取引
インは兄のハルトと共に、唯一インが料理するのに誰の迷惑にもならなそうなマーロンの工房に向かっていく。
インにその気はなくとも、黒い煙が出てくる時点で一時的にその場所が通行止めになるのは想像できた。
ちなみにアンは何とか復活を果たしている。
今回は物理的にではなく精神的な物なので、教会に行くことはない。
復活後すぐ、危険を教えたのにそれでも『調合』続けた主の腕や足に、アンは遠慮なく噛みついていた。
そこには確かに、無理やり拷問させられた恨みも混ぜられている。
最初こそ主とテイム魔物の関係上ダメージがなく、痛みもないためインはじゃれていると解釈していたのだ。
しかしハルトが、それはもうふんわりと料理テロの臭いで怒っていると説明したところ、インは何度もその場で石畳の上に座り、頭を深々と垂れて謝り続ける。
これにはアンも、小さな主に土下座させる趣味は無い様で、何度目かでもういいよと返すように触角を動かしインの頭を慰めるように叩いていた。
現在はいつも通りインの胸に抱かれて撫でられており、他男性のヘイトをキッチリと一点に集めている。近くで話しているハルト共に。
「でもお兄ちゃん。普段はチームの人とゲームしているんじゃ?」
「さっきまでな。インが噂になってたから一旦抜けると約束してきたんだ」
ハルトは頭を掻きつつ何でもないように話す。
彼のチームメンバーは掲示板での出来事を話したら、「じゃあ二時間ほどで再び集合な」と約束して快く送り出してくれたのだ。
「でも依頼も無いのに勝手に使わせてもらうのって迷惑じゃないかな?」
「みちづ、じゃなくて進化したアンを見せてやらないとな。……ってそれ本当に王女アリじゃねぇか!? 落ち着け、ファイほどじゃないが、右手が疼く!」
「どうしたのお兄ちゃん?」
うずうずと体を震わせ武器に手が行きそうになる右手を、必死に左手で抑えるハルトに問いかけるイン。
その何とも言えない目に、ハルトは深呼吸を一つして気分を落ち着かせる。
「いや、王女アリは偶にしか見かけない代わりに、倒すとSPをドロップする魔物の一匹だからついな」
「アンちゃんは倒させないよ! こんな天使みたいなのに!」
ハルトの視界から外れるように、インはアンを身をよじらせ庇う。
「可愛い妹のテイムした魔物に手を出すわけがないだろ。だが、これからは気を付けた方が良いかもな」
意味が分からず小首をかしげるインの頭をポンポンと軽く叩き、周りの同じように武器に手を掛ける人達に少し睨みを入れて、ハルトはマーロンの工房に向かっていく。
二人と一匹は到着して工房の扉についてあるベルを鳴らすと、早速ハルトが通路の奥に向かって「マーロンはいるか!」と声を出す。
これに対しての返事が返ってくると、マーロンがハンマーを持たず奥の通路から出てくる。
鉄を打つような音も聞こえてこなかったので、恐らく鍛冶自体をしていなかったのだろう。
服もほとんど汚れていない。
「こんにちはインちゃんと、来たのねハルト君。次来た時に話そうとしたけど、手間が省けたわ」
「話すって何を」
「SP。インちゃん魔物の剣を取りに来るまで、振ってなかったのだけど?」
「マジかっ、すっかり説明するの忘れてた」
「あなた達経験者と違って初心者なんだから、教えてあげなきゃダメじゃない」
頭を掻くハルトに、マーロンは諭す。
「分かった分かった。これからは気を付ける。ごめんなイン」
「気にしてないから大丈夫だよ」
「ごめんな。それでマーロン、工房借りていいか? なんならここだけでもいいから」
「工房? 流石にそこは企業秘密だから入れられないけど、ここなら別にいいわよ。ただし、お客さんの邪魔にならないようにね」
インが調合をする時点で炭の臭いが発生するから、どう考えても邪魔にしかならない。
そう心の中で考えるが、ハルトは何も言わず無視してインに向き直る。
「これで調合できるな」
「うん、お兄ちゃん!」
「なーにー? 調合をしに来ただけなのね。それくらいなら問題ないわ」
インの調合事情が全く分かっていないマーロンは、気安く大丈夫と答えてしまう。
何も知らないのは罪であり、幸せなのかもしれない。
次にマーロンはインが胸に抱いているアリに目を向けると、前と違い黒じゃなく白いのに気が付く。
「あらっ、もしかしてその白いアリ。アンちゃんが進化したの! おめでとう。でもここ木造建築だから、食べないでね?」
祝福しつつサラッと手にハンマーを取り出している辺り、彼女も廃人プレイヤーなのだろう。
王女アリを見た瞬間の反応がこれだ。
高LV帯となると、どれほどSPをドロップする魔物を倒したいのかがよく分かる。
もっとも、ハルトやファイのようにがめつくはないので、武器がチラチラと顔を出すのみで何もしないのだが。
「大丈夫です。元がアリちゃんですので」
「それは大丈夫といえるのかしら? でも黒い時と違って、白いと何だか触れそうね」
エンジェルみたいで可愛いと、ウフフと笑みを浮かべてマーロンがアンの頭に触れるその一歩手前、いらんことを言う虫好きの変態。
「そもそもシロアリちゃんは蟻アリというより、ゴキブリちゃんの仲間なのでアリからは進化しなモグッ」
「おいイン!」
「ゴ――! ゴキッ!! ゴキブッ!!? ゴキブリィィィィィィィーーーーーーー!?!?!?!?!?」
ハルトが慌ててインの口をふさぐがもう遅い。
天井にあと少しで届きそうといったくらいに驚き跳びあがるマーロン。
アンに触れる一歩手前での飛び上がりキャンセル。
拍手でもしたくなるほど、なかなか見れない反射反応だ。
「モグッ、モグモグッ。ぷはっ! シロアリちゃんはゴキブリちゃんの仲間です。同じアリという名前が入っていても、クロアリちゃんは天敵――」
「インちゃん待って、お願い待って! 羽が生えている生えてない以前に、まずシロアリ、ゴキブリを持ち込まないで!!」
ヒートアップしているインの口を、再び手で塞いで止めるハルト。
「少し止まろうかイン」
これ以上シロアリという名のゴキブリの解説をされたら、マーロンからNGを受けて調合できる場所を失う可能性がある。
そうなれば余計に被害が広がるかもしれない。
インの頭に、ハルトが諭すようにポンと手を置く。
「いいかイン。誰もがインのように虫が平気なわけじゃない。だから解説は、相手に求められた時だけにしような」
「うん、わかった」
「……このゲームの存在教えない方がいっそ平和だったんじゃ」
屈託のないインの笑顔。
悪意のない悪意は恐ろしいというが、これほど怒りたくても怒れない笑顔もある意味兵器であろう。
これでも彼女は中学二年生であるが、言動と行動と見た目のせいでどうにも悪意なく悪意を振りまく小学生にしか見えない。
マーロンはインの手前、息を整えてから話し出す。
「でっ、調合をしに来たのね。これからは自由に――」
「おい。ちょっとこっち」
「何、ハルト君?」
インに内緒で話したいことがある。
ハルトはそう目に乗せて、マーロンに手を振って呼び、しばらく話したあった後に戻ってくる。
だからこそ、マーロンの瞳が厄介ごとを持ってきたとばかりに疲れているのはきっと気のせいだろう。
「調合して大丈夫だってよ」
「本当! もういいの!」
インは待ちくたびれたとばかりに調合キットを取り出すと、その前にマーロンから待ったがかかる。
「でもインちゃん。条件があるわ。これから調合を行う時は、必ず私かハルト君の監視がある状態で行う事。町中でやるなんてもってのほかよ。それと害虫の種類や特徴、対処方法なんかを教えてほしいわ」
マーロンの出した条件の一つは、監視の目がある状態で調合を行う事。
せっかく調合を取ったのにするなとも言えないし、あの場面で知っていて止めなかった自分にも責任がある。
そしてもう一つの条件である害虫の対処法については、下手にネットで調べるよりインに聞いた方が確実だと、ハルトが告げ口をしたからだ。
むしろ生産職という立場から、害虫に振り回されるマーロンだからこそ取引条件といってもいい。
それにしてもさっきまでシロアリの解説をされたのに、快く場所を貸してくれるマーロンがどれほど優しいのかを身にしみて感じているのか、目を潤わせるハルト。
(虫ちゃん。私は好きだけど、クラスでも苦手な人が多いんだよね。それくらいなら)
虫がかわいそうなんて発言をインができるはずがない。
そもそも虫の世界では、他の種類の虫がえさになるのが常だ。
いくら虫好きとはいえ、自然の法則を捻じ曲げてでも虫をかばおうとは思わない。
クラスでも虫や害虫駆除となると、誰もが真っ先に声をかけるのがインだ。
インターネットで調べるよりも早く、聞きたい情報が得られるのだから楽できるに越したことはない。
最も男子の場合、その多くが虫よりもインに声をかけるのが目的だったりする。
「いいですよ。それくらいなら」
「意外! 虫が可哀そうって断るかと思ってたわ」
「虫ちゃんが苦手な子って、男の子女の子含めて、クラスに多いですから」
「なんでそれが分かっているのに、私は虫について解説されたのかしら。普通分からない物なのかしら」
「インが分かってたら、俺は毎回肝を冷やさなくていいのかもな」
虫が大好きなイン。
これからの惨状を教えられ、展開が読めて半分目が死にかけているマーロン。
最後に、何時インが女性に迷惑をかけないか心配になってくるハルト。
そうして二人の思惑と看守の元、ようやく調合を開始することができたわけだ。……が。
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