第4話 スズ
スズが駐在所から貧乏神を連れ出した話は、警察官の口から商店街に伝わった。スズの行為を英雄的だと称賛する者がいれば、自ら不幸を招く馬鹿だと笑う者もいた。しばらくするとスズが身ごもり柚鬼を産んだ。無責任な男に
人の噂も75日、とはいえ、柚鬼が貧乏神の子供であり、綾香が孫にあたるといった話は、商店街の老人の間では密やかに語り継がれていた。
「可笑しいですよね。人間と貧乏神との間に子供が産まれただなんて」
綾香の唇からウフフと笑いがこぼれた。
「あ、はい……」
同意した鈴木孝治の目が泳いだ。まるで何かを探しているようだ。
「……すると、ゼンキ堂という名前は……」
「鈴木さんが想像されている通りです。祖母が悕望に感謝して、善い鬼という意味でゼンキ堂と名前をかえたそうです」
「そうですか……」
鈴木が立ち上がり悕望を描いた額に眼をやった。
「この鬼のおかげで万引きがなく、未だにゼンキ堂は安泰ということですね。……では、僕はこれで」
「何もお構いできませんで」
店を出る鈴木の背中に向かって綾香は頭を下げた。その背中が商店街の通りに黒い影を作っていた。
綾香は、独り言のように尋ねる。
「おばあさんの具合はどう?」
「スズさんは、もういけないな。時折、死神が様子を見に来る。今度来たら……」
貧乏神の声がした。
スズは他人の眼も気にせず貧乏神と話すので、幻覚を伴う認知症と診断されていた。それで綾香は、他人がいるときは、貧乏神とは話さないようにしている。
急いで2階に上がるとスズの手を握った。やせた頼りのない手をしていた。
「おばあさん。女性の平均寿命まで、まだ5年もあるのよ。頑張って」
耳元に顔を寄せて励ました。
「平均寿命に何の意味があるの。……私は十分に生きましたよ。……幸せな人生でした。……ただ、気になることがあってね」
スズがたどたどしい声で答えた。
「なあに? 私に出来ることならやるから、話して」
「貧乏神様のことだよ。……私が死んだら、……世話をする者がいなくなる」
綾香は、隣にいる柚鬼の顔に視線を走らせた。看病疲れでスズ以上に血の気のない顔をしている。スズは常に貧乏神を見ることができたが、彼女は貧乏神が見えず、コミュニケーションをとることができなかった。綾香はその中間で、貧乏神が姿を見せようとしているときだけ見ることができた。
「それなら私がするわ。私も貧乏神様の血をひく者だもの」
「……綾香には、普通の……結婚をさせたかった、……のだけれど……」
「今どき、普通の結婚なんて言ったら、笑われるのよ。結婚しない人なんて、山ほどいるのだから。心配しないで」
「すまないね。……柚鬼には……貧乏神様が見えな……かったから。……どうしても、……この人を一人には出来なくて……」
スズはそう言うと、綾香の正面に座った貧乏神の手を握った。
「貧乏神様のおかげで店は大きくならないけれど、……あなたがいる間は潰れることもない。……感謝しています」
「ワシこそ、スズのおかげで貧乏神らしく暮らせておる。ありがとうなぁ」
貧乏神の頬を涙が伝った。
「死んだら、……私も貧乏神になれるでしょうか。……そうして、あなたともう一度、……暮らせるでしょうか?」
「それは無理だ。スズは善人だから餓鬼に生まれ変わることはない。だから貧乏神にもならない」
「それは残念……」
スズの口元が少し笑った。
風が吹きガタガタと窓ガラスが鳴る。
「来たようだ」
貧乏神がささやいた。
死神が来たのだろう。綾香には、その姿は見えない。
「お店を頼むわね」
スズが言った途端、室内に銀色の光が走った。死神の鎌がスズの肉体と魂とを切り離したのだろう。綾香は身震いした。
「しばらく留守にするよ」
貧乏神がそう言って姿を消した。スズの魂をあの世まで送っていくのだろう。
「お母さん……」
隣で柚鬼が泣いていた。
鬼の書店 明日乃たまご @tamago-asuno
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