第32話 お姉さまとお嬢さま




 海面の揺れが通常の波へと治まり、海水が所々に侵入している船上にはぎぃぎぃと濡れた木の軋むような音だけ聴こえてくる。


 そんな中、先程まで絶望の淵へと追い込まれていた乗員達の視線は巨大な海竜が肉片へとなって海へと沈んでいく光景より、別のものへとその視線を注がせていた。



 明らかに乗員ではない黒のローブを身に纏った正体不明の存在。


 その人物の履いているヒール音は、波の弾ける音や木の軋む音よりやけに甲板に響いたような気がしたのは一人や二人ではない筈だ。



 甲板へと降り立ったリアは一斉に注がれる無数の視線に鬱陶しく感じながらも気にした素振りは見せず、その"碧い瞳"を船上へと走らせる。



 視界に映るは上空から見ていた時よりも多く感じられる船員たち。

 誰もが焦燥しきった顔をしており、そのボロボロな衣服や汚れて傷ついた身体を見れば、彼らにとってどれだけの戦いだったかは想像に難くない。


 そんな乗員達は自分たちが見られていると思ったのか、表情に微かな警戒の色を見せながらもまだ動く気配は見られなかった。


 やがて、視線を彷徨わせ上空で見た位置らしき場所に目を走らせると――



 (見つけた。 よかった、無事だったみたいね。 わぁ……近くで見るとすっごい美人さん、これはどんな味がするのか楽しみだわ)



 リアが内心で感嘆の声を洩らし、視線の先に見える透き通った水色に見えなくもない美しい白髪をした貴族風なお嬢さんへと歩み出した。


 何度も見てもこの場に似つかわしくないレースの着いた花柄ワンピースをその身に纏い、近くの床へと座り込む指揮官らしき男へと心配な表情を浮かべている。



 (横顔も綺麗ね。 ん、瞳の色は小さすぎて見えなかったけど、まるで水晶のような……綺麗な水色。 これは、期待できそう!)



 お嬢さんが心配そうな表情を浮かべる相手、指揮官らしき男はその背中を力無くマストの柱へと預け、せき込みながら吐血と行い、身に着けている衣類も鮮血へと染めている。


 だが、リアはそれには興味がなく、あるのは貴族令嬢らしきお嬢さんのみ。

 歩きながらでも見えた横顔は見れば見るほどに綺麗な容姿をしており、ちらりと確認できた瞳は水晶のような水色を元に、反射される日の光も合わさってまるで虹色の瞳のように輝いて見えた。


 そんなうっとりしてしまいそうな瞳を持ちながら、宙に溶けて無くなりそうな白髪を持ったお嬢さんはまるで、海の精霊が海上で弱り果てた存在を助けるような光景にも見えてくる。



 やがてコツコツと甲板に音を鳴らしながら自身へと迫ってくる存在に気づいたのか、お嬢さんは指揮官のような男へと心配する声をピタリと止め、恐る恐ると足音の鳴るほうへと振り返った。


 そして彼女との距離があと数歩という所まで来た時、リアとお嬢さんの間に2人の騎士風の装いをした男が立ちふさがるのだった。



 「きっ貴様、何者だ! なぜお嬢様を狙うっ!」


 「止まれ! 止まらねば、斬るぞ!」



 銀色の鎧に青いマントを靡かせ、一本の長剣を両手で構えながらその切っ先をリアへと向ける二人。


 明らかに自分へと向けられた言葉ではあるが、リアにとってはどうでもよく、それよりも気になる単語に内心ではしゃいでいた。



 (え、えっ、やっぱりお嬢様なの!? 貴族のお嬢様きたー!! それだけ身なりが良くて平民とか冒険者っていうのは流石にないと思ったけど。 なんだかんだで暗殺依頼でも見たことなかったわ……貴族の血、それもあれだけの子。 楽しみだなぁ)



 リアは彼女と自身を遮る騎士達には目もくれず、その先の水晶のような瞳を微かに震わせながらこちらへ向けてくるお嬢さんに期待を昂らせる。


 瞳を震わせ、心配そうな表情で胸に手を置き、二人の騎士の後ろに身を隠すようにするお嬢さん。


 もう少しその美しくも儚げな容姿を見ていたいと思っていたリア、そしてそうする為にも目の前の置物が邪魔なことに気づき、漸く目の前の騎士達へと視線を向けるのだった。



 騎士たちはフード越しでありながら、目の前の海竜をやったと思われる危険な存在が、自分たちを見たのを肌で感じとり警戒を強めながら姿勢を低くし剣を構えなおした。



 (はぁ、君ら邪魔だよ。 お嬢さんの前だし、殺しはしないけどとっても邪魔。 ――――受け身くらい、取ってよね)



 リアは騎士達に狙いを定め、LV40~50の海竜シーサーペントに手も足もでないLVと考えた結果、目の前のこれらのLVは20~30程と判断する。



 殺さないよう、怪我はしても骨折レベルでとどめる様にその場から駆け出し、まるで目で追えていない二人の懐へと入ると高い筋力STRに物を言わせ逆関節に腕を回しながら空中へと放り投げる。



 「なっ、……っ、が!」


 「え? っ、……! ぐはっ」



 大した調整はせず、このくらいか?っという力加減で投げた騎士達は大船のマストの中間辺りまでその身を浮かせ、次の瞬間には甲板へと金属鎧の鈍い音を響かせるのだった。



 その様子を見ていた周囲の人間は何が起きたのかわからず、黒ローブがいきなり消えたと思えば次の瞬間には騎士が二人宙を舞っていたことに驚愕が隠せずにいた。


 鈍い音を響かせた騎士達は打ちどころを抑えながらのたうち回り、甲板には苦痛の叫び声が広がる。



 (少しの打ち身で喚かないでほしいわぁ。 ほら、お嬢さんもビックリして固まってるよ。 騎士ならそれくらい我慢して欲しいかな)



 リアは後方で騒ぎ立てる騎士達に内心で呆れ果て、それでも漸くお食事にありつけると気分を高揚させていると、聴こえてくるまるで身体を引きずるような足音にまたしても邪魔が入ったことを予感させる。


 お嬢さんに歩み寄りながらローブの下から伸ばした手を宙で止め、げんなりした表情で――フードで見えないが――振り返るリア。



 そこには文字通り足を引きずり、息も絶え絶え状態で脇腹を抑えながらこちらへと向かってくる指揮官のような貴族風の男。


 片手で苦しそうに抑えた脇腹には白い包帯越しに血だまりを滲ませ、それでも吸収しきれずに溢れさせた血をぽたぽたと滴らせている。



 満身創痍。

 遠目には破壊された船の破片が突き刺さっただけに見えたが、どうやらかなりの深手らしい。


 最低限の応急処置は済ませているようだが、自然治癒リジェネも回復魔法すらない体では、すぐに動ける状態ではどうみてもない。


 (はぁぁ、また邪魔……今度は今にも死に体な男。 ちょっと触れば力尽きそうなのに……でも、助けたお礼くらいあの子から貰ってもいいと私は思うの。 だからさ、黙って寝てて欲しいな)


 何度目になるかわからない溜息を内心で吐きだすリア。

 そんな男に対して、お嬢さんは身を乗り出すようにして悲痛の叫びを上げたのだった。



 「お父様っ! だ、だめです! その体で、無理をしてはいけません!!」



 焦ったような泣きそうな、制止を願う叫び声にも似たそれは甲板中へと響き渡り、その声を当然聞えていたであろう男は足を止める素振りを見せない。


 ゆっくりと亀の歩みではあるが一歩一歩リアとお嬢さんの元へと向かいながら荒い息を吐き出し、息も絶え絶えな状態で口を開く。



 「ルシー……逃げなっ、がはっ……はぁ、はぁ。 き、貴様っ、……手は、……出させん……絶対にっ!」



 老いというよりは元々そういった髪色に見える白髪の男。

 娘とは違った琥珀色の瞳はリアを射貫くように睨み付け、その目には絶対に娘には手を出させないという頑強な意志を感じさせる。


 そんな父親にお嬢さんは首を左右に振りながら白い髪を荒々しく靡かせると、目元に涙を溜めその美しい顔を歪ませた。



 「駄目っ! 駄目よ……お父様っ! お願い……、来ちゃ駄目! 本当に、……それ以上動いたらっ―――」


 リアは泥沼の進行速度で向かってくる男に興味がなくなり視線を外すと、目の前で泣き叫ぶお嬢さんに止めていた手を伸ばし、力を籠めれば折れてしまいそうな程の細い腰へと手を回す。



 抱きしめるような形で抱擁し、もう片方の手をローブから出しながらその美しくも涙が滴る頬へと添える。


 突然の抱擁に息を飲んで、目を見開きながらリアへと視線を移すお嬢さん。


 後方では、瀕死の父親が血反吐を吐くような叫びで何かを言っていた気がするが、我慢を焦らしに焦らされ【鮮血魔法】よりも大量に血を消費する【壊血魔法】によって既にリアは我慢の限界に達していた。


 抱きしめるお嬢さんは悲しみと嘆きに表情を歪め、頬には絶えず涙を垂らしているが、そんな様子ですらリアかすれば美しくも儚い様子に程よいスパイスが加えられたようにしか感じない。



 抱きしめる腕からは柔らかな感触が伝わって来て、抱きしめる胸元からはそれなりのボリュームである胸がぎゅうぎゅうと押し付け合う形となる。



 「漸く……貴方をいただける。 もう、牙とお腹が疼いて仕方ないわ」


 「……っ」



 間近でリアの言葉を聞いていたお嬢さんは泣きながらもその表情には驚きを表し、その声音からリアが女性であることに気づいたのだろう。



 間近で見れば見るほどに美しいその容姿。


 きめ細かい白い肌に、雪のような溶けた水のような淡い白髪。

 瞳は水晶のように透き通った輝きを放っており、光の反射によって虹色に煌めかせている。

 とめどなく流れる涙はそんな虹色に更なる魅惑を生み出し、儚げにも心を痛ませているその様子からは幻想的な美しさが溢れだしていた。



 リアはうっとりしながらもその頬に添えた手に力を込め、「それじゃあ、いただきます」と口ずさむ。


 美しい視界の脳裏の端には、【戦域の掌握】によって1つの存在が蝸牛の歩みで寄ってくるのを感知するが、すぐに頭の片隅へと追いやった。



 自身の口をお嬢さんの首元へと迫らせて行くリア。

 数秒後にはその牙が白い肌を貫く筈だった――――が、


 リアはピタリとその動きを止め、眉を顰めると呆れたような困った笑みを浮かべた。



 「そんな顔を見せられたら、……食べれないじゃない」



 見ていてあまりにも深い悲しみに満ち溢れ、心配と混乱の気持ちがありありと見えるその表情。

 多少のスパイスは大いにありだと思っていたリアだったが、行き過ぎればそれは全く別の物へと変わる。


 ある程度強行してでも貰うものだけ貰った帰ろうと考えていたリア。


 しかし、いざ触れてみると目の前の彼女の心境に感化されてしまったのか、まるで"何か"に押されるようにして目的にしか向かってなかったリアの心に何かが響いた気がしたのだ。


 (っ、それは反則よー! そんなに悲しそうに泣かれたら、流石に私も手が出せないわ。 ……はぁ、徒労だったかしら。 いや、美しいお嬢さんを救えただけ、意味があったと思おうかな)



 何をされる予定だったのかはわかっていなそうに見えるその表情。

 ただそれでも、その何かをされずに済んだことを理解したのか、きょとんとした顔を浮かべるお嬢さんにリアはなんとも言えない表情を見せるとその頬を愛おしそうに撫でた。



 「今度は、気をつけなさい。 あと、もっと強い護衛を雇うことね」


 「っ……」



 間近でフードの下から覗くようにしてお嬢さんの瞳とリアの瞳が交差する。

 水晶の様な瞳には未だ、色々な感情が入り混じっているように見えたが、その美しい瞳を見て満足したリアは頬に添えた手をそっと放したのだった。



 リアは溜息を付きながらお嬢さんに背を向け、船を出ていこうと甲板の端へと歩いていく。


 甲板には二人の騎士を介抱するもの、海竜との戦闘で負傷し治療を受けながらもリアを見つめる者、そして這い蹲って動いているお嬢さんの父親に駆け寄っていく数人の者。



 お嬢さんは唖然とリアは見つめていたが、思い出したように自身の父親へと駆け出し、血だまりを甲板につくりだすその様子に再び涙を流し始めた。



 「お父様……? お父様っ!? ……船医! 船医はどこなのっ?」



 後方から、泣き叫ぶような痛ましい声が聴こえてくる。

 リアは立ち止まり、そして盛大に溜息をはいた。



 手に入ると思ったモノは手に入らず、無駄に血と魔力を消費して、気分的に我慢の限界だったのを無理やりに押さえつけ。

 極めつけは、どうしてか気になってしまうお気に入りの子の悲しむ声。



 (正直、あの男がどうなろうとどうでもいいんだけど、……うぅ、そんな顔されたら、うーん)


 ステータス的にいうのであれば、大量に出血したダメージ、魔法に使用した魔力MPは全体を通してみれば微々たる量ではある。


 だから、これはリアの気分的な問題で今すぐ血を飲まなきゃいけないなんてことはない。



 お嬢さんの呼びつけにすぐさま船医らしき白衣の男が父親の容体を見るが、眉を顰め頭を左右に揺らして首を垂れるのが横目に見える。


 お嬢さんは横たわる父親に突っ伏し、白い髪が僅かに赤く染めるのを気にせず肩を震わせていた。



 「はぁ、乗りかかった船っていうのかな。  助けた責任?」


 誰に話してるわけでもなく、ただ言い訳じみた言葉であの子を助けようと思ってしまっているリアは自分自身に困惑しながら、やがて納得したように頷く。


 リアは振り返り、横たわる父親のとこまで歩くと驚愕の表情を浮かべた船医にインベントリから取り出した、他人用に持ち歩いていた『最上級HPポーション』を放り投げる。


 船医の男は驚きの表情であたふたとしながらも空中で受け取ると、まるで見たことのないような表情で手元のポーションとリアを交互に見始める。


 リアは【血脈眼】によって得られるお嬢さんの父親からの情報に、船医へ助言を伝えるよう口を開いた。


 「30秒。 それ以内に決めないと死ぬわよ」



 悠長にもポーションを使うべきなのか悩み始めた船医にリアの言葉を聞いていたお嬢さんは救いを見出すように目を見開いて船医を問いただし始めた。


 その様子を見ていたリアは判断を委ねることにし船を降りたのだった。



 (強引に連れてくるべきだった? うーん、わからない、もやもやするわ。 ……返ったら二人に癒してもらおう)


 海面に振れる前に【万能変化】で白い蝙蝠にその姿を変えると、遠方の空に待つティーの元へ帰っていくのだった。


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