第7話

──聖女候補。近い未来の正妃。何がどうなれば、そのような事になるのか。


「殿下、恐れながら……仰っておられる事の意味が分かりかねますわ」


「お話しした通り、そのままの意味ですよ。リヴィアお嬢様」


「リヴィア、お前が混乱するのも無理はない。だが、殿下の仰せになる事は理にかなっているのだ。今の王国に聖女候補となれる乙女は、お前を置いて他にいないだろう」


どうやら、お父様は納得しているらしい。王の御前で披露した力の為だろうか、だが聖女候補ならば──ヘルデラ公女様がいたはずだ。


「私は、聖女候補にはヘルデラ公女様がおいでであると存じておりましたが……」


「ああ、リヴィアお嬢様はまだ初めての礼拝を経験なされておられないのですね。ならば知らずとも致し方ないでしょう」


初めての礼拝──15歳を迎えた者が、魔術に目覚めるまで教会に毎週通って祈りを捧げるものの、その初めの事だろうか。


怪訝そうな私の様子を見てとった皇太子様が、居住まいを正して口を開く。


「ヘルデラ公女は、遅くとも17歳のうちまでに生命の樹を呼べなければならなかったのです。それは、聖女となる為の条件の一つですから。この条件は、初めての礼拝の際に教わる事でもあります」


「……そんな……」


私達は15歳で儀式を受ける。そこから始まるのに、たったの2年で魔術に目覚めて生命の樹までをも呼び出さなくてはならないとは。しかも、呼び出す生命の樹はただの生命の樹ではないのだ。


「ヘルデラ公女は、国と民を思う心は十分にあったと思います。──ですが、生命の樹は彼女を選ばなかったのです」


国と民を思う、慈愛の心。その心だけで生命の樹を呼び出す。聖女の条件だ。そうして宿る子は、国に繁栄をもたらす存在となる。


ヘルデラ公女様は必死に祈っていたのではないか。私には高く遠い存在のお方だったけれど、噂は時おり耳に届いていた。


「……ですが、私ごときが聖女候補などと畏れ多い事でございますわ。ましてや、殿下の正妃とは……私は、私の身分も能力も弁えております……」


潜在魔力が強いだけでは、ただそれだけだ。力を正しく発揮し、かつ操れなくてはならない。私には、まだそのような能力はない。


だが、皇太子様は悠然と受け流して微笑んだ。


「リヴィアお嬢様、にわかには信じがたいでしょうが……私は確かに見たのです。父王に控えながら、御前で力を顕現させた時のあなたから確かに御印が出ていたのを」


「……印……?」


「ここでは、詳しくは申し上げかねますが、私の目は確かです。だからこそ私は父王に願い出たのです。そして、それを父王がお認め下さった事こそ、お話し致しました事の証左となりましょう」


印──力を顕現させた時に、皇太子様が見たというもの。私は記憶を探り、はっとした。色を変えようとしなかった水晶を前にして感じた気持ちと、それに呼応するかのように心を満たした大樹。


もしかすると、皇太子様は大樹をご覧になったのだろうか?


訊ねたいとは思うものの、皇太子様は「申し上げかねる」とも仰せだった。ここで訊ねてはいけない事なのかもしれない。何か、二人きりになる機会があれば、その時にはお答え下さるのか。


──その時、私の心に何かが巣食った。あの大樹は、聖女こそが呼び出せる生命の樹そのものではないか、と。だとすれば幼い頃から夢で見てきた大樹に私は選ばれていたのだと。


……私が、聖女候補。


示された可能性を、私は愚かにも慢心で受け容れたと言っていい。


けれど。


「……皇太子殿下の仰せになられます事、お信じ申し上げますとして……それでも、正妃としての婚約というのは理解しかねますわ。私の何が殿下のお心に響きましたのでしょうか?」


それは解けない疑問だった。皇太子様は私をダンスにお誘い下さり──直接関わったのは、それだけだ。


「リヴィアお嬢様、私は決めていたのです。聖女となる乙女こそが、次の御世を継ぐ私の傍らに立つのに相応しいと。そしてリヴィアお嬢様が現れました」


──つまり、求めるのは聖女。私という個人ではない。


聖女候補として立てられて浮き立っていた心が冷水を浴びる。顔色にも変化はあったかもしれない。だが、皇太子様もお父様も、何も言わずに笑みをたたえている。


もとより、貴族の婚姻は平民のような恋愛感情で結ばれるものではない。盟約と信頼関係の為の政略結婚が普通なのだ。突然のプロポーズというものに、一瞬でも夢を見てしまった私が甘かったとしか言いようがない。


そう言い聞かせ、これからに向けて心を奮い立たせる為にも、今は落ち着かせる。──それでもなお、一つの疑問が残った。


「殿下、私はまだ魔術に目覚めておりませんわ。聖女は光魔術に目覚めなければ、なれないものと……」


皇太子様は、余程の自信があるらしい。余裕をもって「リヴィアお嬢様ならば大丈夫です。あの時に見たものは、どこまでも清らかで厳かな素晴らしいものでしたから。あれこそが私の見た事実であり現実であり、そして全ての真実です」と答えた。


ここまで来てしまうと、もう言い返す言葉もない。私は息を呑み、ソファーから立ち上がって口を開いた。


「ムオニナル皇太子殿下のお心に添うべく、私アインバーグ伯爵令嬢リヴィアは、全てを受け容れさせて頂きたく存じます。まだ至らぬ若輩ですが、何とぞよろしくお願い申し上げます」


貴族令嬢としての最高の礼でもって返しとする。


「では、リヴィアお嬢様──私と婚約して下さるのですね?」


「ふつつかな私ですが、喜んで」


「ありがとう。断られはしまいかと、馬を走らせながらも不安で仕方なかったので嬉しいです」


皇太子様は心から喜んでいるようだ。それはありがたいものの、そのまま聖女候補としての重圧にもなる。だが──全てはこれからだ。


お父様が安堵して立ち上がり、「この度は我が娘をお選び下さり、誠にありがとうございます。殿下、お二人の未来に乾杯をと思うのですが」と、提案した。


「それは素敵ですね。──リヴィアお嬢様、よろしければこれを」


皇太子様が胸許の内ポケットから何かを取り出して私へと差し出す。恭しく受け取ってみると、それは私の瞳と同じ色の宝石をあしらったペンダントだった。


「とても美しいですわ、殿下」


「私の祖母から受け継いだ形見です。お気に召して頂けましたか?」


「まあ、そのように貴重なお品を」


「いつか迎える正妃に贈ろうと決めていました。ちょうどリヴィアお嬢様の瞳と揃いの色ですね。これも運命でしょう」


「本当に嬉しいですわ、ありがとうございます。大切に致しますわ……一生」


政略結婚としては、これ以上望めないほどに私は恵まれたと言っていい。皇太子様とて、大切にしようという思いは持って下さっている事が、こうして感じ取れるのだから。私は幸せ者なのだ。


お父様の采配で、あらかじめ用意されていたであろうワインと銀の杯が運び入れられ、配られる。まだ慣れないお酒だが、お父様の「──では、ラーシャ王国の未来と若いお二人の未来に幸あらんことを」という合図で、そっと杯を掲げてワインを一口だけ口に含んだ。アルコールの感覚が先に立って、味わうには私では若すぎるけれど、幸先に恵まれた事に少しなら酔えそうだった。


「──あとは下の娘にも良縁があれば肩の荷がおります」


皇太子様と談笑しながら、お父様が言った一言で私はマリアライトの眼差しを思い出した。


彼女は、今夜の事の、どこまでを知っているのだろうか?


儀式の結果については我が家の早馬が走ったのだから知っているだろう。しかし、ムオニナル皇太子様のもたらした縁談についてまでは、まだ知らないかもしれない。いくら美貌の皇太子様でも、御使いに扮して訪れたのだし。


──出来るなら、まだ知らないでいて欲しい。


そう思う私は臆病なのか。


もっとも、あの眼差しを受ければ、誰でも恐れるとも思うのだ。闇より冥く、業火より熱い、あの時の眼差し。皇太子様との婚約を知れば、更に烈しくなるのは想像に難くない。


「──リヴィア、先に休みなさい。私はもう少し殿下とお話しする事があるが、お前は儀式や夜会もあったのだから疲れているだろう」


不意に語りかけられ、我にかえる。お父様と皇太子様からそそがれる眼差しは温かく優しい。私は最後まで気を抜かないように、「お気遣いありがとうございます。では、お先に失礼致しますわね。ムオニナル皇太子殿下には、ご訪問誠にありがとうございました。大切な忘れられない夜になりましたわ」と述べてお辞儀をし、皇太子様からの「私こそ、今まで生きてきた中で最も忘がたい日となりました。リヴィアお嬢様、ありがとうございます。良い夢を」というお返事を受けて、「はい、おやすみなさいませ」と退室した。


ワインは一口だけでもアルコールが回るらしい。足許がわずかに浮いている錯覚をおぼえながら自室に戻ると、あのドレスと宝飾品でいっぱいだった室内は綺麗に整理整頓されていた。メリナを含むメイドの皆が頑張ってくれたに違いない。


とりあえず、ドレスを脱ぎたいと思ってメリナを呼ぶ事にする。呼び鈴を手に取り──鳴らすのを躊躇った。


いくら長く仕えてくれていて慣れ親しんだメリナ相手でも、今夜の出来事に触れられるのは……まだ気恥しい。幸いにもコルセットは苦しいほど締められてはいないし、はしたないけれど、髪飾りを外して靴だけ脱いでベッドに入ってしまう事にした。


──そうして私は眠りの中で夢を見る。また、不可思議な夢を。

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