第81話 殲滅の空
「敵編隊探知! 方位一四〇度、距離一五〇キロ。機数一〇〇〇」
未曽有ともいえる大編隊の襲来にもかかわらず、しかし第一機動艦隊の旗艦「翔鶴」艦橋にはどこか安堵にも似た空気が流れていた。
敵の攻撃隊の規模が一〇〇〇機だったとはいえ、それは想定の範囲内だったからだ。
彩雲による索敵の結果、オアフ島南東海域に展開する米機動部隊は四群。
その基幹戦力である「エセックス」級空母は合わせて一六隻あることが分かっている。
その「エセックス」級空母は戦闘機と急降下爆撃機それに雷撃機をバランス良く搭載すれば一〇〇機、戦闘機の比率を高めればさらにそれ以上の機体が運用できると見られている。
そして、此度の戦いでは間違いなく戦闘機の比率を高めているはずだから、艦上機の数は全体で一七〇〇機近くに達するかもしれない。
もし、これらを思い切って攻撃に全振りすれば、九三六機の迎撃機を擁する日独伊連合艦隊といえどもその防空網が破綻していたことは間違いない。
その結果、空母を中心に大損害を被ることは必至だっただろう。
そして、それこそが米軍にとっての最適解だったはずだ。
仮に、ここで米艦隊と日独伊連合艦隊が差し違えることになったとしても、それは米軍にとって勝利に等しい。
米国の建艦能力は日本それにドイツやイタリアのそれとは比べ物にならないくらい優れているからだ。
米本土では主力の「エセックス」級空母が現在も絶賛量産中だし、来年になれば同級を遥かに上回る四五〇〇〇トン級装甲空母が就役する。
さらにわずかに遅れて「ボルチモア」級重巡をベースにした改造空母もまた戦列に加えることが出来るのだ。
そして、それらが戦力化された時点で、逆に日独伊の空母の数が大きく減じていれば、それこそ米軍は地中海といった一部の例外を除き、世界のほとんどの海をその支配下に置くことができる。
(だが、米軍は損害を恐れ、千載一遇の好機を逃した。おそらく米軍は民主国家の軍隊ゆえに、日本の艦上機隊の前に戦闘機の傘の無い無防備な空母を差し出すような戦術を採用することが出来なかったのだろう)
胸中でそう推し量った小沢長官は、一方で別の思いも抱いている。
(逆に帝国海軍のほうは、その必要性を認めれば、空母を敵戦力を誘引するあるいはその打撃力を吸収するための囮に使うことさえ躊躇しないだろう)
しかし、この一事をもって米軍のほうが人道的だと断ずるわけにもいかない。
米軍とて必要があれば非情な決断を下すだろうし、それはこれまでの歴史が証明している。
そう考える小沢長官の耳に爆音が飛び込んでくる。
即応待機中の烈風が発艦を開始したのだ。
米機の大編隊を探知した時点で、日独伊の三九隻の空母にはそれぞれ二個中隊、合せて九三六機の烈風が用意されていた。
このうち、一個中隊は上空警戒にあたり、残る一個中隊は飛行甲板上で命令があればすぐに飛び立てる状態にあった。
敵編隊の発見と同時に上空警戒中だった四六八機の烈風が南東へとその機首を向けて進撃を開始する。
可能な限り遠方で敵編隊を捕捉すべく速度を上げ、即応待機中だった機体も慌ただしく発艦してその後を追った。
先行した四六八機の烈風は途中、攻撃隊の用心棒を務める五七六機のF4Uコルセア戦闘機のありがたくない出迎えを受ける。
それらF4UはSB2Cヘルダイバー急降下爆撃機やTBFアベンジャー雷撃機を守るために烈風の前に立ちはだかる。
先手を取ったのは烈風だった。
一機あたり一〇発、合計で四六八〇発の「奮龍二型」をF4Uの群れ目掛けて発射したのだ。
一方、米陸軍や海兵隊から選抜されたエース搭乗員たちの動きは素早い。
烈風から「奮龍二型」が発射されたとみるや、急旋回や急降下をかけてそれらの回避にかかる。
ただ、いかに搭乗員を腕利きで固めていようとも、事前想定を遥かに超える四六八〇発もの火矢で形成された包囲網から全機が無事に抜け出すことなど到底不可能だ。
想像を超えるロケット弾の物量攻めという奇襲にさらされながらも、それでも八割を超えるF4Uが辛くもその火矢で構成された火網からの離脱に成功する。
そのいずれもが卓越したテクニックで死線をかいくぐることに成功したのだ。
あるいは、これが並みの搭乗員ばかりであったとしたら、F4Uの半数は失われていたことだろう。
それでも、米戦闘機隊が大損害を被ったことに変わりはない。
回避がかなわなかった二割弱の機体は「奮龍二型」の至近爆発によって撃墜されるかあるいは戦闘続行が不可能になるほどのダメージを負っていたからだ。
予想を遥かに超える「奮龍二型」の攻撃によって隊列を乱されたF4Uはさらに想定外の事態に直面する。
零戦だとばかり思っていた相手が、実はまったくのニューフェイスだったからだ。
その新型機は零戦より明らかに速いうえに旋回性能も同等かあるいはそれ以上だった。
総合的な性能はF4Uより明らかに上だろう。
早い段階でそれを悟ったF4Uの搭乗員らは敵機の撃墜をあきらめ牽制に専念する。
要は、SB2CやTBFに手出しができないように、彼らを自分たちに引き付けておけばいいのだ。
そのことで、烈風のほうはF4Uの防衛網を突破することが出来なかった。
米陸軍や海兵隊の腕利きばかりで選抜されたエース部隊の称号は伊達ではなかったのだ。
一方、それぞれ一九二機、合わせて三八四機のSB2CそれにTBFはF4Uと烈風が混交する空戦域を後に、そのまま前進を続ける。
そこへ即応待機組の四六八機の烈風が殴り込みをかける。
空中戦に関して遥かに格上の敵が、しかもそれが一〇〇機近くも多ければ、鈍重なSB2CやTBFがその阻止線を突破して日本の艦艇に雷爆撃を実施するなど到底不可能だ。
なによりもまずは自身の生存を優先すべく、SB2CやTBFは早々に爆弾や魚雷を投棄して遁走にかかる。
状況を鑑みればそれは合理的な判断であり、決して怯懦の振る舞いではない。
しかし、烈風との間にある隔絶した速度性能の差は、その正確な判断を無意味なものにする。
あっという間にSB2CやTBFに追いすがった烈風は試射のような気安さでSB2CやTBFに「奮龍二型」を撃ち込んでいく。
いかに凄腕が操縦していようとも、急降下爆撃機や雷撃機にF6FやF4Uのような機動性は望めない。
操縦員はありとあらゆる回避テクニックを駆使して「奮龍二型」の魔手から逃れようとするが、SB2CもTBFもその動きは悲しいほどに鈍い。
ほとんどの機体が「奮龍二型」の至近爆発によって撃墜されるかあるいは飛行に支障が出るほどのダメージを被る。
撃墜されなかった、つまりは死にきれなかったSB2CやTBFに対し、烈風は介錯とばかりに二〇ミリ弾を叩き込んでいく。
単発艦上機としては極めて充実した防弾装備を誇るSB2CやTBFも、しかし二〇ミリ弾をしたたかに浴びてはさすがにもたない。
一方、SB2CやTBFをそれこそ鎧袖一触とした即応待機組の烈風は、先にF4Uと交戦状態に入っていた上空警戒組の味方に助太刀すべく南東へとその機首を向ける。
恐るべき技量を持った敵だからこそ、ここで殲滅しておく必要があった。
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