第3話 あなたの赤ちゃんを妊娠しました! 責任とってください!

 突如オレと葵の前に一人の少女が現れた。

 黒い短めの髪に小柄な体型を包む、清楚なワンピースと薄手のカーディガン。髪には六枚の花びらがモチーフの髪留めが光っていた。

 おかしい……年下にあまり興味のないオレだが、思わず見入ってしまうほど可愛らしい。まるで可愛さを追及した愛玩人形のようだ。

 きっと十人に聞けば十人が咄嗟に「可愛い!」と叫ぶこと間違いない。

 誰一人としてひねくれる余裕も評論家を気取る余地もないほどに、魅了されてしまうだろう。

 現にキャンパス内を歩く男大学生たちが、チラチラと少女のことを見ていた。

 ここまで露骨な反応をされる女性なんて、隣にいる葵くらいしかオレは知らない。


「見つけたって……オレのことか? それとも葵?」


 或いはオレたちの後ろに誰かいたりするのか……いねぇな。

 行く手を阻むように両腕を広げ、魔王にでも挑むように果敢な面持ちの少女にオレは戸惑った。


「あたし知らないわよ、こんな子」

「オレだって知らねぇよ。こんな可愛い子」


 二人して面識がないことを確認する。でも間違いなく少女はオレたちを待ち構えていた。


「可愛いねぇー」


 横から何やら鋭い視線を感じる。

 気にしたらダメだ、目が合った瞬間に……やられるっ!


「ねぇ、あなた誰かと人違いしてない?」


 こんな可愛い子が相手でも、葵は堂々と向き合って声をかけた。

 タイプこそ違うが葵もこの少女に負けないほどの美女、怯んだりしない。


「勘違いじゃありません。あなたは大林大和さんですよね?」


 少女は広げていた右手をオレの方に向け指差し、左手を下ろした。一応臨戦態勢は解除されたのだろうか?


「お、オレ?」


 オレは自分のことを指差しつつも、念のために確認をとると少女は確りと頷く。

 葵があんたの知り合いなの? と疑うような視線を向けてくるが、首を横に振って否定する。

 こんな可愛い子と知り合ってたら、記憶喪失でもない限り忘れたりしないだろう。


「いや、こんな可愛い子なんて知らないぞ。もし知り合ってたら忘れられるような子じゃないだろ」

「まぁ、確かに」


 同じ女でも葵も少女のことを美女と認めているらしく、オレの言葉に納得気味に頷いた。


「覚えてないんですか?」


 すると今度は少女の方が雷にでも打たれたような驚きの表情を浮かべた。

 そんな顔されても覚えてないものは覚えてない。本当に記憶にございません。

 もしかしてどこかですれ違ったとか? でも名前まで把握されてるんだよなぁ。


「悪いが全く……どうしてオレの名前を知ってるんだ?」

「覚えてない……じゃぁ、あの日の夜のことも?」

「あの日の夜?」


 なんだその不穏なワードは?

 夜なんて毎日来るんだから珍しくもないが、そんな風に言われると特別なことがあったみたいに思えるだろ。


「四月二八日……って言っても思い出しませんか?」


 オレを試すように少女は問いかけてくる。

 ゴールデンウイークに入ったばかりの日だ。


「四月二八日って――」


 葵はすぐにその日に思い当たったように声を出す。因みにその日のことはよく覚えている。覚えていないが覚えている。

 四月二八日、オレが東条あやに告白して玉砕し、五十回目の失恋をし、泥酔するまでやけ酒をした日だ。

 居酒屋でやけ酒をする前のことまではハッキリと覚えているが、その後のことは一切記憶にない。

 もし何かがあったとすれば、泥酔した後になる。


「悪いけど思い出せないよ、キミのことは」


 変に話を合わせようとしたところですぐにウソは露見する。オレは素直に思い出せないと返すと、少女は信じられない! とでも言いたげに目を見開き、その後顔を下げると肩をプルプルと震わせ始めた。


「……とってください」

「え? なんて?」


 さっきまでちゃんとした発音で喋っていたのに、急にか細い声になる。

 なんと言ったのか聞き取れなかったので、オレは耳に手を当ててもう一度言うように促す。


「……てください」


 更に声は聞きにくくなる。


「ごめん、もうちょっとハッキリと――」


 そこまで言いかけると、少女はバッと顔を上げた。

 両目には大粒の涙が浮かび、顔は真っ赤に染まって、怒りと羞恥心が入り混じったような表情でオレへ詰め寄ってくると――


「あなたの赤ちゃんを妊娠しました! 責任とってください!」


――周囲にいる人たちにまで聞こえるくらいの声で叫んだ。


「「…………」」


 オレと葵は少女が何を言っているのかわからずフリーズする。


 あなたの赤ちゃんを妊娠しました?

 この場合のあなたってオレだよな?

 赤ちゃんってあれだよな? 小っちゃくてプニプニスベスベの。

 妊娠ってつまりはお腹の中に新しい命が芽生えたってことで、セックスをして受精したってことで……。

 誰と? 誰が?

 オレと? この子が?

 徐々に言葉の意味を理解し始め――


「はあああぁぁぁぁぁぁぁぁ――」

「えええぇぇぇぇぇぇえぇぇ――」


――葵とオレはほぼ同じタイミングで、それぞれ絶句した。

 周りにいた人たちも、状況を飲み込み初めて、驚きの声を上げ始めるが、それはどうでもいい。

 少女はまだ涙の浮かんだ瞳で、オレを睨みつけていた。


「責任とってくださいっ!」


 少女はもう一度大きな声で叫んだ。


 ◇


 大林大和、二十歳、中学生の頃に初めて告白をし、そしてフラれた。

 それから四九回にも及ぶ片想いを経験し、それでも彼女が一人もできることがなかった――童貞だ。

 そんなオレの目の前に突如現れた少女は、オレの赤ちゃんを妊娠したから責任をとってほしいと訴えてきた。

 だがオレの記憶に間違えがなければ、まだオレは童貞のはずだ。

 なのに赤ちゃんができるってどういうことだ――オレとオレが童貞だと知っている幼馴染みの葵の驚きは想像を絶するほどだったと主張しておきたい。


「わたしは五稜六花といいます。この度大林大和さんに妊娠させられた、高校二年生です」


少女――五稜六花ごりょうりっかさんの核兵器にも匹敵する爆弾発言を落とされた後、オレたちはとりあえず人目のない場所に移動するために、大学から多少離れた喫茶店にやってきた。

 本当は講義の予定だったが、そんなもの受けている場合じゃない。すぐに詳しく話を聞く必要があると判断した。

 席はオレと葵で並び、向かい側に五稜さんが座っている。


「高校二年生……」


 やっぱり高校生だった。しかも二年生ってことはオレと四歳違いってことになる。


「あたしは朝顔葵、これの同期で幼馴染み」

「オレは――」

「知ってます。大林大和さん、わたしを犯した男の人です」


 葵に続いてオレも自己紹介しようとしたが、その前に五稜さんが封じてきた。

 そりゃさっきもオレの名前を呼んでたからご存じですよね、はい、すみません。

 てか店内で犯したとか気軽に言わないでくれないかな? この喫茶店偶に来るからオーナーとも顔見知りなんだよね。


「…………っ」


 ほら、ぎょっとした顔でカウンターからこっち見てきたよ。

 今度から来難くなったぞ、今の一言で!


「ごめん、それって本当にこいつなの? 誰かと勘違いしてない? 信じてくれるかわからないけど、こいつってこれまで彼女がいない童貞で、とても見ず知らずの女の子を襲えるほど経験も度胸もないはずなのよ」


 オレがいたたまれなくなって縮こまっていると、葵が威圧的な態度で五稜さんに間違いないのか確認をとってくれるが……その言い方大分悪意を感じるぞ、葵さんや。

 彼女がいないとか童貞を強調しないでくださいよ、高校生相手に!


「大林大和、その名前がこの人であるのならば、この人であってると思いますけど、どう思いますか?」

「それは……」


 葵はオレの様子を窺うように視線を向けてくる。


「……やっぱり記憶にない。この子に会ったことも、その……赤ちゃんができるようなことをした覚えも」

「薄々そんな気はしてました。あなたあの時は相当酔ってましたからね!」


 酔ってた――やっぱり泥酔しきった間に何か……いや、この子とセックスしてしまったのだろう。


「ちょっと待って、四月二八日確かにこいつはかなり酔ってて満足に歩けなかった。だからあたしたちはこいつを家に連れて帰るのを諦めて、近くの漫画喫茶に放り込んだのよ」


 一応その辺りのことは二日酔いの最中に説明された。

 薄情な奴らだ! と息巻きもしたが、オレが介抱する立場なら葵はともかく他の二人なら同じように放り投げたに違いない。


「それってあなたたちが通っている大学の側にある漫喫ですよね? ブースは二七」

「ブースの番号までは覚えてないけど、大学の側よ」

「二八にわたしがいました」

「…………あっ、キミもしかしてあの時のっ」


 漫喫で目覚めて、ブースを出た時に目の前を横切った可愛らしい少女がいた。

 もしかして、この子があの子ってことか?

 あの時は横顔しか見てなかったからわからなかったけど、かなり可愛い子と思った記憶が今蘇って来た。


「思い出しましたねっ」

「大和あんた本当にっ」

「いや違う! 朝目覚めた時にキミが隣のブースに紙コップを両手に持って入っていくのは見たけど、それ以外のことは何も覚えてないことに変わりはないっ」


 居酒屋で酒を数杯飲んで、漫喫で起きるまでの間は何も覚えていない。だから、正直なところこの子とセックスしてなかったとしても確証をもって否定なんてできない。


「……こいつはあの時、本当に酔いつぶれてた。漫喫まで運んで寝かせたあたしはこいつが熟睡してたって証言できる」

「でもずっと一緒にいたわけじゃないですよね? 記憶がなくとも途中でトイレに行って自分のブースに戻ったつもりで隣に入って、鉢合わせて本能的に襲ったってことだって十分に考えられますよね」


 酒を飲むとやたらとトイレに行きたくなる。あれだけ飲んだのだから、夜中に二度や三度トイレに立っていたとしてもおかしくない。

 それで元の場所に戻ったつもりで実は隣だったってことも考えられなくはない。


「だからってあなたを……犯す理由がないじゃない」


 犯す――って言う時に葵は気恥ずかしそうに顔を赤く染めた。


「わたしみたいな超絶可愛い子が無防備に寝てれば襲いたくもなりますよね、男性なら!」

「そりゃ――いや、どうだろう」


 思わず頷きそうになったが、隣から不穏なオーラを感じ、誤魔化す。


「……こいつに襲われてたと仮定して、あなたは助けを呼ばなかったわけ?」

「怖くて呼べませんでした。もうされるがままでした」


 なんと!

 オレはこんな年下を声が出せないほどに怖がらせたのかっ。

 怖いに決まってるか、見ず知らぬ男に襲われたら。


「だとしても! その……犯されて、こいつが寝たあとに店の人や警察に連絡することだってできたのにしなかったわけ? もしあなたの言ってることが本当なら、こいつは強姦魔の犯罪者よ」

「それは……誰にも言うなって年上の男の人に脅されたら怖いじゃないですか」

「うぅ……」


 オレはこんな子をレイプして、しかも脅しまでしたのか? 最低すぎるだろ!


「だとしても普通なら言うわ。妊娠したってことはあなた危険日だったんでしょ? それなのにセックスされて……洗浄もしなかったの?」

「漫喫のシャワーですぐに洗い流しました! だから平気だと思ったのに……」


 五稜さんは静かに自分のお腹を撫でた。


「そもそもわたしはあなたと話に来たわけじゃありません! 大林さん、あなたも男の端くれなら責任とってくださいっ!」


 責任って言われても全く身に覚えがない。だが、もし本当なら五稜さんの言う通り責任をとるべきだろう。


「つまり中絶の費用を出せってことか?」


 五稜さんが何を要求しているのか察したオレは確認のために問いかける。


「いいえ、それは必要ありません」

「必要ない? どうして?」

「だってわたし――この子産むつもりですから」


 お腹に手を当てたまま、五稜さんは決意に満ちた力強い目で、オレを真っすぐ見据えた。


「「…………」」


 オレと葵はあまりの告白に、唖然として言葉を失った。

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