第38話 前兆
裁判の傍聴を終えて帰途についたエヴァは、屋敷に入るなり興奮の声を上げたのだった。
「お母様!聞いて!聞いて!お姉様ったら罰を受けて一年間の兵役を命じられる事になったのよ!」
「まあ!エヴァったらそれ本当?」
今日は婚約者のサイモン様が男爵家を訪れるという事で、美しく着飾っていたダグマーラ夫人は大きく目を見開いた。
「スコリモフスキ家は不可侵の存在、どんな事をしても罪に問われる事はないだなんて話を聞いたことがあったけれど、全くのデマだったって事じゃない!」
ダグマーラが握りしめた扇がミシミシと音を立てる。
「お父様の結婚が決まった時だって、相手がスコリモフスキ家の令嬢だから仕方がないと言っていたけれど、気にする必要なんて全然なかった!スコリモフスキ家だから?伝説の大魔法使いの家だから?他では絶対に換えが効かない魔法の大家だから?バカ言っているんじゃないわよって話よね!」
「お母様?」
「エヴァ!あんな赤髪の醜い娘を捨てて美しいエヴァを選んだサイモン様の選択は正しかったのよ!」
「お母様?一体どうしたの?」
「スコリモフスキ家を蔑ろにした命知らずとか、いつか罪を償う事になるとか?散々、嫌味な事を言われ続けたけど、結局正義は私の方にあるじゃない!あのスコリモフスキ家が罰を受けた!しかも一家揃って兵役だなんて!恥ずかしくて仕方がないじゃない!」
喪が開けぬうちから男爵家に後妻として入り込んだダグマーラは、不倫関係のうちに妊娠したということもあって、周囲から散々に嫌味を言われ続けてきたのだ。全ては魔法の大家、スコリモフスキ家を恐れての発言であり、嫌な思いは永遠のようにし続けていたものの、結果、今回の裁判の判決で、全てにおいてスコリモフスキ家が優位であるなんていう幻想が打ち砕かれることになったのだ。
「あんな娘、国境で敵兵の銃弾でも受けて死んでしまえば良いのだわ!」
「ほんとうにそうよ!裁判官も邪魔なスコリモフスキ家は死んでしまえばいいと考えて、家族全員を国境に送ったのだと思うもの!つまりは死刑!貴族街を破壊した罪は決して軽くなんてないのよ!」
マグダレーナとエヴァがサロンで紅茶を飲みながら楽しくおしゃべりをしていると、執事のヤヌシュが顔色を青ざめさせながらやってきた。
「旦那様がサイモン様と一緒に帰っていらっしゃいました、お二人には応接室の方へすぐに来て欲しいとの事でございます」
執事のヤヌシュの髪の色が最近になって真っ白に染まり上がり、所々寝癖のような形でぴょんぴょんと髪が飛び出している。
あまりのみっともなさに、エヴァは蔑むような眼差しを送りながら眉を顰めた。
「ねえヤヌシュ、今日はお天気だからこのサロンでお茶にする方が良くはないかしら?」
自分が動きたくないダグマーラの無神経な言葉に、執事は無表情を貫きながら、
「旦那様は奥様とお嬢様をお呼びになっておられます。すぐに、応接室へ向かっていただいた方が宜しいかと」
と答えて辞儀をする。
「わかったわ、エヴァ行きましょう」
ため息まじりの母の言葉を受けて立ち上がったエヴァは、あえて執事の前で立ち止まると、呆れたように声を上げる。
「ねえ、ヤヌシュ、あなた、我が家の執事としては失格じゃない?髪の毛も乱れたままで、身だしなみも整えることが出来ない執事ってどうなのかしら?」
ビクリッと肩が震えたものの、
「旦那様がお待ちです」
とだけ、老執事は答えたのだった。
パスカ家が男爵となったのは魔道具開発で大儲けをした先代当主のおかげであり、低い爵位でもお金だけは伯爵位程度にあるのだと母であるダグマーラが言っていた。
だからこそ男爵の家の割には家も大きめだし、働いている使用人の数もそれなりに揃っている。だからこそ、生活を送るのに何か支障が出るなんて事は今までなかったのだけど、
「うるさい!お前たちはさっさと辞めろ!ここから出て行け!」
父の叫び声と共に食器が割れる音が鳴り響き、悲鳴をあげたメイドが応接室から飛び出して来たのだ。
「一体、何事なの?」
ダグマーラの問いかけにも答えず、青い顔をしたメイドが厨房の方へと駆けていく。鞭打ちどころでは済まない無作法だけれど、男爵の叫び声が続いていることから、小さなことに構っていられる場合ではないのかもしれない。
小さな暖炉を設らえた応接室は、紺碧のタイルで彩られた美しい作りとなっていて、置かれた家具も胡桃材を使った最高級のものが置かれている。
男爵は割れたカップを踏みつけながらよくわからない事を喚いているけれど、ソファに座ったサイモン・パデレフスキは目の前の紅茶に手をつける様子もなく、酷く冷めた様子で目の前の有様を見つめていた。
変わらぬ日々が続くはずなのに、何かが変わり始めている。
裁判により、スコリモフスキ家が兵役を課せられるのと同じように、パスカ家にもまた、大きな変化が起きようとしていたのだった。
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