凶悪な子羊と7匹以上の狼さん
時刻を告げる鐘が鳴るたびに、この世界にウェストミンスターの鐘がない事をしみじみと思い返す。
なぜそんな事を思い出しているかって?
それが訓練終了のお知らせだからですよ!
「何むくれているんですか、団長」
「聞いてよチベスナ2……じゃなくて、ステファン!
ハロルドったら、意地悪して私に組手やらせてくれなかったのぉ!」
「いや、仕方ないんじゃない?
団長と組手したら、俺らのうち何人かはしばらく仕事休むことになるかもしれんし」
その言葉に、周囲の騎士たちも大きく頷く。
「そんな台詞が聞きたいんじゃないの!
私も組手に参加したかったの!!」
もぉ、こういうところがダメなのよ、ステファン。
これがマウロだったら、ちゃんと愚痴聞いてくれるのに。
「そういう我儘言っていると、女としての株が下がりますよ、ほんと」
「ただでさえ顔とスタイル以外は大暴落だもんなぁ」
「ほんと、顔だけはいいんだよなぁ」
ステファンの呆れたような声に、同僚たちの呆れたような声が続く。
「アンタたちねぇ、怪我したくないとか、それでも騎士なの?
男ならあたしと戦えー!」
「じゃあ、団長は俺たちに怪我させたいんですか?」
ハロルドの放ったその台詞に、あたしは思わず言葉に詰まる。
「え……その、それはちょっと……」
私は思いっきり暴れたいだけで、誰かを怪我させたいとはこれっぼっちも思っていないのだ。
けど、自分が思いっきり暴れたら誰かが怪我をするわけで……。
ううう、卑怯よ、ハロルド!
その人の弱点を巧みに突くやり方、さてはマウロの入れ知恵ね!
私が暴れそうになったら、そう言えって言われたんでしょ!
泣きそうな気分でハロルドをにらみつけてやったのだが、なぜか周囲の視線は生暖かい。
「はぁ、こういうところこの人可愛いんだよなぁ、ほんと」
「でもまぁ、見ていてちょっとかわいそうというか……」
よし、ハロルドには聞かなかったけど、他の騎士たちには効いた!
……あたしの期待したものとは全く違う方向だけどね!
すると、ハロルドはフゥと面倒くさそうな溜息を吐く。
よし、これは折れたわね!
私の秘書官と部隊長を兼任しているハロルドならば、私がかなり自由に戦っても大きな怪我をすることはないだろう。
「わかりました、では10分だけお相手しましょう。
貴女にはちょっと教育が必要な用ですからね。
ただし、どんな手を使っても文句は言わせませんよ」
「へぇ、言うじゃないハロルド。
その鼻っ柱、叩き折ってあげるわ」
すると、ハロルドはなぜか隣にいるステファンに目を向けた。
え? ハロルドが相手してくれるんじゃないの?
確かに実力からすればステファンも同じレベルだけど、もしかして二人がかりとか?
「では……ステファン、お相手してあげなさい」
「へ? なんで俺?」
ステファンが俺を生贄にするなと言わんばかりに嫌そうな顔をした瞬間である。
ハロルドの手が、ステファンのシャツを引き裂いた。
「うぎゃあぁぁぁぁぁ!
お前、いきなり何すんだよ!」
「きゃあぁぁぁぁ!
なんで裸!?」
私の悲鳴とステファンの文句はほぼ同時だったと思う。
いやあぁぁぁぁ、なにあれ!
日に焼けた見事な胸板とシックスパックとか、エッチすぎるでしょ!!
とても直視はできなくて、私は思わず目を塞いでうずくまる。
「ほら、何をしている。
相手は隙だらけだぞ」
「う、うん。
あー、団長、お覚悟」
そんな気の抜けたセリフと共に、刃のついてない剣が私の頭をポクッと軽く小突く。
「痛ぁぁぁい!!」
「はい、俺たちの勝ちね」
血も涙もないハロルドの声によって、あたしは敗北を告げられた。
「こんなの卑怯よ!
とんな手を使ってもいいとは言ったけど、人としてやっていい事じゃないでしょ!!」
「まぁ、なんで団長は急に弱くなったんだ?」
理解できないと言わんばかりのステファンに、ハロルドはさもつまらないと言わんばかりの声で答える。
「団長はな、実は男に耐性がないのだ」
だが、ステファンは出来の悪い冗談だろと言わんばかりに肩をすくめた。
「うっそでー。
前に麻薬中毒でおかしくなった男が素っ裸で襲い掛かってきたけど、真顔で張り倒して股座蹴り潰していたぞ?」
そう、確かにそのとおりである。
あの時はんともなかったのに、なんでステファンだと上半身だけでダメなの?
「それはな、職務中だったからだ。
あの後、誰もいないところで顔を真っ赤にして悶絶していたことを俺とマウロ副長は知っている」
「ちょ、なんであんたたちが知っているのよ!」
なんてこと!
誰にも見られていないと思っていたのに!!
「あと、男として意識しているからというのも理由だな。
父親や兄弟が下着1枚でうろついていても平気だけど、彼氏の下着姿は恥ずかしいという奴だ。
つまり、お前は団長に男として認識されてるんだよ。
おめでとう、ステファン」
「え、そうなの?
え、えへへへへ、そっかー、団長って俺を男として認識していたのかぁ」
「無いっ! 無い無い!
男だとは思っても、恋愛対象とかそう言うのは無いからっ!」
言葉では否定しているのに、顔だけがどんどん熱くなる。
そんな私を見て、ステファンはニヤニヤと嬉しそうな顔をしはじめ、ハロルドは逆にどんどん不機嫌になっていった。
いや、不機嫌なのはハロルドだけじゃない。
私はその時になってようやく、周囲の騎士たちにイラっとした空気が流れる事に気づいた。
「……団長、ステファン隊長だけズルいです!
俺の事は男として認識しているんですか!?」
「俺の事もどう思ってるんですか!!」
「ちょっと、あんたたち!
何よ、その目は!
何をするつもりなの!!
やめなさいっ!!」
あたしの制止の命令は彼らの耳に届かず、騎士たちは次々に上着のシャツを脱ぎ始めた。
……が、途中でハロルドとステファンに殴り倒される。
へ、変態だ!
こいつら、変態に目覚めちゃった!?
「いっ、いやあぁぁぁぁぁぁ!!」
思わずその場から逃げ出したあたしだが、足がもたついているばかりか、集中が乱れてうまくプラーナが使えない。
「団長、逃げるのは卑怯ですよ!」
「逃げないで俺とも手合わせを!!」
逃げるあたしの後ろを、ギラギラした目の男たちが追いかけてくる。
「やっぱりこういうのは嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
なんか本能的にこういうの無理!
「お前ら、楽しむのはいいがほどほどにしておけよ!」
「あー、ありゃ団長の反応が可愛すぎてまわりが見えなくなっているな」
泣きたい気持ちで逃げ回る私の背中に、チベスナコンビの聞きたくもないセリフが投げつけられる。
ちょっと、あんたたち助けなさいよ!
「馬鹿どもが……そろそろ撤収するぞ。
これ以上ここにいると危険だ」
「あ、そうか、そろそろマウロ副長が出勤する時間だもんな。
でも、部下を見捨てるのか?
ひどい上司だな、ハロルド」
あ、そうだ!
マウロがくる!
彼ならば、きっとあたしのピンチを救ってくれるはず!
慌ててマウロの姿を探すと……。
「じゃあ、ステファン。
お前がここに残って後始末をするか?」
「よし、今すぐ逃げよう」
「ほう……どこに行くんだ?」
マウロの姿はチベスナコンビのすぐ後ろにあった。
そのたくましい両腕が、逃げようとしたチベスナコンビの首に絡みつく。
「マウロぉぉぉぉぉ、ハロルドたちがイジメるのぉっ!」
アタシは迷わず、チベスナコンビ二人の隙間……無防備な彼の胸元に飛び込んだ。
「はいはい、よしよし。
もう変態共は襲い掛かってこないから大丈夫だ」
マウロは両手に捕らえていたチベスナコンビをゴミ手も捨てるように放り出すと、その大きな手で私の頭を手を押し包む。
ただそれだけで、私の中の恐怖は拭い去られた。
――うん、お兄ちゃんの効果は抜群だ。
しかし、なぜだろう?
マウロの機嫌がとても良いような気がするのだが?
いや、むしろこれは勝ち誇っている?
いったい誰に対して?
「……訓練の時間は終わりだ。
さっさと業務に戻れ」
マウロがどこか愉悦に満ちた声でそう命令すると、私の後を追いかけまわしていた騎士たちの表情がなぜか憎々し気にゆがむ。
それどころか、ギリッと奥歯のきしむ音がいくつも聞こえてきた。
なんだろう、マウロってもしかして部下たちから嫌われている?
その時、誰かがポツリとつぶやいた。
「……お兄ちゃんのくせに」
その瞬間、今度はマウロの口から歯ぎしりが聞こえる。
こ、これはマズいかもしれない。
この騎士団の長として、職場の男たちの確執をどう解消すべきか。
なお、この事について後に女友達に相談してみたのだが、彼女は一言こうアドバイスをしてくれたのだった。
「アンタだけは、絶対にその案件に手を出しちゃダメ」
……いったいどういうことだろうか?
何度考えても全く理解ができない。
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