていた。

 水のハンデをものともせず、ダメージを負えばすぐに後ろの者が前に出て代わりに戦う。

 三段撃ちと似た戦法で、出てくる蛇やネズミを難なく討伐していた。

 とはいえもちろん、インとその虫たち、ピジョンも戦闘に参加しなかったわけではない。

 アンとミミの見事な連携を見せ、出てくる魔物を屠っていった。

 そうしてイン達一行は、くるぶしほどまでつかる水に足を取られつつも、何とか石碑のある場所まで足を運ぶ。


「ふむ、酒虫をここまで連れてきたぞ。して、何が起こる?」


 何かに呼応するかのように地面が揺れ動きだした。

 なんだなんだと驚きつつも、酒虫が入った水瓶を落とさないように抱える仁之介。

 インはミミにしがみ付き、家来たちの体勢を崩させないよう、触手を伸ばすように指示を出す。


「いつまで続くのこの揺れ!?」

「さぁてね。鬼が出るか蛇が出るか」


 依然何かに掴まる様子は無く、どっしりと二つの足で立つピジョン。

 インの、早く収まってほしいという願いとは裏腹に、揺れは酷くなっていく一方だ。

 そしてなんと、モーゼの滝のように木がどいていき通路が現れていくではないか。


「収まった……?」

「みたいだね~」


 結局、最後まで何かに掴まる事が無かったピジョンが肯定するように言うと、新たにできた道に瞳を輝かせる。


「このようなカラクリがあったとは……」

「本当に軌跡みたいだよ!」


 まさか酒の精霊を連れてくるだけでこんな仕掛けが作動するとは。

 ファンタジー世界はすごいと、語彙力が低下したインが感嘆している中、我先にとピジョンが足を動かした。


「何しているの~? こんな面白そうなの、行かなきゃ損だよ~!」


「待ってよー!」とイン。

 仁之介はというと、何があってもいいように広場に数人待機させてから、同じように続いていった。


 通路の先。

 開けた場所で待っていたのは大樹であった。

 下からはどこまで伸びているかは分からないが、大きな緑葉とした傘を広げている。

 傘の上から淡い光の粒子が雪のようにしんしんと降り注ぐ。

 水没していた一帯の地面からは水が抜けており、誰にも邪魔されることなく草花が成長していた。

 差し詰め湿地帯の、隠れた聖域とでも表現した方が良いだろうか。

 湿地帯にいたのに、今まで見えなかったのが不思議なくらいだ。


 誰にも邪魔されることが無かった聖域に突然来訪者が来たからか、驚いたように草が風に揺れた。

 同時に風は、ピジョンとインが悪しきものではないか、確かめるように無感情に肌を撫でていった。


 一緒に来ていたピジョンは無言で大樹を見上げ、一言誰かに聞こえるはずもなく小さく呟いた。

 統一するならしてほしい、と。

 インは久しぶりに感じる幻想的な空間に息を飲む。

 そこにようやく、酒虫を大事に抱えた仁之介が到着を果たした。

 そして一言、「ここはどこであろうか?」と言葉にする。


「誰だ?」


 頭に直接響いてくる無機質な声。

 同じ言葉を仁之介が返すと、もう一度同じように返事が返ってくる。


「我は樹蝶命コクノシのミコト。ただの老いぼれ精霊樹が一柱だ」

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