第50話 滅亡する聖王国と2つの意志



 「……リア様?」



 背後からレーテの心配を含んだ声が聴こえるが、リアはその声に反応するだけの余裕がなかった。


 突如として湧きだす許容できない程の不快感、それはリアの身体的な支障ではない。

 もっと別の、リアという存在の根底から吹き出した何かだということは理解していた。



 『ダメッ、――これ以上、――殺しては、――ダメ、やめて――……』



 何処からともなく聴こえる声。

 それは聞き覚えのある声であり、どこか長い時間共にしてきたような、無視することが躊躇われるような強制力を持っている。


 堪えず響く声は脳の内ではない別の場所。

 胸の奥の更に奥底、仮にこの奥底にあるものが魂と呼べるものなら、その器を大きく揺さぶられ打ち付けられ、土台からひっくり返す程の勢いで許容できない衝撃を打ち鳴らされ続けているような感覚だろうか。



 『殺しちゃ――ダメッ、――止まって――壊れる――』


 「……ぐぅっ、……煩い」



 堪えず身体全体に響き渡るぐらぐらとした感覚。


 自身が立っているのか倒れているのかすら曖昧であり、何か言い様のないものに呑み込まれる感覚を本能で感じ取りったリアはふらつく足を気力だけで固定させた。



 『――ッ、――ッ! ……』


 「煩い……煩いッ」



 リアは溢れだすソレに堪らず額を抑え込むようにして手を置き、歯を食いしばる。



 「っ、ぐぅ……、うっ」


 「リア様? リア様!? どうされたのですか!? すぐに移動を――」



 事態の異常さを感じ取ったレーテは教皇を置き捨て、ふらつきを堪えながら呻き声を上げるリアに駆け寄るも、どう対処するべきなのか見当もつかない様子で視線を彷徨わせていた。


 防ぐ手段も躱す手段もない魂への、直接的な攻撃にも似た容赦ない全力衝突のソレに対し、リアはインベントリから荒々しく《レーヴァテイン》を抜き放つ。



 「っ、なっ……何、……それ?」


 「リア様、お気を確かに持たれてください! リア様っ」



 すぐ近く、声の大きさからして目の前と後ろから何か聴こえた気がしたリアだったが、それに反応するだけの余裕が今の始祖にはなかった。



 「ぐっ、動かないでね……レーテ。  ――消えなさいっ」



 堪えず自身の内を攻撃する存在に打てる手はなく、リアは痛みに堪える様にして笑みを浮かべレーヴァテインを乱暴に薙ぎ払い、武器にストックしていた【獄焔魔法】を発動させる。


 その際、レーテだけには被害が及ばないよう、敷き詰められた思考の中で無理やりに制御を行い、聴こえる声を挑発するかの如く周囲へと破壊を撒き散らしていく。



 (こんな声で、私が止められると思っ――……ぐぅっ、鬱陶しいなぁ! もっと壊せば消えてくれる? それとも更に増すのかしら?)



 ちかちかする視界に眩暈のような感覚が起きる中、その瞳には白と赤の煌めきが一瞬だけ映し出されるとその光景の全てを瞬時に赤へと染め上げる。


 不快感しか感じない声とは別に物理的な聴覚からの音だと判断できるそれは、連鎖するようにバチバチと鳴り響かせながら極小の破壊音を絶えず空間へと響き渡らせていた。



  曖昧でぼやけた視界には火の海となった都市が映し出され、目の前の蹲る聖母は痛みすら忘れて唖然とその光景を目にしている。


 御しようとした声に対抗するかのように、聴こえてくる声とは正反対の行為を行ったことで声は弱まり不快感もある程度軽減されたように感じたリア。


 (多少、動ける今なら……目の前の聖母を始末できるかしら?)



 脳裏に浮かんだ考えを実行に移そうとレーヴァテインを持つ手に力を入れると、またしても弱まっていた頭痛の様な不快感が、まるでその存在を主張するように痛みを増していく。



 「……ぐっ、来なさい! ティターヴニル!!」



 まるで"殺す"ことに対し、再発したように思えた不快感に何処か自分でも分かっていたような感覚を覚え、聖母についての固執ともとれるそれを直ぐさま投げ捨てることを選択したリア。



 もはや制御できているのか出来ていないのかすら自身ではわからないが、薄らとぼやけた視界では赤黒い光を垣間見え、微かに感じられる感覚から呼び出しには成功したと確信する。



 リアは内側から外へ向け、叩くようにして響かせる不快感に堪えながらレーテへと歩みより、少しでも中和しようとその胸元に倒れるように額をあてた。



 「リア様……休まれてください。 ティー様がいらっしゃれば、後は全て私が行います故」


 「っ、……大丈夫よ、少し休めば収まるわ」



 全身を蝕む不快感とは別に、暖かく柔らかい心地の良いものに包まれる感覚を覚え、瞼を閉じてゆっくりと口を開くリア。


 すると、感覚的に夜空に巨大な影が出来たことを感じ取り、遅れて勢いよく髪を靡かせる暴風に待ち人ならざる待ち竜が来たことを悟った。


 (あの子にしては……、随分と丁寧な降り方ね。 ……あぁ、気持ち悪い。 でも、良い匂……臭い。 これ、教皇の血? いや、それくらい無視してレーテのみの匂いを辿るなんて私には造作もないわ)



 湧き出る全てのものに堪えるのは無理があると、リアは堪えることよりもレーテを堪能することに重きを置き、必死で胸元に集中しだす。


 そして地響きを鳴らし、直ぐ側にティーが要る事を感じ取ると、その背にもう1つの反応を感知する。



 「お姉さまぁぁ!」



 頭上から、不快感の中に聴こえたのは此処にいる筈のない愛しい妹の声。


 (アイリス? なんで、此処にアイリスが? あの子には、闇ギルドの監視を任せていたのに……)



 レーテの胸に寄りかかったまま瞼を閉じて疑問を浮かべるリア。


 そんな始祖の様子に血相を変えたアイリスは、慌てた様子でレーテへと駆け寄るのが手に取るようにわかり、不快感が響く中でも思わず苦笑を浮かべてしまった。



 「お姉さま!? どうされたのですか、何処かお怪我でも……っ! まさか、そこの虫がお姉さまに」



 声のトーンを早め高く喋るアイリスは元々の高音の声も合わさり、心配と不安を含ませた声は頭や耳に響く筈に思えたが、今のリアには心地の良い音にしか聴こえなかった。


 リアは眩暈のするような視点の定まらない瞳をアイリスへと向け、力無く笑みを浮かべながらも微かに頭を振るいその言葉を否定する。



 「これは……ぐっ、そういうのじゃ、ないわ。 取り合えず、横になりたい」



 そんなリアの言葉を聞くと、憎悪と敵意を膨れ上がらせて聖母を睨んでいたアイリスは途端に慌てふためき、その可愛い顔の眉を潜ませ狼狽しはじめる。



 「そ、そうですわよね! あの虫程度がお姉さまに何かできる筈がありませんわ! あっ、レーテ、お姉さまをお連れしなさい。 私は――"用事"を済ませてからあの豚の所に戻るわ」



 おろおろした様子で早口に言葉を捲し立てるとそのままレーテへと指示を出し、周囲の火の海と化した都市を見渡しながら、最後に聖母へ向けて目を細めるアイリス。



 「はい、かしこまりました。 リア様、少々お待ちください」



 レーテは引きずられボロボロになったカズラを身に纏う教皇へ歩み寄り、その胸元を無造作に掴みあげるとティーの背中へ向け投げ飛ばす。


 投げる前の【戦域の掌握】内ではまだ息はあったことから気絶か失神しているのだろうが、あれで死なないか不安ではある。


 そんな光景を他人事のように混濁する思考で眺めていると、いつの間に近くに寄ってきていたレーテが「失礼いたします」と一言添え、リアの膝裏へと腕を伸ばし丁寧にも軽々と持ち上げた。



 (え? えぇぇぇぇ!? あっ、ちょっと……これ、お姫様抱っこだよね? わ、私重くない? いま完全に体重預けちゃってるから、重いかも……だし。 あぁ、でもこういうのも良いかもしれないわ……はふぅ)



 唐突すぎて許容できない筈の不快感すらその存在感を弱め、忘れてしまったかのように慌てテンパってしまうリア。


 幸いなことに内心では楽になれてたが、身体的にはとてもじゃないが動かす気力がない為、動揺が表にでることはなかった。


 リアはみるみるうちに消えていく不快感を感じながら今日くらいは甘えてしまってもいいかという気持ちになり、抱っこされた状態で頬を胸元に擦りつけ、移動の際に揺れる感覚に心地よさを感じていた。



 数度の跳躍によってあっという間にティーの背中へと到達するレーテ。


 ティーの背中には一足先に投げ飛ばされた教皇がぐったりと大の字になり、死体のように思えなくもない虫の息ではあったが、その生命が絶たれてないことを気配で感じ取る。


 そんなことを考えているとレーテはリアをこの世に二つと存在しない貴重品を扱うかの如く、いやそれ以上に丁寧な動作で優しく降ろすとティーの頭部へと顔を向けた。



 「ティー様、お願い致します」



 レーテの凛とした美声が響き渡り、リアが指示を出したわけでもないのにティーは彼女の言葉を理解してるかのように翼を広げ上空へと躍り出す。


 数回の羽搏きでそれなりの高度まで上昇すると、漸くレーヴァテインで引き起こした大災害の熱気は感じられなくなり、代わりに都市全体の3割ほどを真っ赤に染め上げる業火の海が見えた。


 既に絶たれた熱気は見てるだけでも熱く感じてしまうほどの錯覚を起こし、舞い散る火花と燃え盛る烈火の如き炎は都市全体を包み込んでいるように瞳に映り込む。



 「リア様、心地はあまり良くないかと思われますが、よければお使いください」



 横座りの姿勢になるレーテは眉を微かに落とし、心配の色を目に浮かべる。

 そんな魅力的な提案にリアが乗らないわけがなく、既に動けるくらいには不快感は収まっていたが絶えず沸々と感じるソレに、レーテの膝を使うことにした。



 「どんな最高級の枕にも勝る最上の枕よ。 うっ……、お言葉に、甘えさせて貰うわ」


 「はい、私は貴方のモノですから、ご存分にお使いください」



 リアはレーテの膝枕に頭を乗せそのお腹に顔を埋めるようにして彼女の匂いのみを嗅ぎ分け、心地の良い頭を撫でられる感触に最上の心地良さを覚えながら休息に入るのだった。



 そしてティーが大森林の開けた場所に降りると、何とか歩くレベルでは回復したリアはレーテと一緒に一足先に闇ギルドへと向かうのだった。



 闇ギルドへ近づくと僅かに感じられる血臭。

 それは入口に近付くにつれ臭いの強さは増していき、扉を開け中に入るとその原因を即座に理解することとなった。


 入口にはおびただしい程の血が撒き散らされ、その場に無造作に横たわり倒れている者達は恐らく闇ギルドの構成員だろう。


 通路を埋め尽くすは壁や床に這うようにして凍てつく氷が広がっており、冷気を漂わせたその場は入口に近づくにつれ、夥しい程の氷柱が上下左右から突き出ていた。



 こんなことができる存在、リアやレーテの思考では思い当たる人物は1人しかいなかった。



 (アイリスよね。 あの子【凍結魔法】に設置型の詠唱を織り交ぜて、誰も通れないレベルで魔法を張って監視ということにしたのかしら? 間違ってはないけど、ふふっ、お茶目な所も可愛いわ)



 「……っ、行きましょう」


 「はい、失礼します」



 先頭をふらつきそうになる足取りで歩くリアに対し、レーテは瞬時に降ろしていたフードを被せてくれる。


 暫く進むと通路やギルドマスターの執務部屋に続く、ギルドの大広場へと辿り着いた。


 両手で数えるには足りない程の構成員らしき者たちが居たがリアは向けれれる視点を無視して空いてる汚れたソファへと腰掛ける。



 レーテに言伝を頼んであの豚の所まで行って貰うようにお願すると、最初は心配そうな顔を浮かべ躊躇っていたが、苦笑を浮かべて大丈夫だと放すと渋々といった様子で、教皇を引きずり奥の通路へと血痕を残しながら歩いて行った。



 リアは向けられる視線を鬱陶しく感じながらもそれよりも今は心の休息を優先させたかった。



 聖母を殺そうとした時に魂に直接響かせるように聴こえた声。



 転移してから度々似たような感覚はあったが、今回のようにはっきりとした拒絶反応とも言うべき感覚は初めてだった。


 いま尚、魂に燻ぶる不快感は拭えず頭痛のように絶えず浅い衝撃が体中を駆け巡り、リアの思考を上書きせんばかりに感じる強い想いと悲壮感が漂うような魂の叫び。


 これまで感じたそれらは、決まった条件はないにしてもトリガーのようなものはあったように思える。


 正直、それがあったことすらわからない事もあるように思えるリアは、これがこの世界に転移してくる前の理亜が持っていたものなんじゃないかと考えた。


 それは本来あるべきモノ、理亜がリアになる前の気づかぬ内になくなってしまった"人間性"。


 当たり前に持ってたものが、突如として隔離されてしまったかのようにリアから切り離されたソレ。


 どうしてそうなってしまったかは不明だし、あくまでリアの予測の域をでないが、その潜在意識ともいえる深層心理は決まった状況下で顔を覗かせていたように思えた。



 今の当たり前と以前の当たり前が食い違い、今のリアには正直はっきりとはわからない。

 しかし思い返してみれば、クラメン以外と関係を作ろうと思った時、暗殺依頼でたくさんの人間を殺したと認識した時、そして今回のような人類種を殺戮した時。


 思い返して見ると、微かな違和感を感じたのはこれらだろう。

 もしかしたらそれ以外にあるのかもしれないが、現状では思い出せない。


 (まぁ、だからどうしたって話ではあるのだけどね。 分かった事は確実なトリガーは不明だけど、これが起こると最悪な気分になるということ。 そして起こった時は多分、転移前の自分とは正反対の反発行為をしているということ。 でも、一番の収穫はコレによって以前の自分がちゃんと存在していたという証明であり、クラメンの皆との思い出は夢なんかじゃないってことだよね)



 頭の中でぐるぐると思考し、確実ではないその考えにもどこか確信を持っている自分に思わず笑みを浮かべてしまう。


 すると、領域内に良く知った気配を感じて、思考を打ち切ると入口へとフード越しに目を向けたリア。


 そこには黒のローブを纏いフードを深く被ったアイリスが何かを抱えながら扉を開け入ってきており、リアを見るとフードの中で嬉しそうに口元を綻ばせ速足で歩み寄ってくるのだった。



 「あら、おかえりなさい。 アイリス」



 幾分かマシになった体調で愛しい妹を見上げ、微笑みを見せるリア。

 そんなリアの様子に安堵しながら抱えた男をソファの脇に無造作に放り投げ、全身から心地良い雰囲気を漂わせるアイリス。



 「ただいま戻りましたわ、お姉さま。 お加減はいかがですか?」


 「大分マシになったわ。 でも貴方が隣に来て暖めてくれたら、もっと良くなるかも」



 拒否されるとは思ってないリアはアイリスに手を伸ばし、白い袖を見せながら掌を向ける。


 するとアイリスはフード越しでも分かりやすい程に、意気衝天と喜びを露わにしてくれると飛びつく勢いでリアの横へと身体を放り出したのだった。



 「えへへ、お姉さまぁ。 これでいかがでしょうか?」



 アイリスはぎゅうぎゅうとリアへと身を寄せ、その隙間ないくっつきによって全身にぽかぽかとした暖かい体温とムニムニした柔らかい感触が感じられる。


 加えてフード越しであるにも関わらず、自然と鼻腔に侵入してくるは彼女の全身から漂う果実のような甘く芳醇な香り。



 「ふふ、もう元気になったかもしれないわ。 これは間違いなく、可愛い妹と綺麗なメイドのおかげね。 後で食べちゃおうかしら」


 リアとしても嘘でも世辞でもなく、燻ぶっていた不快感と声は確かに鳴りを潜め、平常通りの自分に戻れているような感覚を感じていた。


 そんな癒しともいえるアイリスの手を取り指を絡める様に交差させ、同時に肩から感じられる体温に思わず融けてしまいそうになる表情を務めて微笑みレベルで保つリア。



 (あぁぁぁ、癒されるぅぅぅ。 この隙間なく埋められる柔らかな感触、それに嗅いでるだけで今すぐにでも襲いたくなる程の甘い匂い。 腕に感じられるは小ぶりでも確かに存在する柔らかな2つの弾力! もう薄まってきてる不快感も浄化される勢いね。 レーテが部屋を借りてきたら、絶対食べよう)



 そう決意したリアはレーテを待ちながら肩に頭を乗せてくるアイリスに首を傾げ、その美しい灰色の髪が僅かに覗き見せるフード越しの頭へと頬を当てるのだった。

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