第5話 父母の亀裂に子どもは落ちる

「ここだ・・・・・・!」


サンは自信満々に仁王立ちした。


「何かと思ってついて来たら・・・・・・」


二人は物々しい部屋の前に居た。

創立三百年以上の重みが乗った扉は固く閉ざされており、身体的な問題以前に、精神的に開けることを拒まれているような気がする程であった。


サンはおろか、エリーにもその資格はない。


「帰るわよ」

「ちょ、ちょっと待て! 教授なら判ってくれる筈なんだ!」


荘厳な扉には"社会学"の三文字が鎮座しており、中からは僅かに人の気配がする。


恐らく一人・・・・・・いや二人だ。


「ちょ!やめろ!」


エリーはサンの首根っこの辺りを掴み、ずるずると引きずり始めた。


サンの身体と古いリュックとが分離したようになり、伸びたベルトの部分が彼女の小さい身体を無理矢理運ぶ。


エリーは本格的に怒っていた。

これ以上大学に迷惑を掛けるのはやめてほしかった。

エリーはいつもより強くサンを引っ張り、自分が本気であることを暗に伝えた。


だがサンは全く気づいていない様であった。


「離せエリ姉!」


彼女の寛容とも無関心ともいえる性格を、サンが易々と打ち砕いたのには訳がある。


前にも少し触れたかもしれないが、エリーは三年後ここに通うことが決定している。


裏口だの何だのという方法には違いないが、本人もそれは自覚していて、それに相応する知能のポテンシャルも秘めているのだから仕方が無い。


万年家庭教師のエリーからすれば、ただでさえ面倒なキャンパスライフが、サンの奇行によってより面倒になるのは避けたい筈である。


だがしかし、彼女にとって自分の心象などは無関心であった。


よってサンが暴れようと何をしようと、エリーにはなんの関係もないと信じていた。


エリーが真に恐れているのは父親だ。


彼女の父親は、エリーを"金持ちリベラルの箱入り娘"にした張本人であり、ずば抜けた知能と、ぶっ飛んだ感性をもっている。


これらは何も誇大表現の類ではない。

更に付け加えるなら、誰よりも厳しい男であり、エリーは幼少期からその"鋭さ"に悩まされてきた。


証拠としてエピソードを一つあげよう。


エリーがサンを拾ってきた日のことだ。


エリーは当時反抗期だった。

彼女は父親の冷酷さを嫌い、合理主義を嫌い、その上で自分が父親に似てきていることを自認し、そして更には、自分の地位すべては父親のお陰であることも自認していた。


そんな父親から脱却したかった。


「私はこの娘を飼うわ。そして貴方を超えて見せる」


エリーは父親に宣戦布告した。


今のエリーでは考えられないことだが、それほど当時は血気盛んであった。


だが──


「人を飼うのはよい"教育"だな。しっかり学びなさい」


とだけ言って、父親はエリーの前から姿を消したのだ。


エリーは全身の力が抜けたようにその場にへたり込んだ。


自分の渾身の右ストレートを空振りさせられたような気分だった。


せめてカウンターを打ってくれれば、また立ち上がることが出来たのに。


エリーはその日から反抗をやめてしまった。


サンを飼うことを"教育"だと言うくらいの父親である。

自分たち家族以外の人間は、敵か、ペットかとしか思っていないのだろう。


もしもサンが父親の母校で何らかの不祥事を起こせば、"教育失敗"としてどんなペナルティが課されるのか想像もつかない。


「あの"装置"は仕組みさえ理解すれば信憑性は確かなんだ!」


サンはそんなエリーの事情を知らずに騒ぎ立てていた。

引きずられながらもジタバタと手足を動かした。


「世は空前絶後の自尊心ブーム!アメリカ屈指の叡智たるハーバードの教授に見せれば必ず興味を示すだろう!それにあの"装置"は本当に画期的なんだ!研究対象としても機能するんだ!」


よくこの状態で演説ができるなと、エリーは呆れた頭で思った。


すれ違う教員や学生は誰もが振り返り、不可解だと言わんばかりの顔を向けたが、彼らに喧嘩の沙汰で通報されぬよう、エリーは天使の微笑みで応えた。

無論、サンを引っ張りながら。


つまりエリーはとても忙しかった。


忙しかった故に、ある異変に気づかなかった。


「負け惜しみはよしなさいサン」

「エリ姉のわからず屋!ブス!メガネ!人種差別主義者!」


演説はたちまち罵倒に代わり、ナーバスになっていた彼女を加熱した。


エリーは歩みを速めた。


「や、やめろ!」


エリーの歩みはより速くなった。


「やめろって!ず、ズボンがずれる!」


強い摩擦でお尻が危なくなり、演説も罵倒も止んで、サンはズボンがズレ落ちないようにするので必死だった。

 

だから、サン自身も異変に気づくことはなかった。


ごとん。


大きめの音がした。


二人は気づいていない。


サンに至っては、お尻の辺りに"それ"がぶつかった筈なのだが、摩擦で熱くなっていたからか全く気づかなかった。


こうして二人が去った後、"偏見発見装置"だけが残った。


まるで喧嘩した両親が忘れていった迷子のように、研究室の前でお座りしていた。


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