第72話 烈風

 「一六隻の空母とそれに一七〇〇機の艦上機ですか。こちらは空母が三一隻あるが、しかし肝心の艦上機の数は同じく一七〇〇機程度でしかない」


 山本総長は唸るような声で、平沼が挙げた数字を反芻する。


 「『エセックス』級空母は戦闘機と急降下爆撃機それに雷撃機をバランス良く搭載した場合でも一〇〇機を運用できます。そして、次に連合艦隊と戦う時は戦闘機の比率を高めてくることは間違いの無いところでしょう。機体の小さな戦闘機が増えれば、その分だけ搭載機数もまた増える道理です」


 連合艦隊の母艦航空隊は六隻の「雲龍」型空母を計算に入れることで、ようやく一七〇〇機をわずかに超える。

 空母の数こそ二倍近いが、しかし肝心の艦上機の数はほとんど差が無いのだ。


 「それと、妙な例えで恐縮ですが、『エセックス』級空母は帝国海軍で最大の艦上機の収容力を誇る『翔鶴』型空母や『加賀』よりもさらに三〇機近く搭載機数が多い。なので、太平洋艦隊は『翔鶴』型空母と小型空母をそれぞれ一六隻の合わせて三二隻を保有しているようなものです。日本の空母が三一隻なのですから、双方の艦上機の数に差がないことは不思議でもなんでもありません」


 平沼の例え話に苦笑しつつ、山本総長はなぜ彼が連合艦隊とドイツ海軍それにイタリア海軍が保有するすべての空母を投入しなければ大損害は免れないと言ったのかを理解する。

 三一隻の空母があることで気が大きくなって見えていなかったが、しかし劣勢なのは明らかにこちらの方なのだ。

 ただ、一方で山本総長は平沼の挙げた米航空戦力の物量に幻惑されている己にも気づく。


 「そうなってくると頼みはドイツとイタリアの空母となるが、しかしそれでもオアフ島の基地航空隊の戦力には及ばないだろう。しかし平沼さん、戦は数では無い。そうは思いませんか」


 「数では無いということでしたら、あとは機体性能と搭乗員の話でしょうか」


 山本総長の問いかけに、考えるまでも無いとばかりに平沼が即答する。


 「その通りです。米海軍はブリスベン沖海戦や北大西洋海戦それにミッドウェー海戦ならびにオアフ島沖海戦で搭乗員のそのことごとくを失ってしまった。おそらく、教官や教員といった連中を除けば熟練は数えるほどしか生き残っていないはずです」


 ドヤ顔の山本総長に、しかし平沼は何の躊躇も無く反論の言葉を紡ぐ。


 「米海軍の搭乗員が払底していることについてはおおむね同意します。しかし、米国は強大な国家です。その気になれば、すぐにでも母艦搭乗員を調達することが出来るはずです」


 狭い空母の飛行甲板に離着艦できる搭乗員はスペシャリストの中のスペシャリストだ。

 帝国海軍でも母艦搭乗員の養成に力を入れているが、しかしそういった特殊技能の持ち主は一朝一夕で育てられるものではない。

 疑問の表情を向けてくる山本総長に、平沼のほうは淡々と種明かしをする。


 「米海軍の搭乗員が壊滅的ダメージを被ったとしても、しかし米陸軍や海兵隊には大量の搭乗員が残っています。なにせ彼らが本格的に動き出す前に豪州も英国も戦争から降りてしまいましたから、連中に関してはほとんど無傷と言ってもいいくらいです。そして、その彼らの中で特に優秀な者を選抜して母艦搭乗員にすればすべて解決します。陸軍機から海軍機に機種転換するのと同時に洋上航法それに離着艦訓練を施せばそれで事足りる。それこそ、あっという間に母艦エースパイロットの誕生です」


 陸軍と海軍の縄張り争いが激しいのは、日本も米国もさほど変わることはないだろう。

 しかし、日本と違って米国の場合は大統領が強権を発動すれば陸軍パイロットを海軍パイロットにでっち上げることが可能なのかもしれない。

 平沼の言葉に少しばかり落胆の気持ちがわき上がってくるが、しかし気を取り直して山本総長は話を搭乗員から機体へと転換させる。


 「ならば、機体性能のほうはどうでしょう。秋以降であれば、母艦戦闘機隊も現在の零戦五三型からすべて新型の烈風一一型へと置き換わっているはずです。零戦でさえF6Fとは互角以上に戦えた。烈風であればさらに有利に戦いを進められることは間違いの無いところだと考えるのだが」


 零戦の後継機として開発が進められた烈風は紆余曲折を経てまもなく部隊配備が始まるはずだった。

 烈風は川西航空機に一五試艦上戦闘機として開発が指示され、当初は四二リットル一五〇〇馬力の火星発動機をその心臓に据えていた。

 しかし、開発を始めて一年と経たずに誉発動機に変更することが決定され、二〇〇〇馬力級戦闘機として産声を上げる予定だった。


 しかし、昭和一七年の末に大きく開発方針が変更される。

 豪州それに英国を立て続けに打倒する大きな原動力となった日本の機動部隊の活躍に触発されたドイツのヒトラー総統が、烈風をはじめとした艦上機の開発にドイツも一丁噛みさせろと帝国海軍に申し入れてきたのだ。


 初めての艦上戦闘機の開発に一抹の不安を抱く川西航空機上層部それに帝国海軍航空関係者はこの申し出を即座に受け入れた。

 共同開発すれば、当然のことながら航空先進国のドイツの知見が川西航空機それに帝国海軍にもたらされる。

 このメリットは大きい。


 ドイツが日本との共同開発のパートナーに送り込んできたのはクルト・タンク博士だった。

 おそらく、ドイツでは珍しい空冷発動機を搭載したFw190を設計した実績を評価されてのものだろう。

 そのクルト・タンク博士は開発中の烈風を見るなり、即座に誉発動機にダメ出しをした。

 クルト・タンク博士は自重が三トンを超える烈風にわずかに三六リットルの排気量しかもたない誉では明らかに役不足だと訴えたのだ。

 実際、烈風はもとより零戦よりも小さいFw190は四二リットル、米国のF6Fに至っては四六リットルの大排気量エンジンを搭載している。

 今後も航空機が大重量化することが分かり切っているのにもかかわらず、しかしトルクの細い小排気量の誉を採用しようとする日本の軍人あるいは技術者の頭の構造がクルト・タンク博士には理解できなかった。


 そのクルト・タンク博士だが、最初に目をつけたのは火星発動機の一八気筒版であるハ四二だった。

 ハ四二は五四リットルの排気量を持ち、さらに水メタノール噴射装置を装備したタイプは二四〇〇馬力の出力が見込めた。

 だがしかし、結局採用されたのは英国製のセントーラス発動機だった。


 実はセントーラスは排気量それに出力ともにハ四二とほとんど変わらない。

 しかし、高品質のパーツをふんだんに使い、そのうえ優れた工作精度で組み上げられた同エンジンはハ四二とは比較にならないくらい信頼性の高いエンジンだった。

 昭和一八年半ば以降、烈風の開発陣はセントーラスを搭載してテスト飛行とそれに伴う不具合の洗い出しに精力的に取り組んだ。

 そして、一年近く熟成を重ねた烈風はこの夏から実戦部隊に配備されることが決まっている。


 「山本さんのおっしゃる通り、烈風であればF6Fは問題とはしないでしょう。搭乗員の腕が互角であれば、烈風が後れをとることはありません。しかし、米海軍はすでにF6Fに見切りをつけ、より高性能のF4Uを主力艦上戦闘機としてこちらにぶつけてくるはずです」


 オアフ島を巡る第二ラウンドの戦いではF6FではなくF4Uと対峙することになる。

 そう話す平沼に山本総長は疑問を抱く。

 昨年序盤に戦場に姿を現したF4Uは二〇〇〇馬力級発動機を搭載している新型戦闘機なのにもかかわらず、しかし帝国海軍内ではそれほど強敵だとは認識されていない。

 実際、金星を搭載した旧式の零戦でさえF4Uを撃墜しているのだ。

 なにより、帝国海軍の戦闘機乗りの多くがこれまで多数の日本機を撃破してきた実績を持つF6Fのほうをより強敵だと訴えている。

 だから、その事実を山本総長は平沼に指摘する。


 「確かに、登場したばかりのF4Uは新型機の割にはその脅威を感じさせる相手ではなかった。しかし、それはF4Uが機体や発動機の至る所にトラブルを抱えていたからです。

 しかし、それから一年半近くの間に不具合を完全に潰し、F4Uはそのポテンシャルを完全に発揮できるまでに至りました。今では機動性はF6Fと同等かあるいはそれ以上、単純な速力に至っては比較になりません。高度によっては七〇〇キロを余裕で超えるでしょう」


 与し易しと考えていた相手が、しかし意外な強敵となって再び姿を現すと平沼は言っている。

 だが、相次ぐ改良と不具合改修によって重量が増し、そのことで出力が不足気味だった零戦が発動機を金星から誉に変えたことで性能が劇的に向上した例があるのだから、F4Uもまた弱点を克服することで似たような現象が起こっているのだろう。

 山本総長はそう考え、そして納得するよりほかになかった。

 これまで平沼が言ったことで外れたことなど、一度も無かったからだ。


 「まあ、いくらF4Uが高性能の機体に変貌したとしても、烈風であれば大丈夫ですよ。それよりも問題なのはオアフ島の基地航空隊です。ドイツそれにイタリアの空母に同航空隊の相手をさせるのは少しばかり荷が重いでしょう」


 山本総長の心の内を知ってか知らずか、平沼が話題を旋回させる。

 帝国海軍士官の習性か、どうしても艦隊決戦のほうに目が向きがちな自分を内省しつつ、山本総長は平沼が振ってきた話に乗った。

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