第2話 婚約破棄された伯爵令嬢



『僕は真実の愛に目覚めたんだ。だから君との婚約を破棄しようと思う』



 一ヶ月前、わたしは人生のどん底に突き落とされた。


 親同士が決めた婚約者の突然の発言。

 わたしは聞き返すことも、反論することも、追い返すこともなく、ただその申し出を受け入れた。


 婚約者……いいえ、今はもう元婚約者ね。彼のことが好きだったのかと聞かれると決してそんなことはない。

 本気で愛していたのなら涙を流して捨てないで、と懇願したに違いない。

 そうしていない時点でわたしにとって彼はただの婚約者で愛する人ではなかったということになる。


 この話を聞いて激怒したお父様がすぐに受理したことで、向こうの親には有無を言わさず、正式に婚約はなかったことにされた。


 残ったのは傷物にされて嫁の貰い手がなくなったわたしと、わたしが原因で婚約破棄されたという根も葉もない噂話だけ。


 別に婚姻前に体を許したわけではないから断じてそういった意味で傷物にされたわけではない。

 けれど、結婚適齢期の娘に嫁ぎ先がなくなったという事実は常に面白い話題を探している社交界で格好の餌食となってしまった。


 ここまで大事になってしまえば、わたしの未来は潰えたも同然かと思われたが。


 こんなわたしを欲しいと打診してきた家があった。

 それが名家であるユミゴール公爵家である。


 お父様は二つ返事し、わたしを公爵家に住まわせる手筈まで整えてしまった。

 本来であれば結婚式後に同居するのが常識であるが、ユミゴール公爵様があんな形で婚約が白紙になったから、とこちらの警戒心を見抜き、提案してくださったのだ。


 何はともあれ、わたしの新しい嫁ぎ先は決まった。

 そこにわたしの意思は関係ない。


 お父様が決めた人と結ばれ、夫となる人を立て、社交の場を上手にこなし、世継ぎを生む。それがわたしの務め。

 そう思って公爵家に嫁入り修行に入った。


「このウィリアンヌ、本日よりケネス様の婚約者として精一杯務めさせていただきます」

「……あぁ」


 カーテシーを取ったわたしへの返答は素っ気ないものだった。

 でも驚きも苦痛もなかった。

 この婚約は親同士が決めたものだから、わたしと同様にケネス様の意思は関係ないだろう。きっと迷惑極まりないに違いない。


 ケネス様のこの態度も当然だわ。


 わたしとしては傷物をもらっていただいることに感謝こそすれ、文句を言う権利は微塵もない。

 なるべくケネス様に不快な思いをさせないように、必要以上には関わらず、静かに結婚式を待つ心積もりでいた。



◇◆◇◆◇◆



 公爵家でお世話になるようになって2日が経ち、息抜きにお屋敷を離れて散歩していた時のことだ。偶然にも小さな教会を見つけた。


 侍女のセラと教会を覗いてみたけれど、先客も神父もシスターの姿もない。

 簡素な造りではあるが生けられている花は瑞々しく、清潔感があって、清らかな雰囲気を感じる。


 気づけば、女神像の前に跪き、目を閉じて祈りの姿勢を取っていた。


「どうか、ケネス様との結婚生活が静かな水面みなものように波乱なく営めますように。旦那様を支えられる、よい妻になれますように」


 背後にセラがいることを忘れていたわけではない。

 振り向くとセラはうっとりとした笑みを浮かべており、瞬間的に恥ずかしくなった。


「内緒にしてね」

「もちろんです。きっと、ウィリアンヌ様の願いは女神様に届きますよ」

「そうだといいな」


 立ち上がったわたしは女神像に一礼して、教会を出た。


「そろそろ戻りましょう。また公爵家の使用人に小言を言われてしまいます。まったく、ウィリアンヌ様は未来の公爵夫人だというのに」

「そんなこと絶対にお屋敷では口にしないでよ」

「もちろんです。そんな失態は犯しません」


 公爵家の方を向きながら舌を出すセラをたしなめると、彼女は悪戯っ子のように笑いながらわたしの後ろについてきた。


「あら……?」


 ふと、足を止める。


 教会に隣接するように立てられた古びた小屋。

 そこには『骨董屋アンティークショップ』という看板が立て掛けられていた。


「ウィリアンヌ様?」


 突然、足を止めたわたしの顔を覗き込むようにセラが隣に並ぶ。

 わたしは薄暗い店内を凝視して動けなくなってしまった。


「もう少しだけ寄り道をさせて」


 奇妙な雰囲気の漂う店内は一歩進む度に床がきしみ、埃が舞い上がった。

 朽ちた横長のテーブルには所狭しと見たこともない数々の品が置かれている。


 あまりの埃っぽさに口元を隠しながら店内の奥へ。


「ひっ!」


 思わず小さな悲鳴を上げてしまったのには理由がある。

 カウンターに老婆が座っていたのだ。


 背中が曲がっているのかカウンターテーブルにめり込んでいるように見える影が人だとは思わず、急に動き出したものだから驚いた。


「し、失礼しました。こちらに陳列されているのは全て売り物ですか?」

「さようです。この店ではお客様に必要な物だけをお売りしています」

「必要な物だけ? では、わたしがこれを欲しいと言っても売っては貰えないのですね」


 適当な商品を指さすと老婆は錆びた時計の針のような動きで首を横に振った。


「お嬢様にはこちらを」


 そう言って取り出したのは片手で持てるサイズの箱だった。

 箱の右側にはダイヤルと文字盤、左側にはいくつもの小さな穴が空いているもので用途は一切分からなかった。


「これが、わたしに必要なもの……」

「買いますか? お買い上げいただけるのなら金貨10枚になります」

「き、金貨10枚!?」


 おそるおそる後をついてきていたセラが驚いた声を上げる。


 わたしだって驚きだ。

 こんなにも古びた店の老婆が取り出した商品に金貨を支払うなんて胡散臭いにも程がある。


 きっと、わたしをどこかの金持ちの娘だと思っているのだろう。

 そんな手には乗らないんだから。


「無理に、とは申しません」


 潔すぎる。

 もっと強引に押しつけてきてもいいのに。

 伯爵領に来ていた商人たちはもっと商売上手だったわ。


 お母様が上手く言いくるめられて高級な壺や絨毯を買ってしまうものだから、お父様がいつも困っていたのを知っている。


「では、店じまいしますのでご退店を」


 あ、でも、それが今のわたしに必要なものっていうのは気になる。

 それに教会の隣に建てられているということは何か神聖で、神の代行者のような役割を与えられていたり……。

 そう考えるとこちらの老婆も胡散臭くないような気が……しなくもないかもしれない。


「これはお嬢様限定の品。今日限りの商品なので今を逃すと手に入りません」


 どうしてそういうことを言うのかしら。

 気持ちが揺らぐじゃないの。


「では、ご退店を」

「待って下さい。……買います」

「ウィリアンヌ様!?」

「では、金貨10枚になります」

「ちょっ、本気ですか!?」

「はい。ちょうどです」

「確かに。毎度ありがとうございます」


 わたしは一時の気の迷いで不思議で謎の商品を手に入れた。


 公爵邸に戻るまでの間、ずっとセラは騙されているだの、思慮が浅いだの、奥方様のことを悪く言えないだの、正論を叩き付けてきた。


 そんなことは自分が一番分かっているわ。

 仕方ないじゃない。あなただけの限定商品って言われて惹かれないの!?


 それに、ここでお母様を引き合いに出さないでちょうだい。

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