第43話 再始動~罠の代償 壱
――お元気でいらっしゃるだろうか。
宿下がりの前夜、贈られた絵のお陰で心を救われたのだ。改めて礼を言わなければ。そして伝えなければならないことがある。
自分が男色本の作者であることを――だ。
高遠は心を決めて声をかけた。
「お須磨の方さま。高遠にございます」
部屋のなかで人が動く気配がして、障子が開く。
「どうぞお入りに」
「失礼いたします」
七日ぶりに見る須磨は変わらず、静かな佇まいで高遠を迎え入れた。困ったことは起こっていないようだ。高遠は手を突き、言う。
「先だっては、素晴らしい贈りものをいただき、誠にありがとうございました」
「いいえ、お気になさらないでください」
「あのような心遣いをいただいて、お返ししないわけには参りませぬ。宿下がりにて町へ出たときに、お須磨の方さまに似合う品を見つけましてな。これ、ちと席を外せ」
控えている部屋方に命じる。
部屋方は須磨をうかがい見て、頷いたのを確認してから次の間に下がっていった。姿が消えてから、高遠はズイと須磨に身体を寄せる。
「た、高遠さま……?」
「シィー、どうぞお静かに。誰が聞いているかわかりませぬ。他愛もない相づちをうってくだされ」
「あ……。『ま、まぁ! このような品をいただいてよろしいのですか?』」
「『ええ、よい
「『はい。とても嬉しゅうございます』」
陽気とも呼べるやり取りの後、怪訝な表情を浮かべる須磨にささやいた。
「……あの男色本の出版が決まりました」
「えっ!?」
「町版ではなく、私家版として売り出すことにしたのです。私家版は幕府の手は入りませぬし、自費出版ゆえ、大奥の指図も受けませぬ。詳細なことは御身に障りがあるやもしれませぬので申せませぬが、鶴屋との契約もすんでおります。それで、改めて伺いたいのですが」
「なんでしょう」
「当初の予定だった絵を使うことは可能でしょうか?」
絵は鶴屋が買い取っているので、使用することに問題はないのだが、須磨の部屋を荒らした賊は捕まっておらず、脅迫文のこともある。
「お須磨の方さまの身を案じるならば違う絵師であるべきなのですが、あの作品はお須磨の方さまの絵、ありきで進んでいたもの。無断で差し替えることは筋が通りませぬ。……それに、あの小説を書いた者の名は、あれは――」
「『喜んで使わせていただきます。
須磨はそう言い、にっこりと笑った。
そしてささやくように、
「――また、新作が書けたら読ませてくださいますか……?」と問うた。
その目はいたずらっぽく細められ、高遠を見つめている。
そうか――と、ストンと腹に落ちた。
須磨は作者が高遠だと気付いていたのだ。宿下がりの前夜、絵を渡してくれたときもこう言ったではないか。
『渡して欲しい』ではなく、『受け取って欲しい』と。
よくよく考えれば、打ち合わせで、あれだけ男色本について話し合っていたのだ。高遠が須磨を同類と気付いたように、須磨もまた、高遠の言葉で感づいたのだろう。
「……ふふ」
思わず笑いが洩れる。
――そうか……。そうであったか。
高遠は頷いて愉快そうに答えた。
「『また良き品が手に入りましたら、
その夜、高遠は、須磨の絵が使用可能となったことを文にしたため、翌日、鶴屋へと五菜を走らせた。
なんといっても今回の出版は自費出版だ。鶴屋を大奥に登城させることは憚られる。
出版は高遠の胸算用だ。
誰かを関わらせることはしない。幸いなことに、今の自分を注視する者はいない。出版予定の七月まで、金崎や、叶たちの決定に粛々と従って過ごすのみだ。
相変わらず衆議は大奥行事のどれを執り行い、なにを削るかについてが最大の関心ごとで、てんやわんやだった。
高遠不在の穴は大きかったようで、自然と塩沢たちから意見を求められる機会も増え、それに応えるように心を砕いて策を考え、奥女中たちから持ち込まれるトラブルの処理に追われた。
どうにか、六月十六日の疫病払いを願う
「ええい! 退け、退くのだ!」
と、太い怒声が響き、ドカドカと荒々しい足音が新壱ノ側の長局に踏み込んできた。
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