第6話 もう恋人じゃないですかっ!
今日のところは全ての講義を諦めて、オレは五稜さんを一人暮らししているまアパートへと連れてきた。
身持ちということなので、彼女のスーツケースはオレが運んできた。
「学生向けの一人暮らし用の部屋だから、狭いけど文句は言わないでくれよ」
「言いませんよ。施設育ちを舐めないでください」
一体どんな環境で育ったのだろうか?
ドラマで児童養護施設を題材にしたものをいくつか観たことはあるが、やっぱり同じような感じなのだろうか?
だとしたら、かなり狭いだろう。
「あなたどうしてそんなにワクワク感が出せるわけ? 知らない男の赤ちゃん妊娠させられて、一緒に暮らそうとしてるのに……はっきり言って人生のどん底にいるような状況でしょ」
いきなり二人にするのは不安ってことで、葵もオレたちについてきてくれた。
正直言ってかなり心強い。
「それは価値観の違いです。妊娠に伴う身体の変化や苦痛は怖いですし不安ですけど、赤ちゃんを産むこと自体は喜ばしいことです! これでようやくわたしにも血の繋がった家族ができる――そう思うと嬉しくて仕方ないですね!」
「それがレイプ犯の子だとしても?」
「そのやりとりは不毛です。あなたが気にすることじゃないですよ、当事者はわたしなんですから」
「同じ女として信じれない価値観よ」
「理解を求めた覚えはありません」
ローカル鉄道に乗ってここまで来る間に、二人はオレを挟んで小さな言い合いを何度も繰り返してきた。
オレも当事者の一人だから物申したいところだが、強姦容疑のかけられたオレに発言権はない。下手に堕ろせなんて言えば警察がすぐに飛んでくることになるだろう。
とにかく葵の言う通り、六週間後に向けてまずは赤ちゃんのDNA鑑定をして、本当にオレが父親なのかを調べないといけない。
それまではオレが父親と仮定して動こう。
「ほれ、着いたぞ。このマンションの二階の角が借りてる部屋だ」
「角部屋! やった! 競争率高いですよね角部屋、ラッキーです!」
競争率高い? まぁ、窓も他の部屋よりもあるし、物音が片側からしかしないっていうメリットがあるから確かに人気かもしれないな。でも、その分他よりもちょっとだけ家賃が高かったりする。
一月じゃ大したことないが、大学の四年間借りたとすればかなりの金額になるので、けして競争率が高いとは思わないが。
両手を広げて大袈裟なくらいに喜ぶ五稜さんを、オレは少し微笑ましい気持ちで見つめた。
「あんた、何悪くないみたいな顔して見てるのよ」
「……そんな顔してたか?」
「してた。鼻の下伸ばして、どうせこれからは可愛い女子高生と共同生活だ、イチャイチャラブラブし放題だ、ヤホー! とか思ってたんでしょ」
「おまっ、そんなこと思えるわけないだろっ」
今のオレの状況でそんなこと考えられるわけがない。
「どうだか。もう妊娠してるんだし、避妊なしでヤリまくれるとか思ってるんでしょ、どうせ」
「あをぉぃぃ! お前オレを信じてるって言ってくれたくせにぃぃぃ!」
なんてこと想像してやがんだ!
シャレになってねぇよ!
「それとこれは話が別よ。あんたに誰かをレイプする度胸があるとは思わないけど、一緒に暮らしてたらそういう雰囲気になったっておかしくないでしょ。あんたあんな可愛い子と暮らして、自制できると思うの?」
オレが強姦魔じゃないことは信じてくれているようだが、今後は別らしい。
オレは葵の言ったことを少し考えてみる。
例えば、お風呂上がりの五稜さんが、無防備なバスタオル姿でオレの前に出てきたとしたら……。
「やばいな」
いくら基本的に年下は対象外と思っていたとしても、五稜さんほどの子なら全然アリだと思えてしまう。
ロリコンの十字架くらい甘んじて背負ってみせる。
「これだから男って……可愛ければ簡単に自分の心情曲げちゃうのよね! この性欲魔神!」
「くっ、簡単には否定できないっ」
残念だが、それが男の性なのかもしれない。
「いや、否定しなさいよっ!」
葵は詰め寄ってくると(元々それほど離れていなかったが)両手をオレの首目掛けて伸ばしてきた。
そのまま首を絞められる――そう身構えると当時に高い位置から五稜さんの声が降って来た。
「何してるんですか、二人とも。わたしカギ持ってないので早く来てくださいよ!」
いつの間にか五稜さんは一人でマンションの二階に上がって、共用廊下の先端からオレたちを見下ろしていた。
「悪い、すぐ行くから。あと部屋はそこじゃなくて奥の角部屋」
「奥の角! ますますラッキーですね! 早く来てくださいねっ」
何がそんなに嬉しいのか、五稜さんの声は子供のように弾んでいた。
「はぁ……さっさと行くわよ」
無邪気な五稜さんを見てすっかり毒気を抜かれてしまったのか、葵は溜め息交じり力のない足取りで階段を上っていった。
「色々と苦労かけて悪いな」
「本当よ、まったく……」
何でこんなわけのわからない状況になるのよ――と独り言のように呟いている。
ホント、どうしてこうなったんだろうな。
あの日は東条さんに告白して、そしてフラれた――ただそれだけの日だったはずなのに。
◇
「お邪魔しまぁ~すっ」
五稜さんが待つ角部屋に着いたオレは、鍵を使って施錠を解除した。すると「わたしが一番です!」と五稜さんが我先にとドアを開けた。
一体なにを競っているのだろうな?
「おぉーこれが大学生の一人暮らし部屋……意外に普通ですね」
歓喜の声を上げつつも、廊下を渡りワンルームの部屋を見ると、弾んでいた声音は萎んでいった。
どんな部屋を想像していたのだろうか?
オレは寝室手前にあるキッチンにとりあえず五稜さんのスーツケースを置いた。
「ああもうまた寝間着脱ぎっぱなしにして、洗濯機に入れるくらいしなさいっていつも言ってるでしょ」
後から入って来た葵がベッド脇に脱ぎ散らかされた寝間着を見て、早速小言を言いながら、腰を曲げて今朝脱いだ寝間着を拾い上げた。
「悪い悪い、今日は葵も来る予定じゃなかったし」
「あたしが来る来ないに限らず、部屋を綺麗に保つ努力しなさいよ。そんなんだから彼女の一人もできないのよ」
「それは関係ないだろ。まだこの家に入った女性なんてお前しかいないのに、部屋の綺麗汚いがわかるかってんだ」
「その情報はもう古いわよ。もう五稜さんも入ったんだし」
葵が指差す方向に顔を向けると、五稜さんが目をパチパチさせていた。
「えっと……朝顔さんは大林さんの家に来るような関係なんですか?」
「ただの幼馴染みよ。たまに大学の課題やフラれたこいつを慰めるために来るけど、あと掃除してるか、ちゃんとしたご飯食べてるかの確認」
そう言いながら葵は部屋の隅に置いてある洗濯カゴへ服を投げ込む。
「……な、なるほど。幼馴染みならそれくらいしますよね」
うん、普通、全然普通です――と五稜さんは納得したように頷いている。
「あ、このベッドでかいですね!」
「ダブルサイズよ。まだ彼女もできてないのに、一緒に寝るんだって張り切ってただでさえ狭い部屋を余計に狭くして」
「すけべぇな男の人って感じですね。でも、そのおかげでわたしも一緒に寝れそうでラッキーです。既に枕も二つありますし」
そう言って五稜さんはいきなりベッドにダイブした。
「おいおい、そんなことして大丈夫なのかっ、お腹の赤ちゃん」
「あー、まぁこれくらい大丈夫ですよ。でも気を付けないとですね。まだあまり自覚がないんですよねぇ」
ちょっと強めの声で言うと、五稜さんはバツの悪そうな表情をした。
ベッドに飛び込んだくらいで流産なんかはしないだろうが、万が一ってこともある。あれだけ赤ちゃんを産むことに強い意思を持っているのだから注意するべきだ。
「ベッドは広くて、布団はふかふか。男の人なのに匂いもいいですし……ってこれ髪の毛? 長い……女の人の?」
枕に顔を埋めた五稜さんは、そこで何かを見つけたようで、慎重にそれを摘まみ上げ、オレたちに見せるように向けてくる。
「あ、それあたしの髪の毛」
「な、なんで朝顔さんの髪の毛が大林さんの枕にっ」
「え? そんなの寝てるからに決まってるでしょ?」
「そ、そんな当たり前みたいに」
「別に変なことしてないわよ。課題で夜遅くなった時とか、ちょっと家にいたくない時とか泊まらせてもらってるだけだし」
葵が当たり前のように答えるので、オレも同意して頷く。
別にオレたちはやましいことなんてしていない。幼馴染みとしてごくごく普通のスキンシップをとっているだけだ。
本当は葵じゃなくて彼女と一緒に寝たいところだが、なかなか現実しなくて虚しくなる。
「な、なるほど。幼馴染みならそれくらい……するの?」
何に戸惑っているのか、五稜さんは首を左右に傾ける。
さっきと微妙に発言の内容が変わっていた。
幼馴染みなら……でも、同性ならともかく異性で?
納得できないのか、不思議がっている様子だ。別に珍しくもないだろ、大学生にもなった幼馴染みなら。それが思春期真っ盛りの中高生ならそうはいかないだろうが、オレたちは二十歳を超えている。
その程度のことでいちいち照れたりしない。
「えっと、一応確認しますけど、二人は幼馴染みで恋人とかじゃないんですよね?」
「違うぞ。葵には色々と気を遣ってもらってるが、恋人とかそういうんじゃない」
「そ、そうですか……ならいいんですけど」
腑に落ちなさそうにしながら、五稜さんはいそいそと起き上がってベッドに腰掛ける。
背後からは「はぁー」とため息が聞こえた。
「お茶入れるわ。大和はいつものでいいわよね?」
「ああ、頼む」
「五稜さんは……温かいミルクとかがいいかしら?」
葵なりに身体を気遣ってそう提案したのだろうが――
「子供扱いしないでください! わたしはもう大人です、大林さんと同じもので大丈夫ですからっ!」
――どうやら五稜さんは子供扱いされたように感じたらしい。
グルルルル――と唸り声でも聞こえてきそうだ。もし尻尾があるならピンっと立っていることだろう。
「何勘違いして怒ってるのよ……同じのでいいって言うなら入れるけど」
葵は少し不機嫌そうにしながらもキッチンに向かった。
「……さも当然のように大林さんの家で飲み物を入れる。これって幼馴染みのすることですか? 脱ぎっぱなしの服も拾ってましたし」
「幼馴染みなら普通じゃないのか?」
残念だが今現在も付き合いのある幼馴染みは葵だけだ。だから他がどうかは知らない。
葵は率先して自分から色々としてくれるから、家にいる間は色々と助かってる。
「……そうですかねぇ?」
何か不可解なことでもあるのか、五稜さんは疑わしいものを見るような目を向けてくる。
「五稜さんには幼馴染みはいないのか?」
「施設暮らしですから、小さい頃から一緒にいる子はみんな幼馴染みと言えるかもしれませんけど、あえて言うなら一人です。でも幼馴染みと言うより姉妹に近いですかね」
そう言えばそんな話をしていたかもしれない。
「なら、その子とは?」
「基本的に分担です。どちらかが多く負担するってことは無いようにしてました」
「なるほど」
オレにとっては葵が家にいる時は、身の回りの世話をしてくれるのが当たり前のようになってしまっている部分があるが、普通はそうなのかもしれない。
「まぁ葵はあれで律儀な性格だからな。部屋を使わせてもらってる対価のつもりで色々してくれてるんだと思うぞ」
「何があれでもよ。あたしは昔からずっと律儀な性格してるわよ」
おっと、聞こえてしまったか。
すぐに三つ分の飲み物を乗せた盆を持って、葵が姿を見せる。
「早いですね」
「お茶と言っても作り置きだからね。はい」
「そうなんですか。ありがとうございます」
葵が五稜さんに湯呑みを手渡した。
それからオレにはいつものマグカップを渡してくるので、受け取る。
「はい」
「サンキュー」
「んっ」
いつもように自然な流れでやり取りしていると、五稜さんは驚愕したように目を見張って――
「な、な、なっ、それペアカップじゃないですかっ」
――オレと葵が持つマグカップを指差して、声を張った。
五稜さんの指摘通り、オレたちのカップはペアカップだ。
恋人に人気そうなハート柄プリントされた安いデザインで、オレが青で葵がピンクを使っている。
実際に買った時の値段もかなりお手頃価格だった。
「リンテリアショップで閉店セールしてた時に半額で買ったんだ」
「しばらく経ってから店の前通ったら、普通に営業してたけどね。閉店セールって」
「それは閉店商法です」
冷静にツッコミを入れてくるので、オレは思わず吹き出すように笑ってしまった。
「なんですか、別に面白いこと言った覚えはないですよ」
「そうなんだが、その商法にまんまと引っかかったバカがオレたちだと思ったら、おかしくてさ。今時は高校生ですら知ってるのに」
実際に引っかかったのはオレではなく葵だが。詳細を説明したら怒られそうなので省くことにしよう。
「仕方ないでしょ、普段行かない店だったんだから」
葵は気恥ずかしそうに言って、カップに口を付けた。
気を遣って言わないでやったのに、どうして自分でばらすようなこと言うかな。
五稜さんが「ああ」って納得気味に頷いちゃってるぞ。
たぶん葵が買ったってバレたな。だからって何か問題があるわけじゃないが。
「って、誤魔化さないでくださいっ!」
「え? あ、はい」
思わず頷いたものの、別に誤魔化した覚えはない。
「洗濯物は片付けるわ、同じベッドで寝るわ、当たり前のように飲み物を用意するわ、使ってるカップはペアカップで、ごくごく自然に隣に並んで――」
まるで怒りに震えているみたいに、五稜さんの身体が震え出し、持っている湯呑みの表面が多少波立ち、中見が零れそうになる。
おい、危ないぞ――そう言おうとしたが――
「もう恋人じゃないですかっ!」
――となぜか発狂してしまった。
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