老竜に望む②

「……すみません。もう少し気を遣うべきでした」

「いや、俺とメリアの話なんて知ってるはずないし、気遣いようもないだろ」


 シアはそれでも何か申し訳なさそうな表情をやめずにいる。


「……でも、どうなんでしょうか」

「何がだ?」

「アルカディアさんを裏切って、メリアさん達は果たして幸せになれるのでしょうか、と」

「……なれるんじゃないか?」


 俺が顔を上げるとシアは本当に不思議そうな表情を浮かべて呟くように言う。


「でも、メリアさんの結婚相手の方はアルカディアさんへの仕打ちを知ってるんですよね。結婚相手のこともメリアさんは知っていて。……お互いに相手を「人を利用して裏切る人間」と認識していて……その信頼とか愛情とか、そういうのがどうなるんですか? ……僕の感覚が変なのでしょうか」

「……さあな」

「アルカディアさんは、結婚相手の立場だったときメリアさんを信じて愛せますか?」


 それを尋ねるシアは心底不思議そうで、幼さの残る顔立ちもあって、本当に分からないから聞いているということが伝わってくる。


「……分からない」

「僕は難しいと思います。愛なんて曖昧なものを利益という明確なものに換金してしまえば、二度と曖昧さがあるために存在していたものが取り返せないと思うんです」

「…………そうかもな」

「だからこそ、罪を罰される必要があると思うんです。「これでその悪徳は終わりね」と区切りを付けることで、人生をやり直す機会になると」


 シアが何を言いたいのか分かり、焼き鳥に手を伸ばして興味がないフリをしながら尋ねる。


「……だから、メリアのためにも冤罪を解けと? 裏切られた俺が……メリアのためにと言われて動くと思うのか?」

「はい。アルカディアさんは、利益や損得という明確なものでは動かない人ですから」

「……馬鹿にされてるのか、買い被られているのか」

「アルカディアさんと結婚する方は、きっと幸せだと思います」


 シアは何の裏表もなくそう口にして、思わず焼き鳥を握っていた手が止まる。


「……そうかよ」

「あれ? 何か拗ねてます?」

「拗ねてない。…………結婚なんて絶対しない。冤罪を解いたら、その脚でどこかに死ににいく」

「えっ、何で拗ねてるんですか? 死んじゃダメですよ」


 どうせ俺とシアは冤罪を解いたら終わりの仲だ。

 シアは別に俺が特別というわけではなく、冤罪を裁きたくないというだけだ。


 焼き鳥を食べ終えて、シアが口元を拭いているうちにポケットに入っていたくしゃくしゃの紙幣で支払いを済ませる。

 シアに少し驚かれたが、俺が捕まったときに預かられていた私物が返されたのだと勘違いしたため訂正せずに放っておく。


 そのまま適当に必要そうなものを買い揃えて馬車に向かう。貴族のものというには少しばかり質素だが、作りは悪くないなさそうで快適な旅になりそうだ。


 ……と思っていると、最近見慣れた顔……ガガヤが御者台に乗っているのを見て思い切り顔を顰める。


「おいおいアルー、何で嫌そうな顔した?」

「あ、お待たせしました。どうにもお買い物の最中に機嫌を悪くしてしまったみたいで、僕には理由も分からず……」

「機嫌を悪くなんかしていない。不審な魔物狩りをするんだろ。ヘラヘラとしている場合ではないってだけだ」


 そう言いながら馬車の中に入って座り込むと、二人はコソコソと話し込む。


「あ、お嬢。何でアルは拗ねてるんです?」

「それがさっぱり……話していると突然」

「お嬢が何か変なこと言ったのでは? お嬢って結構デリカシーないので」

「ん、んー? 普通に「アルカディアさんと結婚する方は幸せですね」って言っただけですよ」

「あー、そりゃダメですよ、お嬢。アルはお嬢のことが好きなのに、お嬢からそんな他人ごとみたいな言い方されたら傷つきますよ」

「あっ、あー、そういうことだったんですか」


 そういうことではない。

 シアはモゾモゾと馬車の中に入ってきて、膝に仕事着である処刑人の服をかけてから申し訳なさそうに俺の方を見る。


「あの、先程はすみません。気遣い不足でした」

「違うからな。そういうので落ち込んで不機嫌だったわけじゃないからな」

「そうなんですか?」

「ああ。……シアはいちいち強引なんだよ。俺は何もしたくないのに」

「仕方ないですよ。アルカディアさんのその言葉が……嘘じゃないと、僕は知っているので」


 俺が不満に思いながら馬車の外を見ているうちに馬車は動き始める。

 空に羽ばたく鳥を眺めていると、シアは寂しそうに俺を見て笑う。


「……あなたが鳥を見ていると不安になります。「自由に飛んで行けて羨ましい」などと……今にも消えてしまいそうなことを考えていそうで」

「別に鳥にはなりたくないな。不意に羽ばたくのをやめてしまえば、容易く落ちて死ぬ。人の体なら転けて怪我をするだけで済む」

「まるで実際あったことのように話しますね」


 シアはクスリと笑ってから、ほんの少し表情を停止させて真顔に戻っていく。


「……えっ、あの……その実際あったんですか? 突然面倒になって体を動かさずに転倒するみたいなことが」

「ないか? 誰にでもあることかと思っていたが」

「ありませんよ。ありません。……その思っていた以上に……」


 シアは立ち上がったかと思うと、俺の隣にちょこんと座り直す。


「……アルカディアさんは、何で剣聖になったんですか?」

「何でって……戦場で暴れていたら誘われた。戦場にいたのは、メリアが金がいると言っていたからだ」

「……傭兵をしていたんですか。何で傭兵を……。強いのは知っていますけど、初めから強かったわけでもなければ、性格的に向いているとは思えませんが」

「戦場しか知らないからな。物心付いたときには戦場で屑鉄漁りをしていたし、何でも何も……それ以外に選択肢がなかった」

「……戦うのは嫌いですか?」

「好きも嫌いもないが……」


 シアは何か考えた様子を見せてから自分の膝に掛けていた服を俺の体にかける。

 少し暖かくシアの匂いがすると思っていると、彼女は信じられないことを口にした。


「魔物退治、僕とガガヤさんでします。アルカディアさんは手を出さなくて大丈夫です」

「えっ、いや、俺の労役だろ?」

「アルカディアさんは……「普通」を知るべきです。安心出来る家や、美味しいご飯、暖かいご飯、信頼出来るひと。……心を戦場から離さないとダメです」

「は、はぁ……」


 俺が困惑しているとシアの手が俺の頭に伸びて、ヨシヨシと俺の頭を撫でる。

 振り払おうと思ったがどうにも心地がよくて、シアの手を受け入れてしまう。


「……道端で」


 俺が口を開くと、シアは不思議そうに首を傾げる。


「道端で親と手を繋いでいる幼子を見ても。俺は「これは斬れるか」と考えてしまう。誰を見ても「斬れるか否か」を真っ先に考えて、斬れるだろうと判断してやっと安心出来る」


 シアの手がぺとりと俺の頬を触れて、小さな手がふにふにと俺を弄る。


「……俺は、たぶん生きていてはいけない生き物なのだろうと思う。価値の根底が、殺せるか否かだ。腹を空かせた狼よりも悪質で……だから」

「だから……「殺してくれ」ですか? それとも「見捨ててくれ」ですか? お断りです」

「……そうかよ」


 馬車がガタリと揺れて、シアが体勢を崩しそうになって肩を支える。不意に触れてしまったことを謝ろうとするが、シアの吸い込まれそうなほどに澄んだ瞳を見て言葉が詰まる。


 次にシアが何を言うのかが分からず、不安で自分の目が揺れるのが分かる。

 シアは崩した体勢を直すこともせず、息が触れ合うほどに近い唇を動かした。


「アルカディアさんは、まだ戦場にいるんですね。体は帰ってきても、心は帰るべき場所を失って。生きるとか死ぬとかの感覚は戦場にいるときのまま」

「……シアの言っていることは、難しくてよく分からない」


 シアは笑みを浮かべる。

 馬車に入り込んできた風がシアの髪を揺らして俺の頬をくすぐり、漏れる光が瞳を照らす。


「僕があなたの帰る場所になります。だから、もう平気ですよ」


 その言葉の意味を、俺は理解することが出来なかった。

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