第71話 稽古
朝食時、グリースさん、キャロラインさん、そしてフローリまで揃って正式にお礼を言われた。
そして、キャロラインさんにまた抱きしめられ、グリースさんにもハグされた。
そして、フローリも俺のところに来てハグして耳元で『タクミ、ありがとう』と言って頬にチークキスをされた。
欧米人にとって挨拶みたいなもんだとしても、動揺してしまったのは日本人の悲しいサガなのだろう。
仕事も一先ず終わったしこれで帰れると思ったのだが、大統領が忙しい中明日フローリアに会いに来ると言うことでもうしばらくこの屋敷に泊まることになってしまった。
食後のお茶の時間なのだが、フローリが『さっきの場所でお茶しない?』と誘ってきたので、ここでマスカット夫婦と一緒にいるより緊張しないのでは、という浅はかな考えでOKした。
朝きたガゼボで、今度はコーヒーを頂く。
『タクミは、ミルクとか砂糖は入れないんだ』
『ああ、苦味があった方が落ち着くんだ』
『大人なんだね。私より幼く見えるのに』
『それは仕方ないよ。日本人は概ねそんな感じだ』
『ねえ、明日ジイジが来るけどタクミは何かお願いするの?』
『うむ、言ってる意味がわかんないけど、何で?』
『だって、この国の大統領だよ。言えば何でもお願い聞いてくれると思うよ』
『そうだな。俺は平穏に暮らせたらそれでいいから特にお願いはないかな』
『タクミは変わってるね。きっと他の人ならお金や地位や名誉を欲しがると思うよ』
『フローリ、そんなものを得てしまったら穏やかな暮らしはできないじゃないか。お偉いさんと話をしたり気を遣って疲れちゃうよ。できれば毎日ぼーっと生きて美味しいコーヒーや紅茶を飲んで暇になったら釣りに行ってそんな生活がしたい』
『ふふ、おじいさんみたいなことを言うのね。でも、そういうタクミのことは結構気に入ってるよ』
『おじいさんか、そういえばこの間年齢は若いけど中身が40才くらいって言われた。気にしてなかったけど考えたら少しショックだ』
『何それ、おかしー。ハハハ』
笑いすぎだって!
『フローリは、ミュージカルが好きなの?』
『うん、ブロードウェイは憧れだよ。あんな風に演劇が上手のなれたら良いけど、私にはきっと無理。素性がバレて忖度されるに決まってる』
どういう世界なのか知らないがフローリが言うならそういうこともあるのだろう。
『実力で上に行きたい感じなのか?』
『そうだよ。もし有名になってもそれが実力か忖度された結果なのかはわからないじゃない。みんなに高評価されても、私はきっと一生そのことで悩むと思う。だから、何もしないのが一番良い』
『俺にはよくわからない世界だ。だから、何も言えないけどフローリが納得できて自分の好きな事ができる、そうなれば良いと思う』
『本当にそうできればいい』
『俺も自由に生きたい』
『タクミは自由じゃないの?』
『こんな能力があるし、常に監視されてるよ。まあ、好き勝手に生きてもやる事ないし気にしてないけど行きたいところがあれば勝手に行けて、そんな事を考える時もある』
『私と似てるわね。その気持ちはわかるわ』
フローリとは結構話がはずんだ。
きっと窮屈な生活がにているのだろう。
その後、庭園を散歩しながら自室に戻ったのだった。
◇
私こと陣開楓は、焦っていた。
このまま、拓海様がこの国にいる事になってしまうのではないかと。
この国に来る前、当主である竜宮寺将道様から電話で、あの国からの誘いや誘惑から拓海様を守れと厳命されている。
拓海様の能力の凄さを知れば、この国は拓海をあの手この手で引き留めようとするだろうと。
実際、治療が終わって速やかに帰ろうとしたら、予定になかった大統領が訪問すると言われた。
「拓海様は大丈夫でしょうか?」
つい口ずさんでしまう。
今朝だって、拓海様はフローリアさんのあとを急いで追いかけ、一緒にモーニングティーをしながら楽しげに会話されてましたし。
「もしかして、フローリアさんのことを……」
こうしては、いられません。
今すぐ拓海様のところに行って、女狐を追い払わないと!
与えられた客室を出るとドアの前でちょうど近藤琢磨師匠とお会いしました。
「おお、楓。どうだ、久しぶりに身体を動かすか」
「いいえ、私は……」
「行くぞ!」
「待って下さい。私は拓海様のーーあれ〜〜〜〜」
師匠に強引に連れられて裏庭にある広場に着きました。
全く、師匠は昔から話を聞かないのですから。
そして、いきなり立ち会い稽古ですか。
もう、何を考えてるのやら。
「おらおら、脇が開いてるぞー!」
「分かってますよ。わざと開けたのですから」
「俺はそんな見え見えな隙を攻撃すると思うか?」
「ええ。師匠は単純ですから」
その言葉にむっときたのか、攻撃が速くなった。
避けたり、防いだりしてその場を凌ぐがやはり、師匠だ。
動きがハンパないわ。
「楓、カウンター狙いがバレバレだぞ」
「ちっ!師匠には通用しませんか」
「お前を鍛えたのは俺だぞ。当たり前だ」
せめて一撃でも、これ以上は体力が持たない。
師匠は武術は、力任せの濁流の攻撃と静かな清流のような受け流す受身を併せ持っている。
どちらかを極めるだけでも並大抵なものではない。まるで対局である陰陽を併せてもつものだ。
「楓、最近日頃の鍛錬をサボってるな?この程度で動きが悪くなるとは。昔のお前ならもっとギラギラした心を宿していたぞ」
確かに弁護士家業が忙しく、日頃の鍛錬を疎かにしていた。
「師匠は何でもお見通しですか?」
「何でも知ってる訳ではない。ただ、お前の心がざわつき迷っていることはわかる。楓、ひとつだけ言っておく。人は年齢を重ねて成長し、そして衰えていくものだ。だが、精神、いわゆる心はその限りではない。成長しようと思えば心は必ず答えてくれる。自分自身をよく知る事だ。人は自分の心が一番わかりづらいものだからな」
そう言った師匠の拳が腹部に当たる。
私は、その一撃で倒れたのだった。
「「「「おおーーすご〜〜い!」」」」
どこからか拍手と共に歓声が聞こえた。
周りを見渡すと、日本から一緒に来た特殊部隊の人達が周りにいる。
「いやーー素晴らしい。陣開さんは弁護士と聞いていたが、ここまで体術が得意とは知らなかった」
「武器無しでは隊長と良い勝負するんじゃないですか?」
「凄い。私は護身術程度しかできないので憧れます」
「静宮はその代わり射撃の腕は部隊1だろ?武術まで極められたら俺の立つ背がなくなる」
みんなに見られていたか……
月一の稽古だけでは、師匠に叶うはずがない。
これからは、もっと道場に顔を出そうかしら。
「楓さん、カッコよかったよ。はい、ミネラルウォーターだけど」
た、拓海様に見られてたあああああ!!
それに、カッコ良かったって言ってくれたああああ!!
「ありがとうございます。土をつけられてしまいました。もっと精進しないとダメですね」
「そんなことはないよ。いつも仕事で忙しい中、俺の世話までしてくれてるんだ。そんなに頑張らなくても今のままで十分楓さんは強いし素敵だよ」
拓海様に素敵って言われました。
これは、きっと夢ですね……
拓海様が渡してくれた水を飲む。
渇いた身体に水が行き渡る感じがした。
「拓海様、お水美味しいです」
「そう良かった。今度、楓さんに稽古でもつけてもらおうかな?」
「拓海様にですか?」
「うん、俺も強くなってみんなを守れるぐらいにならないとダメだと思うんだ」
「わかりました。私でよろしければいつでもお相手いたしますよ」
そんな時、どこからか声がした。
「ほほほ、こぞうもヤル気を出しおったか。では行くぞい」
霧坂修造さんが、いつの間にか拓海様の背後にいた。
「え、俺は楓さんに……」
「時間は有限じゃ」
「待って、そうじゃなくって……」
あっという間に拓海様は修造さんに引っ張られて連れて行かれた。
一体、どこに行くのかしら。
◇
「修造さん、どこに行くんですか?」
「決まっておる。1時間ほど車で移動するぞい」
楓さんの立ち会い稽古を見ていたら、いきなり修造爺さんに連れ拐われてしまった。
それから、車で1時間ほどで着いた場所はビルが建ち並ぶ少し暗い雰囲気の場所だった。
「ここってどこですか?」
「いわゆるスラム街と呼ばれてた場所じゃ。今では行政の方針で路上生活者は、保護施設に入るようになったが、まだまだ危険な場所なのは間違いないぞ」
「何でこんなところに?」
「それは着いてからのお楽しみじゃ」
薄暗い路地に入り彷徨いてる若者を避けながらおじいさんは薄汚いビルの中に入って行く。
「こっちじゃ」
壁にスプレー缶で描いたと思われる落書きがある。
お爺さんは階段を上がり三階の部屋に入って行く。
そこには一人の女性がいた。
「その子がそうなの?」
「ああ、そうじゃ。こぞう、悪いが治療してもらいたい者がおる。黙っていてすまんな」
こっちに着いた時から修造爺さんはどこかに行っていた。
きっと繁華街にでも行っていると思っていたのだが。
「良いですけど、これからは先に言って下さいよ」
「ああ、分かっとる。だが、治療相手はこぞうも知ってる者じゃ。だから、黙って連れて来たのじゃ」
俺の知ってる人?
こんな場所に?
「さあ、入っておくれ。ジュディーを頼むよ」
案内してくれた女性は黒人の女性で治療相手とは友人みたいだ。
そして、部屋に入ってベッドに横になっている女性を見た。
「ま、まさか……」
そこには、片腕を無くした『ヘルガイド』と呼ばれている暗殺者の女性が横になっていた。
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