第159話 魔王となった吸血鬼



――「私が、新たな魔王よ」



 そう口にすると、まるで時が止まったかのように音が止み、次の瞬間、大歓声が巻き起こった。

 サイクロプスや獣人の遠吠え、ゴブリンやオークの金切り声、黒騎士の鎧の擦れる音や武器を打ち鳴らす音が空間へと鳴り響く。


 リアは顔を顰めながら、頭を上げた狼の王ループスを見据える。


 獣人に類していても狼の王ループスはその名の通り、獣寄りの見た目だ。

 それでも、眼前の男がその狼顔を驚愕させているのはわかった。



(……煩い、それにまだ話は終わってないわ。私は確かに"新たな魔王"と言ったけど、魔族を率いるつもりなんて毛頭ないもの。……はぁ、取りあえずこんな状況じゃ話もできない)



 リアは裾を掴む二人の手を優しく解き、少し前に歩み出る。

 そしてそっと片足を上げ、少し力を入れてから床に踏み下ろした。


 その瞬間、耳障りの良いヒール音……ではなく、大砲が着弾したかのような轟音と共に地面が吹き飛んだ。辺り一帯に瓦礫や破片を飛び散らせ、土煙を充満させながら蜘蛛の巣状に割れるエントランス。


 先程までの喧騒がなかったかのようにピタリと止む。



「願いを聞き入れるとは言ったけど、条件は付けさせて貰うわ」


「……条件。それはなんだ? 今の我々に出来ることなら可能な限り――」


「リ~アちゃんっ!」



 狼の王ループスの言葉を遮り、私の領域に入って抱き着いてくる癒し。

 その後ろにはエイスの姿が見え、カエデの姿はない。多分、部屋で寝ているのだろう。



「んっ……ヒイロ?」


「なんだか面白いことになってたから見守ってたけど、怖がらせちゃダメだよ~?」


「怖がらせてなんかないわ。少し煩かったから静かにして貰っただけ」


「やり方ぁ! やり方が既に暴君のそれだよ!? 取りあえず、もう少し穏やかに……ね? せっかくの美人さんが台無しだよ」



 首に手を回され、鼻先が触れるほどの距離でヒイロの碧眼が優しく微笑む。

 私よりも少し身長の高いヒイロ。そんなお姉さんな彼女に抱き着かれ、急速に気が緩んでいく。



「リアさんが魔王……ふふ、CALIBERさんが聞いたらお腹抱えて笑いそうだね」


「それは……なんとなく想像できるわ。でも、私もそう長くはやらない予定よ?」


「そうなのかい? 僕はてっきり、このまま魔族率いて魔王プレイでもするのかと思ったけど」



 ちなみにCALIBERというのはLFOのランカーの一人だ。

 ルゥと同じ『禍根の胎動』を取得し、現環境魔王系の最終進化まで至った猛者プレイヤー。


 まぁ、今はそんなことどうでもいい。

 いい加減、呆気に取られたまま口を挟めない、狼の王ループスの質問に答えてあげないと。



「ところで貴方、名前はなんていうのかしら」


「っ、マナガルムだ」


「そうマナガルム。私の言う条件というのは、そこの悪魔とダークエルフが口にしたことよ」


「それは……」


「新たな魔王にはなってあげる。……けれど雑務や指揮なんかは別の者にやらせるわ。私はあくまで『君臨すれども統治せず』。緊急時や力が必要な時くらいは手を貸してあげるけど、基本は貴方達が主導でやりなさい」



 そんな言葉にマナガルムは目を見開き、そして微かな動揺を隠しながら頷いた。

 自分で言い出したこと故に聞き出せないのだろうが、やはりその理由が気になるのだろう。


 含み笑いを浮かべ、見詰めてくるヒイロ。



「あー……言ったでしょう? 適性がないの。私に指揮を取らせようものなら、ここに居る貴方達全員、すぐに死ぬことになるわ」


「っ!?」


「ふふっ、リアちゃんは自分が基準だから、平然と無理難題を要求してくるもんね~。……えっと、マナガルム? この子の言ってることは本当、だから間違っても指揮権なんて渡しちゃダメ」


「間違いない、リアさんに指揮権なんか渡したら三日持たないんじゃないかな? というか、今までリアさんの手綱を握ってたヒイロさんが居る訳だし、君がやるなんてどうだい?」


「う~ん、流石に私も国規模で動かしたことはないからなぁ……あっ! でもライブ配信感覚でやればできるかなぁ? けれどそうなると声の拡張だったり、やっぱり視聴者の反応が欲しくなるよねぇ」


「ぶふっ! それじゃあヒイロさんが魔王になれば? 魔王になって配信感覚で……――」



 周囲の魔族そっちのけで話に花を咲かせ始める二人。

 そんな二人の話を聞いてリアは思った。……なんで攻める前提?と。



(私はのんびりイチャイチャしたいだけだし、この魔族も後ろ盾……つまり対処できない時の保険が欲しいだけ。エイスは戦闘大好きだからわかるけど、意外とヒイロも好戦的よね~。 まぁ、そんな所も可愛いのだけど♪)



「貴女様のーーリア様のお言葉は理解した。はなから我々に異存などない」


「そう? それじゃあ、もう幾つか提示させて貰うわね」



 そう言ってリアは魔王になる上で、この場の多くの魔族が聞いてる前で条件を淡々と述べていく。



 追加で提示した条件は3つ。

 一つ、無駄な戦いや個人で招いた戦いは自分達で解決すること。リアに頼らないこと。

 二つ、基本的に自由奔放に動く為、魔族領に常に居るとは限らないこと。

 三つ、本当の魔王の卵は既に別にいる。故に未熟なそれが成熟したら、無条件で魔王に据えること



 つまり宣言通り、君臨すれども統治せずなスタイルである。

 三つ目に関してはルゥ本人の意思を尊重するつもりではあるが、言っておく分にはタダだろう。



 そうして条件と言えるかわからない約束事を交わし、リアと軍団長達の話は一区切りが付いた。

 ルゥの事はもちろん気になったらしいが、それを今ここで話すつもりはない。



 リアがこの後はどうしようかと悩み始めると、マナガルムはその巨体からは考えられない程に低姿勢でエイスへと目を向けた。



「エ、エイス様。少し……よろしいでしょうか?」


「ん、どうしたんだい? マナガルム」


「そちらの人間……いや、その方は一体何者なんですか?」



 私と話すときですら最初以外取れていた敬語が、エイスにはガチガチになって使われる。

 目で訴えかけるのは当然、私に抱き着いて良い匂いを発するヒイロだ。



「ああ、そういえば自己紹介がまだでしたね? こほんっ……私はヒイロ、ここに居る始祖の吸血鬼、リアちゃんの恋人で半神半人デミゴッドの大聖女です。魔族の皆さん、よろしくね~」


「「「「…………」」」」



 ライブ配信するかのように微笑みを振りまき、腕を組みながら手をひらひらと振るうヒイロ。

 そんな彼女の自己紹介に、誰一人として微動だにしない魔族達。


 偏見かもしれないけど、知能が低そうなゴブリンですら目を点にして石像と化している。

 死霊が揺れ動き、黒騎士がガタガタと震えだす。不死者など頭を抱えて蹲るほどの始末だ。


 反応のない周りに「あれ?」と首を傾げ、聖母のように微笑みながらもオロオロしだすヒイロ。



「……大聖女? 聖女ではなく……大聖女だと? 半神半人デミゴッドというのはわからないが、始祖の吸血鬼と……恋人?」


半神半人デミゴッドっていうのは、半分が神様で半分が人間のことだよぉ~」


「…………ルキアス。俺は耳がおかしくなったのか?」


「い、いや……どうだろう? それなら私も丁度おかしくなったようだ。夢でも……見ているのか?」



 マナガルムは隣のダークエルフへと声を掛け、二人して呆然と首を傾げる。

 そんな困惑が隠しきれない魔族達に、リアは先手を取ってこの場で釘を刺しておくことにする。



「そういうこと、彼女は見た目こそ人類種だけど種族が全然違うわ。だから人間を見るような目や態度を見せたなら、私も少し怒るから……そのつもりでね?」


「「「「「ッ!!」」」」」



 ヒイロの前に立ったリアは微笑みながら周囲を見渡す。

 彼女なら息を吸うかの如く対処してみせるだろうけど、それじゃあリアの気が済まない。


 そう思って少し威圧したが、どうやらやりすぎてしまったらしい。

 すると、静まり返った空間に二つの足音が響いた。



「リア様、ヒイロ様が大事な伴侶だというのはわかっております。しかし、魔族はここに居る者が全てではありません」


「ええ、そうよね。少し面倒だけど……魔王になると言った以上、その辺も周知しないとね」


「そういうことなら、やはり全ての魔族、そして世界に新たな魔王の誕生を知らしめるべきではないでしょうか? 虫共への牽制にもなりますし、お姉さまの女神のような美貌も周知することが出来ますわ!」


「ふふ、ほめ過ぎよ? けれどやっぱりそれしかないかしら。あまり人前に出るのは好きじゃないんだけど……――二人の真祖はこう言ってるけど、どう思う?」



 気が進まないながらに可愛い恋人達の提案に頷き、マナガルムへと振り返るリア。

 唖然としていたマナガルムは、はっとしたように我に返ると威儀を正して頷いた



「あ……ああ、それが確実なのは確かだ。いや、直ぐにとりかかろう」


「え、この後すぐ? ま、まぁいいわ。それじゃあ……お願いね?」


「はっ! 承知した。――俺は中央へと向かう。ララ、ルキアス、お前達は……」



 そうして指示を出し始めたマナガルム含め、すぐに行動を開始する各軍団長。

 そんな彼らを見てリアも思い出したかのように、周囲へ向けて手拍子を打った。



「ほら、貴方達も何時までそうしてるつもり? 自分の仕事があるならさっさと戻りなさい」



 その言葉を皮切りに、跪いていた魔族達は一斉に顔を上げ慌てて動き出す。

 ドタバタとした大行進がエントランス中に響き渡り、まるで建物全体が揺れてるかのように振動が伝わり、瞬く間にその数を減らして行く魔族達。





 それから一先ず部屋へと戻ったリア達は、一時間程イチャイチャしているとオリヴィアが迎えに来た。

 外はすっかり暗くなり、空全体を覆っていた乱層雲が移動したことで月がその顔を覗かせていた。


 そんな月明りに照らされた雪道を歩きつつ、私たちは最初の砦へと到着する。

 城壁には点々と松明が並べられ、壁の反対側からは耳を覆いたくなる程の喧騒音が聴こえてくる。


 石階段を登り、バルコニーから顔を覗かせれば、眼下にはエントランスの一件とは比較にならない程の夥しい数の魔族達が集まっていた。



(まだ、こんなに居たのね。体格がバラバラでわかりずらいけど、見たところ3,4万はいるかしら? いや、全魔族でその数だとしたら少ない方か。……取りあえず何も考えずに来ちゃったけど、どうしようかな?)



 今のリアは普段のガチ装備ではなく、闇ギルドの連中と会うときに着る『夜禽の帳やきんのとばり』を身に付け、その上から黒いローブを羽織っている。


 その理由は、聖女としてのリアと分ける為。


 別に聖女という立場に思い入れはないけど、あの立場は残しておいた方が色々と役に立つ。

 それに万が一、クルセイドア王国の人間に魔王活動を見られたとしても、他人の空似でしらばっくれればどうにかなりそうな期待もある。



(火の聖女と吸血鬼の魔王。結び付けようとしても、吸血鬼は火属性が大の苦手だからね♪)



 このフード付きの黒いロングドレスは、首回りに毛皮が付いていてもこもこと暖かい。

 ちなみに性能としては、何時ものガチ装備が聖属性と火属性に強化・補助を付与してくれるものだとすると、これは吸血鬼のパッシブや血統魔法を強化・補助する装備でもある。つまり"夜"専用装備だ。



 前を先導してくれるオリヴィアに続き、私はヒイロと手を繋ぎながら外壁から眼下を見下ろす。

 すると、そんなオリヴィアが立ち止まり、振り返りながら指を指す。



「リア様、あそこです。あの場所であれば、皆も見やすいかと」


「そう、それじゃあ貴女も一緒に行きましょう?」


「妾も、ですか? 妾は……いや、そういうことですか。確かにその方が良いのもしれません」



 オリヴィアは何かに納得したように頷き、差し出されたリアの手を少し躊躇いがちに取る。

 リアとしては単純にイチャつきたかっただけであり、そこに深い意味はない。


 そんな光景を見ていたヒイロは握る手が強くなり、リアの耳元で囁いた。



「リアちゃん、これが終わったらじっくり彼女のこと聞かせて貰うからね?」




 そうニッコリと笑うヒイロだったが、長年の付き合いだからわかる。

 彼女は怒ってはいないものの、言い逃れや対話拒否は決して許さないということだろう。



「……ヒ、ヒイロ? 私何かしちゃった? その、少し怖いわ」


「ふふっ、どうやら私は今のリアちゃんをしっかり理解してあげられてなかったみたいだから、もう一度ちゃんとお話しよう? 私、リアちゃんのことなら何でも知りたいの」



 吐息が耳に吹きかかり、ゾクゾクとしたものが背筋を駆け巡る。リアは条件反射でコクリと頷いた。

 そして首を傾げたオリヴィアに何でもないと引き攣った笑みを浮かべ、私達は軍団長に出迎えられながらその場所へと到着した。



「リア様……いえ、魔王様。……お待ちしておりました」


「たった一時間でこれだけの数を集めるなんてね。それで……私に言わせたいことはある?」


「魔王様、そのようなことはありません。御身のお姿、そしてその存在を周知して頂ければ、それで十分にございます」



 ダークエルフの言葉にリアは納得したように頷く。



「僕たちはここで見させて貰うよ、リアさんの魔王デビュー。ヒイロさん、わかってるよね?」


「うん、大丈夫だよぉ。せっかくのリアちゃんの晴れ舞台だもん」


「二人とも何の話? 私の晴れ舞台って……ただ顔を見せるだけよ?」


「……リアは……知らなくていいです。あ、でも寒いので……早めに終わらせてくださいね」



 何か知ってるであろう三人の会話に首を傾げていると、唐突に暖かさが抱き着いてきた。



「おっとと、アイリス。……ふふ、寒いの? これが終わったらいっぱい暖め合いましょう?」


「そういうわけではっ……はい。私はここでお姉さまのお姿を、この目に焼き付けておきますわ♪」



 可愛い妹のキラキラとした目に、どうせすぐに終わるのにと、思わず微笑んでしまう。

 心地の良い暖かさに自然と抱擁を返し、もうここから動きたくないと思ってしまったリアだが、オリヴィアの視線に気付いて名残惜しくも手を放す。



「ごめんなさい、オリヴィア。待たせてしまったわね」


「いえ、それでは始めます」



 微かに口角を緩めたオリヴィアは、手元に魔力を集めてそれを遥か上空へと撃ち放った。

 黒い魔力が空へと伸び、ある程度の所まで行くと弾けて噴水のように広がる。


 すると、ザワザワしていた喧騒音がピタリと止まるのだった。



 シンと静まった空間では、リアのヒール音だけがやけに響き渡る。

 その時、リアの前には深淵の闇のように黒い空間が急速に広がった。



(これはヒイロの……? 随分と中途半端な邪闇魔法ね……このまま進めってことかしら?)



 魔族達の間には突然の闇にざわつきが広がり、その中から姿を見せたリアに更なる動揺が駆け巡る。

 リアの紅い瞳はガーネットの様に煌めき、体全体に纏わりついた闇はもやもやと影のように揺らめく。


 すると、今度は何の前触れもなく、リアの背後に赤い線が落ち轟音が鳴り響いた。

 それは砦の一部を焼き焦がし、一度では足りずに幾度も赤雷が絶え間なく降り注ぐ。



 ここでリアは漸く気付いた。

 黒い靄はまるでブラックホールのように背景に広がり、赤雷は砦の床を駆け抜けるように迸っている。私に掛けられた強化効果はこの状況に何も必要ない、エフェクトが派手なものばかり。つまり



(あの子達……絶対に楽しんでるでしょ?)



 言うなれば"演出"をしてくれた彼女達。しかし、その効果はあまりにも絶大だった。


 広大な大地を埋め尽くさんばかりに集められた魔族達は愕然とし、その目をリアに向けながらも誰一人として微動だにしない。


 既に此処へ集められた時点で『新たな魔王』の話は聞き及んでいる筈だ。

 それ故にその目には恐怖と混沌、希望に期待を膨らませて、リアの次なる行動を待望している。



 魔族になら一度、神々の黄昏ラグナロクを見られている。



 こうも恋人達にお膳立てされてしまった以上、諸々を度外視に振り切ってしまった方がいいのだろうかと思えた。

 リアは自嘲するようにクスッと笑い、次元ポケットからレーヴァテインを抜き放つ。



「……私はアルカード。貴方たちの命運を握ることになった新たなる魔王」



 静まり返る雪の世界で、場違いな紅炎に影が混じって黒く燃え上がる。

 イメージするは身近な王族。浸食したレーヴァテインを掲げてリアは不敵に笑う。



「私は貴方たちに多くを望まない。……干渉するなじゃましないで煩わせるなめんどうごとNG、可愛いを尊べはほご


『…………?』


「貴方たちがそれを遵守するなら、魔族を脅威から守護し繁栄させると約束しよう。……故に、この日この時この場所をもって、私は此処に新たな魔王軍の再興を宣言する!!」


――ッ!!


オオオオオオオォォォォォォォォォォォォォ!!!!

グォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!



 凡そ、その言葉の本質を理解した者は限りなく少なかった。

 しかしその場には雪の世界を溶かす程の勢いで、魔族達の猛々しい咆哮が次々と上がった。

 それは大地を揺らし、空気を震わせ、掲げられた松明は眩い程の光を灯す。



 この日、世界の均衡は完全に崩壊し、歴史上類をみない最強の魔王が誕生したのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る