第14話 相沢万由里の困りごと(2つめ)

 昨日は不良から逃げるために駆け込んだ相沢の祖母の家へ、俺たちは再び訪れていた。

 広い庭のついたその古い家で、昨日とは景色の変わった部分が2箇所ほど。広い庭先にはいくつかの家具が運び出されていて、そして、玄関の先にはひとりの年配の女の人が立っていた。


「おかえり、万由里ちゃん」


 きっとこの人が相沢のおばあちゃんなんだろう。顔のしわは深く、ずいぶんと痩せてしまっているけど、優しい声と穏やかな微笑みで相沢を出迎えた。


「ただいま、おばあちゃん」


 最初、片付けを手伝いたいという俺たちの申し出に対して、相沢はしばらく頑固だった。六花は六花で、「本人がいいって言ってるならよくない?」なんて非協力的で、ここまで来るだけでも一苦労だった。


「後ろの子たちはお友だち?」

「ううん、そういうわけじゃないの。ただ、お片づけを手伝ってくれるんだって」

「そうなの? 申し訳ないねえ。もう物を持ち上げるのも辛くなっちゃって……」

「いやいや、任せてくださいよ! 俺らでちゃちゃっと片付けてあげますから!」


 張り切る貴人へおばあちゃんは微笑んで、それから俺たちを家の中に通してくれた。

 中に入ると、そこは外から見たイメージのままの内観だった。真っ先に目に入るのは、知り合いを呼んでパーティができそうなほどの広い居間と、その居間と同じくらいにこれまた広い和室。いかにも昔ながらの日本の家といった感じだ。

 居間の片隅には立派な四角いピアノが置かれ、大きな窓からは昨日の庭を見ることができる。きっと、普段はすごく趣のある家なんだと思う。

 それなのに……。


「なんというか、ひどいな……」


 たぶん片付けのためだと思う。広い居間の床には、本や雑誌、衣類が散らばらって、足の踏み場もないくらいだ。さらに、窓のそばにはゴミ袋がまとめられて、せっかくの庭の景色が台無しになっている。

 おばあちゃんにこれだけのことができるとは思えないし、散らかした容疑者はたった一人に絞られる。


「これから綺麗になる途中なの。うん」


 相沢はそう強がっているけど、この惨状は今日中に片付くのか……?

 改めて、もし俺たちと会わなかったらどうするつもりだったのかと問い詰めたい。


「片付けっていうか、引っ越しでもするの? って感じじゃん。どんな風にしたいとかは決まってるの?」


 六花はおばあちゃんに訊いた。

 おばあちゃんは、居間の座椅子に腰掛けながら答える。


「旦那の部屋がね、2階にあるの。だけど、わたしがすっかり階段を登れなくなっちゃったから、その整理を万由里ちゃんにお願いしたの」

「2階の、整理……?」


 明らかにそれだけでは説明がつかない惨状に、思わず声が出た。


「えっと、せっかく片付けるなら、もっと身の回りの整理も手伝ってあげたいなって思ったの……」


 たしかに、お年寄の一人暮らしは手伝わなきゃいけないことも多くあると思う。自分がいる間に、せめて身の回りを綺麗にしてあげたいという相沢の想いも分かるつもりだ。


「とはいえ、もう少し計画性ってのをだな……」


 相沢とは、まだ会って数日だ。それでも、なんとなくその人物像が見えてきたような気がする。


「ちゃんと、1人でも片付けられたから」


 相沢は不満そうにぷくりと頬を膨らませた。出会ってから初めて見る表情だった。

 それから、不意に「あっ」と声を上げると、パタパタと台所の方まで走って行く。


「すっかり万由里ちゃんと仲良しじゃん」


 貴人が俺の脇腹を小突いた。そんな貴人の脇腹に、六花が膝で蹴った。


「ぐえ」

「バカなこと言ってないで、手伝うつもりならさっさと手を動かしたら?」

「は、はい……」


 トトト、と相沢が小走りで戻ってくる。短い歩幅で小動物満載の相沢の走りは、本当にそんな擬音が聞こえてきそうだ。


「おばあちゃん、冷たい麦茶で良かった?」


 相沢はおばあちゃんの前にコップとお茶のポットを置いた。「ありがとう」と言いながら小さく咳き込むおばあちゃんの背中を相沢は心配そうにさする。


「おばあちゃんっ子なんだな」

「そうなの、かな。全然、会いに来られてなかったのに」


 自信がなさそうな相沢におばあちゃんは優しく微笑む。


「いいんだよ。いつも電話をしてきてくれただけで、わたしは嬉しかったから」

「ねえねえ、万由里ちゃん。どれを捨ててどれをとっておくとかある?」


 貴人がゴミ袋の1つを縛りながら訊いた。


「床にあるのは全部捨てちゃっていいって」

「本当に全部捨てちゃうの? なんだか、ちょっともったいない気がするけど」


 六花は床に置かれた雑誌を一冊手に取った。

 床には、古い本や衣服がどっさりと置かれている。テレビの懐かしい映像なんかで見るようなものばかりだ。


「昔からなんでも捨てられなくて。でも、いつまでもとっておけないし、せっかくのいい機会だから整理しようと思ってね」


 まだ会って間もない人だけど、ほんの少しの寂しさを覚える。きっと、いろいろなことを考えた上で、今このタイミングで片付けることを決めたんだと思う。


「それじゃ、ガンガン片付けるぜー!」


 その寂しい空気を、貴人の声が切り裂いた。

 その宣言と同時にせっせと動き始めて、床に置かれた本を束ねて、運んで、空になった本棚も動かして、圧倒的な活躍を見せた。

 俺たちも、ただ眺めてばかりもいられない。イキイキと片付けをする貴人に加わって、1時間ほど作業を続けると足の踏み場くらいはできてきた。


 少しずつ疲れも出てきて、自然とみんなで一息をついた時のことだった。

 ドンッ! 突然、大きな音がした。

 隣では、相沢は大げさなくらいに驚いて、2階の方を見上げている。俺もつられて天井を見る。音は確かに上から聞こえた。


(2階になにかあるのか……?)


 いったいなんの音だろう。そういえば、足元がひどすぎて忘れていたが、2階の整理をすることが当初の目的だったはずだ。


「2階の荷物ってもうおろしてあるの?」

「えっと、それはこれから……」


 相沢はやけに歯切れ悪く答えた。


「だったら、早く上の様子も見に行った方がよくない? そもそもは2階の整理がしたかったんだろ?」


 玄関から居間に向かう途中に階段があるのは見かけていた。

 階段の方へ向かおうとした時、相沢は「あっ」と慌てた声を上げて、俺のシャツの裾を掴んだ。


「な、なんだよ」


 やけに怖がるみたいな表情をしているのが気がかりだった。


「2階は……、出るの」

「はい?」

「出るってなにが?」


 六花の問に相沢はなにも答えなかった。


(まさかとは思うけど、出るってそういうアレじゃないよな……?)


 恐る恐る、居間を出て階段の手前まで向かってみる。

 木でできた階段の段差は急で、なんだか急にそういう雰囲気があるように見えてきてしまう。

 思わず、つばを飲んだ。


「貴人、ちょっと様子を見てきてくれよ」


 距離を取ってこの様子を見ていた貴人へ呼びかける。

 いやいや、と首を横に振るのを無視してじっと視線で圧を送ると、覚悟を決めたのか、緊張した面持ちでこっちまで歩いてくる。

 階段の前を貴人に譲ると、それと同時だった。

 太陽が雲に隠れたのか、窓から差し込む光が弱くなって部屋が一気に暗くなる。階段はぼんやりとした暗闇に包まれた。


「さすがに、ちょっと暗いよな」


 パチリ、貴人が電気のスイッチを押す。

 階段上の電球が光ったと思うと、それはチカチカと点滅し始めて――。


「……消えた」


 階段の先は再び暗闇に包まれる。

 俺たちの間には静寂が流れた。


 未来人が現実にいるくらいなんだ。


(まさか、オバケだって本当にいるんじゃ――)


 そんな想像が頭をよぎった次の瞬間だった。

 ドンドン!

 床を叩く音が2つ、2階から響いた。


「ギャアアアア!!!!」


 音に驚いた貴人は奇声を発して、その場から逃走していった。

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