第22話 マルツェルの誤算
秘書のピンスケルさんは真面目な人だとは思うんだ。
「マルツェル様、報告書を確認させて頂いたのですが、一部、確認して頂いた方が良いかと思う箇所がありまして」
イエジー殿下がお住まいになる翡翠の宮へと向かっていた僕を、慌てて走りながら追いかけてきた彼女は、ちょっとふらついた様子で体勢を崩すと、
「も・・申し訳ございません・・」
力が入らない様子で、俯きながら膝をついた。
「ふう・・ふう・・ふう・・」
一生懸命に息を整えると、困り果てた様子で僕の顔を見上げて、
「申し訳ありません、貧血を起こしてしまったようで」
と言って、再び足の力が抜けた様子でしゃがみ込んでしまう。
「ピンスケルさん、大丈夫?ひどい貧血みたいだね?」
昨日は夜遅くまで僕の家で食事の準備や洗濯業者の受け入れをしていたり、朝は朝で早くから書類整理などの仕事をこなしてくれたから、彼女の疲労はピークに達しているのかもしれない。
「ふう・・ふう・・ふう・・」
力が入らないピンスケルさんは俯いたまま自分の足に力を入れようとするんだけど、踏ん張りが聞かずに座り込む。自分の直属の部下をそのまま放置する事も出来ない僕は、彼女の膝の下と脇の下に手を入れて抱え上げた。
「医療室まで行った方がいいよ、無理がたたったんじゃないかなあ」
「も・・も・・申し訳ありません」
ピンスケルさんはしきりに恐縮している様子で、自分の顔を僕の胸に押し付けてきた。彼女はプライドを持って仕事をする人だから、弱った自分の顔を僕に見せるのを許さないのかもしれない。
幸いにも殿下の翡翠の宮には医療者が控える部屋も設けられているため、そちらに運んだほうが早いだろう。専属治癒師であるアグニエスカの控えの部屋もあるだろうから、彼女を運びがてらアグニエスカと話が出来るかもしれない。
だけど・・・
「私は本宮の医務室へ行きますので、申し訳ないのですが下ろして頂けませんか?」
と、ピンスケルさんが言い出した。
「本宮まで行かなくても、医務室は翡翠の宮にもあるよ?」
「あの・・あの・・大変恥ずかしいのですが・・・」
「何?どうしたの?」
「月のもので・・・」
いつもはプロフェッショナル!という顔で仕事をしているピンスケルさんが真っ赤になりながら、
「それで・・貧血と気分が悪いのが重なってしまい・・・」
自分の顔を両手で覆って、
「殿下の離宮に行くのはちょっと・・・・」
と泣きそうな声で言い出した。
僕の顔はおそらく真っ赤になっていたと思われる。そうだね、女性には毎月、定期的に具合が悪くなる日があるんだっていうのはマリアおばあちゃんからきちんと聞いているよ。
アグニエスカも月のものが来た時にはお腹が痛くなっちゃって、部屋から出られない時とか良くあったからね、わかる、わかるよ、ピンスケルさん。
「それじゃあ、本宮に行くしかないね」
本宮の医務室には女性の治癒師が常時働いているからね、そりゃそっちの方が良いと言うだろうよ。
「ここに置いていってください、後は自分でなんとかしますから」
「生活面でもお世話になっているピンスケルさんを放置してなんていけないよ。まだ面会まではちょっと時間もあるし、急いで運ぶから僕につかまってくれる?」
「も・・申し訳ありません」
ピンスケルさんが僕の首に腕を回すと、甘い花の香りのような物に包まれる。ああ、アグニエスカはこんな甘い香りじゃなくて、百合の花のような凛とした香りの香水を付けていたなあ。
早く会いたいのに、僕は何故、アグニエスカじゃない女の人を運んでいるのだろう。まあ、日頃、世話になっている人だから仕方がないんだけど。
◇◇◇
甘えるように抱きつく金髪の女性を真っ赤になりながらも、優しく抱きしめながら、くるりと向きを変えて歩き出すマルツェルの後ろ姿を私が見送っていると、
「あちゃー〜――――」
と、頭の先から爪先まで真っ黒状態の殿下が隣で変な声をあげている。
「一体これはどういう事なの?」
「どういう事ってどういう事ですか?」
「だってマルツェルはさ、君に会いたい一心で来たくもない僕の離宮に足を向けていたわけで」
「それは違うんじゃないんですか?だって、古竜の生態がある程度把握できたから、報告してもらうとか何とか言っていたじゃないですか?」
「建前だって〜」
最近、イエジー殿下の専属治癒師となった私、アグニエスカは、殿下の余計なお節介の元、離宮の外までマルツェルを迎えに来たわけですが、
「これって、あまりにも僕が無粋だったってこと〜?」
と言い出した。
自国の王子だけど心底、ムカつくわ。
「私たちは恋人でもなんでもない、ただの幼馴染なんですけど?」
いや、一時期、肉体関係を結んだことにより、元セフレ扱いというのが正解なのだが。胸にグサーーーーーッと何かが刺さった、辛い・・・。
「アグニエスカ嬢、もう今日は帰ったら?」
心底同情した様子でそんな事を言い出した殿下を睨みつけると、白目だけ真っ白で、その他、全部真っ黒になっている殿下は降参したように両手を上げながら、
「こんな時間から終業にしていいって言っているんだよ?僕って優しくない?」
と、言い出した。
「いや、そもそも私は痛みしか取れないですし、殿下の体の痛みはもう取っているんだからお役御免になっても問題ないと思うんですけど?毎日通う必要あります?」
「明日は、おばあさまの定期受診の日だろ?おばあさまは、自分の友達も離宮に呼ぶって言っているから、高貴な方々が集まると思うよお?だから英気を養ってもらって!」
そういや、明日は上級顧客対応の日だったわ。
「じゃあ、帰ります」
「ヤンと一緒に帰るんでしょ?気をつけて帰ってね?」
「はあ・・気をつけて帰ります」
従弟は仕事中だから一人で帰ろう。もう、色々と不愉快な事が多すぎる気がする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます