ワーム
特に何かトラブルがあるわけでもなく、インは高原に到着する。
草が生い茂り、自然豊かな所だけを見れば最初に向かった草原とは何ら変わりない。
遠くまで見渡せば、野山が蜃気楼のように浮かび上がる。
思えばインが最初にここに来たのはログイン最初の日。
あの時はファイとハルトが何かあっても大丈夫なように守ってくれていた。
しかし今回は一人。
守ってくれる者は、相棒のアンと自分自身だけ。
テイム前の魔物は敵なのだから、場合によっては戦闘となるのもあり得る。
さっさと要件は済ませた方が良いだろう。
(前見つけた湖。どこだろう)
今回のインの目的地は、前到着して寝る時間となったためにログアウトした湖。
あそこに目的の虫が潜んでいるかもしれない。
だがそこは、暗闇の中適当に歩いた末にたどり着いた場所。
いくら日が出ているとしても見つけるのは難しい。
探す手段としてインはアンを見つめるが、王女アリだからゴキブリじゃないと言った手前、湿気のありそうな場所を聞くのも変だ。
「アンちゃん。前来た時の足跡フェロモンとか辿れない?」
アリは古き時代、道を覚えられるとされていた。
しかし実際には、同じ家族の働きアリが通り道に残していった足跡フェロモンを辿って行く形となっている。
一匹しかいなかったはずなのに、えさを運ぶときアリの行列が出来上がるのはそのためだ。
そこでインは、前来た時の足跡、道しるべフェロモンとかを出していて、さらには残ってて辿っていけないかなと、わずかな希望を持って訪ねてみる。
その答えに、アンは触角を動かしてインに伝える。
どう見ても虫の合図じゃ人間には伝わらないはずだが、変態的感性を持つインはハッキリと理解した。
大丈夫そうかもしれないと。
「じゃあアンちゃん。案内して、お願い!」
インが両手を合わせて頼み込むと、アンはしょうがないなとでも言いたそうに口のはさみを動かし、一直線に走りだしていく。
インも釣られて走り出すのだが、いかんせんアンは速度のステータスが高い。
すべてを運に振っているインが追いつけるはずもなく、どんどん距離を引きはなされていく。
「待ってアンちゃん! 速い速い!」
必死に全力疾走する主の姿を、後ろを向いて確認したのだろう。
アンは少しだけ走る速度を抑えると、何とか引き離されないくらいになる。
林を突っ切り、アンにつられるがまま走ったインの眼前に広がるのは、木漏れ日などなく夕方の日が反射して、オレンジ宝石のような美を見せつける煌く湖。
その幻想たるや精霊が遊んでいるといわれても何も違和感はないだろう。
前来た時と同じ場所かどうかは分からないが、湖であることに変わりない。
インはついたと同時に湖周りの土を少し魔物の剣で掘ってみると、ちょうどよく水を含んでおりドロドロとした感触。
そしてインは推測する。
恐らくここならいるだろうと。
「アンちゃん。少し離れてて。それと危なそうと判断したら、すぐ出てきた虫ちゃんに攻撃して」
インは作戦のために香る薬草を取り出し、直径三十センチほどぬかるんでいる土を掘る。
「あっ、これ腐らせておけばよかった。大丈夫かな? 来てくれるかな?」
そもそも実装されていなければいるはずもないのだが、せめてもとインは香る薬草を手で適当に細かくちぎっていく。
(アンちゃんの蟻酸があれば、それっぽくできたんだろうけど)
あいにくとアンの蟻酸は王女アリになった時に使用不可。
そのまま香る薬草を使うしかない。
細かくちぎった香る薬草を泥の中に投下して少し埋め、再び投下して少し埋めるを繰り返し、薬草の断層を作り出す。
(念のために)
インはすぐ近くの水を救いあげると、風通しを良くするのと同じ動きでその辺に撒いていく。
それから三十分ほどで、湖周りはまるで雨が降ったかのように濡れた。
そんなインの行動は、アンの目で見ると何をしているのかさっぱり分からない。
何やってんだこの変人主とでも言いたげな目を向けていた。
「後は離れてっと」
インは魔物のえさを取り出し、アンと共に離れて体育座りをして待機。
アンがいったい何をしていたのか尋ねるように触角で叩くも、インは笑顔を向けるだけで何も話そうとしない。
そうして十分ほどしただろうか。
波が起こるかのように湖の水があふれそうになり、近くの木々がざわついていく。
体育座りをしているインの小さな尻にも、何度も押し上げられるような振動が伝わっていく。
アンは何が起こるか分からないのか主に助けを求めるような目を向けるも、肝心の主はニコニコ笑顔を浮かべて立ち上がるだけで何もしない。
そして、地震を起こす正体が姿を現す。
ちょうど先ほどまでインが薬草と水を撒いていた場所に、十メートルは優に超えそうな細長く、それでいて太ましい強大な存在感が、天まで届くほどの巨体を持って生えでる。
ところどころに持っている触手は、獲物を探しているのか不規則に動く。
天まで持ち上げた目もなく歯もなく口しか持たない顔は、まるで神にでもなったかのようにインのいる下界を見下ろした。
「キタァァァ!!! ワァァァァム!!!」
もしこれが虫好きのインじゃなければ、確実に黄色い声ではなく恐怖の声を上げるだろう。
気持ちの悪い姿を取るミミズ型のワームは、次なる獲物を探すように触手と顔をゆっくりと動かす。
そして両腕を上げるインを見つけると、トラックを連想させるほどの大きさを持つ口を開け、一直線に突き進んでいく。
(こんなにも早く来てくれるなんてラッキーだね!)
流石のアンも、ヌルヌルの体と触手を生やす巨大な存在に黄色い歓声を上げる主に、正気を疑うような真ん丸とした目を向ける。
「じゃあ、ハァ、ハァ、ハァ、行ってくるね! ハァ、アンちゃん! 必ずテイムしてくるからぁ!!」
イカれてるんじゃないのか! ああこの主、完全にやばい奴だ。
とんでもない少女を主に持ってしまった。
そんなぶっ飛んだ感情が、口元に指を這わせて呼吸荒く興奮している主を前にしたアンの頭の中で反復される。
その肝心のやばい主はというと、もう既に魔物のえさを持って何の装備もなしに無茶な突撃をかましている。
それに合わせるようにワームは口を開けると。
「じゃあ、生きてたら会おうね! アンちゃ――!」
パクンッ!
食べられた。
神の怒りを鎮めるため、自ら生贄となった悲劇のヒロインのように喉元を通っていった。
しかしすべてを知っているアンからしてみれば、あれは決してヒロインなどではない。
勝手に呼び出して勝手に突撃していって、勝手に食われた常軌を逸した奇怪すぎるド変態だ。
だがすぐにアンは他人ごとではないと思い知る。
目もなく鼻もなく耳すらない肉塊の色をしたワームの顔が、ゆっくりとアンがいる方向へ動かしたのだ。
その絶望感を、アンの目は語る。
あの変態主、今度会ったらまた噛みついてやると。
だが恨み言はもう遅い。
のっぺらぼうのような顔はアンのすぐそばまで突撃していき、突如としてワームの周囲に光の粒子が踊るように出現すると、今までの敵意が嘘のように消失する。
そしてアンに食らいつくどころか逆にその場で停止したワームの体に、光の粒子が吸い込まれて消えていく。
「やったぁ! テイム成功! 運がいいなぁ!」
小さな声でどこからか聞こえてくる変態の声に、呆然として口と触角をパクパク動かすアン。
同時にワームは胃の中を吐き出すように体を下にすると、中からHPが半分以上削られた粘液まみれのインが、瞳にハートマークを浮かべて飛び出てくる。
「どうアンちゃん! ワームをテイムできたよ! 褒めて褒めて!」
虫の気持ちも考えず、ヌルヌル状態で両手を上げて喜ぶ主。
お気楽そうに心配かけさせたのを無駄にするその態度に、アンはゆっくりと口を開けて地面に痕を残すかのように足を踏み込み、
「何アンちゃん。なんだか怖いよ? 何でそんな口を開いて……って痛い! 痛くないけど痛いよアンちゃん!」
インの顔目がけて飛びついた。
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