大義名分同士がぶつかり合う戦いの中にあっては、民衆は常に利用され、そして常に捨てられる。
それがまるで民衆の存在価値であるかのように。
銀英伝の一説ですが、憎しみの連鎖を断ち切る難しさを感じます。
作者からの返信
感想ありがとうございます。
大義名分と、周辺の人々の利害。
戦争にはあまりに多くの要素が絡み合っているので、そうそう簡単に都合よく平和が訪れる訳はありませんよね。
しかし、その間ずっと翻弄され続けるごく普通の人々の事を思うと胸が痛みます。
私が愛用しているカフィーヤ(パレスチナの刺繍入りスカーフ)を作ったヨルダン西岸に住む女性も10月以来消息不明で、状況を考えると生存の可能性は絶望的らしいです。
何の権力も持たない市民の私たちにできることは少ないですが、即時停戦を求める声だけは上げ続けたいと思います。
編集済
太平洋戦争においてのアメリカ軍による民間人への攻撃は、(日本人が納得できるかは別として)のっぴきならない理由が一応あった模様です。
それに対して、最近のほうでのこの有様はまさに無差別としか言いようが無く。
「カタギのほうが加減を知らない」のような言葉もありますが、戦争だとしても最低限守らなければならないはずの線を平気で踏み越える、本当に仁義もなにも無く非道いものですね。
いずれにしても、邪魔ものは排除しよういう考えはもっとも安易で、だいぶ幼稚な考え方だなあと。
日本にも「勧善懲悪」という観念が根強いですが、そろそろ「省善解悪」に切り替えていかないとマズイんじゃないの、ってふうに思います。
作者からの返信
感想ありがとうございます。
そうですね、やられる側から見れば破綻していて理不尽にしか見えない言い分でも、当事者は大真面目に正義だと信じこんでやっていることが多いので、本当に地獄味があります。
だからこそ、戦争時に守るべき「戦時国際法」が定められているのですが……
とことん踏みにじっては第三者からは言い訳にすら見えないおかしな屁理屈で正当化する人々が後を絶たないので戦慄しています。