酒虫

 自分の耳がおかしくなったのだろうか。

 あそこまで不幸になるかもしれないと説明しておいて、取り出してくれなんて頼んで来るであろうか。

 インがあほの子のように口を開けると、もう一度男性が口にする。


「酒虫を体の中から取り除いておくれ」

「へぇ~」


 ピジョンが面白そうに口角を上げる。


「いやいやいやいや不幸になるんですよ!? なんで酒虫を取り出そうと――」

「まぁまぁインちゃんは戦闘の時しか脳が働かないのかにゃ?」

「だってピジョンちゃん!」


 酒虫の取りだしにインは猛烈に反対するが、ピジョンはさほど重く見ていないのだろう。

 あっけらかんとした表情で言い放ってくる。

 このまま言い合いに発展しそうな雰囲気。

 原因を作った男性は落ち着きを促すかのように手を突きだす。


「気持ちは分かる。しかし、酒虫からは極上の酒を作り出せるのだろう? しかも水から。だがな」


 曰はくこれ以上にコストが安く、なおかつ王へ貢物、献上品となるのはなかなかない。

 是非とも手に入れておきたいと、男性は言うのだ。

 もし逸話道理であれば、酒虫で作られた酒の味はというと、正しく水のように呑めてしつこくない。

 まさしく極上の酒だと謳われている。

 酒虫を取り除きたくなるのも納得がいくだろう。


「なに。儂とて不幸になると告げられれば不安になる。だからイン。お前に頼みがある。この酒虫を取り除いて上で、不幸にならない方法を模索してほしいのだ」


 数秒の空白。

 ゆっくりと言葉を飲みこんだインは、再びポカンと間抜け面を晒す。

 腕の中にいるアンは主が放心から帰ってくるかのように腕を叩き、隣ではピジョンが人前だからか、畳を小さく小突いて笑いを抑えている。

 不幸にならないようにどうにかしろ。

 男性が言っていたことは無茶苦茶であった。


「……ッッッ!! 面白いね~。いいよいいよ、インちゃんがやらなくても私はやるよ~」


 ピジョンの承諾と共に、凝り固まった場の雰囲気が一気に柔らかくなる。

 凝り固まっていた肩を落とし、インは息を吐いて差し出された湯呑を手に取る。

 ピジョンが指で丸を作って見せるとインは一口、顔をしかめる。


「さてさて、このくらいでいいかにゃ~。で、ここからは私の見解だけど~」


 ピジョンはそう前置きを入れてから、酒虫についての話しを良く思い出させる。

 確かに最後は不幸になる。

 だが、本当にそうだろうか。

 酒虫の話しはこうも考えられるのではないだろうか。


「宿主と酒虫が、離れたから不幸になった」


 そう、酒虫は最後持って行かれたのだ。

 ここは座敷童とも類似している。

 家からいなくなる、離れたからこそあの人物は不幸になった。

 そう考えれば、酒虫は離れなければ男性が不幸になる事はないのではないだろうか。


「…………でもそれだと分からないよ? 持って行かれなくても不幸になったのかもしれないし、証拠がないよね?」

「戦闘と虫の時は柔らかいのに、それ以外だと本当お堅いね~。酒虫、人生、取り除く。こういうのはやって見なくちゃ分からない。それに、最終的に判断を下すのは……」


 ピジョンがちらりと男性を見やる。


「儂か。……フム、やはり忍び失格は面白い事を言う」

「そう言うって事は?」

「面白い! 是非ともやってくれ」

「だそうだよ、インちゃんはどうするの?」


 元々これはインのクエスト。

 判断を下すのは確かに男性であるが、決めるのはインである。

 ピジョンはインへと振り向いた。


 深く考え込むようにインは面を下げる。

 そしてゆっくりと空気を肺いっぱいに吸い込み、吐き出した。


「そこまで言うなら、やってみる価値はあるのかな。それに――」

「それに? 何かにゃ~インちゃん」

「いやいや、何でもないよ!」


 含み笑いをしながらピジョンがインの顔を覗き込めば、そっと視線から外れるように顔を逸らした。

 しかしその表情はアンと男性からは丸見えである。

 あまりの喜びの感情を抑えきれていないその表情に男性は苦笑を漏らし、アンはやれやれと首を振る。


 今までの主は悩みが過ぎてて、あまりにも気持ちが悪かった、と。

 そして思考を一巡させ、最初から主は変人であったと思い返す。


(酒虫とか現実で見ることできないからね! 本当に両生類に近い形状なのかな! お酒は本当に造れるのかな!! 感触はどうなのかな!! においはどうなのかな!!! 可愛いのかな!!!)


「インちゃん。顔顔。犯罪者みたいになっているよ~」

「え? き、気のせいだよピジョンちゃん。あはは」


 一度咳ばらいをし、無理に表情を戻したインは至って冷静に男性へと告げる。


「じゃあまず、お酒を用意してもらっても良いですか?」


 *  *  *


「あの……これで縛らせる必要があるのですが……」

「ふざけるな! 主君を縛るなどできるものか!」

「ひっ……」


 酒虫を取り除く過程として、宿主の正面に来るように酒を配置させる。

 アンは漂う酒気に身をよじらせ、インの腕から脱出すると視界に入る程度に離れていった。


 続けて男性をイスに座らせる。

 そして縄で縛っておく必要があるので家来の人に頼み込んでみたのだが、主を縛る事はできないと一蹴。

 現在中々次の工程に移れない始末だ。


 何度頼み込んでみても無理な物は無理。

 主への忠誠心は高い。

 急な怒鳴り声に身を縮こませたインは、どうしようかと縄を手に悩みだす。

 そして一つ妙案を思いつくと、イスに縛られた男性に頭を下げた。


「……分かりました。少し強引なので、先に謝りますね。ミミちゃん!」


 インの手に平に置かれた輝石が光り出す。

 焚かれる閃光。

 世界が再び晴れた後に、目を開けた男性と家来の前に現れたのは青いミミズ。

 全長十メートルほどある巨体。

 圧倒的な高さから創り上げられた大雲のような影が、インを含めた全てを包み込む。


「な、なんじゃあぁぁ!! こりゃ!」


 男性は家来の前だというのに肩から力が抜けたかのようにイスにへたり込んだ。

 他にも腰を抜かす者から、町の中でも悲鳴のような者まで、大勢の人達がミミの登場に恐れを抱き始める。

 それほどなまでの絶対感を、ミミは周囲へ放っていた。


「あっ……ミミちゃん『縮小化』!」


 思い出したかのようにインがミミに告げると、天を貫く青いミミズは見る見るうちに縮んでいく。

 影は徐々に小さくなり、一メートルほどの大きさにまで収まるミミ。

 これなら問題ないだろうとインは男性へと振り向くが、その表情は青ざめたままだ。


「どうしました?」

「そっ、それはお前の仲間、で良いのか? 襲っては……来ないのか?」


 あの巨躯を最初に見てしまえば、小さくしたところで無駄なのだろう。

 体を震わせ、助けを乞うのに近い声で訪ねてくる男性に、大丈夫だと笑いかけるイン。

 そして次の瞬間には、その太く大きな触手で男性を縛るよう口にする。


「それ以外の方法はないのか!?」

「縄くらいしか……」

「おい、早く“縄”で縛らんか! はようしろ!」


 命を遮るようにインの手から縄をひったくり、男性の体を縛り始めていく家来たち。

 そのあまりの迅速な対応と返答に、納得がいかないと頬を膨らませてむくれるイン。

 その隣で、ピジョンは苦笑いを浮かべていた。

 どうやら何も言わない方が吉だと判断したようだ。


 理由はどうあれ、第一段階は終了したのでインは次の手順に移行する。


「次は何をすればよいのだ!? こうも酒を見せおって」

「では辛いと思いますけど、お酒をずっと見続けてください」

「拷問か!?」


 男性からしてみれば冗談に思えるかもしれないが本当にこれだけである。

 インとピジョンと男性、三人で暇つぶし程度に今までの冒険を話していると、小刻みに体が震えだし症状が見え始めてくる。


「酒。酒酒酒酒酒。酒が飲みたい。酒が。酒、酒を飲ませろ! 酒といっているだろ! ああムズムズする! 早く! 酒を!」


 周りは急いで男性に駆け寄ろうとするが、インはミミと言葉で行かせないように死守。

 その間も酒の飲みたさからか、おおよそJCにかけるような言葉ではない単語が飛び出てくる。

 しかしそこは、本当に疎いイン。

 何を言っているのか分からないと首を傾ければ、ピジョンは戦闘時にあそこまで頭が回る人物とは思えないと呆れ顔になるのであった。


 しばらくして男性に近づいていくイン。

 ゆっくりと楽にするかのように背中を上下に擦ってやっていると、男性は「ハァァァァックショーーーーーン」っと、屋敷中に響き渡るほどの大きなくしゃみを一つ。

 揺れ動く地震の如く騒がしかったイスはピタリと動きを止めた。


「お疲れ~。元気な酒虫ですよ~」

「その言葉はどうなのかな? 今縄を解きますね」


 アルコールの酒気で逃げるアンに、インはしゃがんで縄を切るよう頼み込む。

 解放された男性はまず嗚咽を漏らした。

 喉を鳴らす酷い咳。

 家来に持ってきてもらった水で軽く口を濯ぐと、次第に息を整え口を開く。


「これが……酒虫か。何ともまぁ奇怪な」


 酒虫は一言でいえば、肉塊のようであった。

 真っ赤な全身。

 造形は虫というより、両生類に近いだろうか。

 小さな手足が見え、背中と尻尾に分割していない一つの小さなひれがついている。

 酒虫と呼称された何かは、水瓶いっぱいにはった酒の中を自由に泳ぎ回る。


 これが自分の体内にいたのを想像してゾッとしたのだろうか。

 男性はもう見たくないとばかりに顔を逸らす。


「あれっ、インちゃん真っ先に触りにとか行かないんだね~?」

「魚みたいだからね。それにほらっ、全身赤くて肉の塊みたいで……」


 全身ピンクのミミズと何が違うのか。

 ピジョンはそうツッコミを言葉に出さず飲み込んだ。

 下手に突いて暴走させる必要もないだろう。


 きっと虫というくくりでも、見た目がこうも魚だと暴走することは無い。

 そう密かに納得したようだ。


 それはそうとインは真っ先に男性へと駆け寄り、ポーションを渡す。

 体調は大丈夫そうかと尋ねれば、むしろ取り出す前より絶好調だと男性は腕をグルグル動かして見せた。

 本当にもう大丈夫なようだ。

 そこへ空気を読まず、ピジョンが手を叩く。


「早速水が酒になるか試してみないかにゃ~?」


 元々至高の酒を作り出し、献上品にすると共に商売にする目的を思い出したのか、確かにと頷いた男性はすぐ水を持ってこさせる。

 水瓶いっぱいにはられた水。

 柄杓で酒虫を移しかえると、よく浸透させるかのようにグルグルとかき混ぜる。

 そしてもうそろそろの頃合いだとインが判断したところで、男性が掬い一口。


「なるほど。これは確かに」

「インちゃん調合キットのお玉貸して~」


 インからお玉を借りうけると、ピジョンも一口。

 まだ未成年なのにとインが横目に見る中、ほっと一息つくように漏らす。


「これは……見事」

「インちゃんこれ肴いらずだよ~!」

「ピジョンちゃん年齢いくつなの?」


 酒虫を取り除いた後だというのに、前と同じく酒を呑みまくる男性。

 水のようにさっぱりとしつこくない酒を水から作り出せるおかげか、途中から周りの人達も誘っていく。

 噂を聞きつけた屋敷の人達が次から次へと現れては場が盛り上がり、遂には軽い宴会のようになっていく。

 こうなれば未成年故飲めないインは自然と注ぎ役に収まってしまう。

 恨みがましく向けた視線の先、同じ未成年のピジョンは何故か飲む方に入っている為助け出してはくれなさそうだ。

 そうして酒虫を取り除いたせいか酔ってしまった男性に、インがある事を思い出し申請する形で宴会は終了していくのであった。

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