第39話 里帰り 参

「退屈だ……」


 行儀がよくないと思いつつも、ブラブラと足を揺らしながら縁側に座り、満開を迎えたツツジが咲き誇っている庭を眺めていた。楓の若葉が風に揺られ、サワリと葉音を鳴らす。


 実家暮らしも悪くないが、三日も過ぎると手持ち無沙汰になってしまった。

 家のことは母と妹が仕切り、奉公人と片付けてしまうし、なにか手伝おうかと言うと、「休んでいなさい」と返ってくる。


 小平太は勉学に行くし、ゆかは母親であるゆかりから離れたがらない。高遠も十七歳で大奥に奉公に出てから毎日忙しく過ごしていたので、急に与えられた時間はぽっかりと穴があいたようで返って落ち着かなかった。

 帰ってきたら、いっそやけ酒でもしようかと考えていたが、家族を見ていると心配をかけそうでそれもできない。

 ひばりだろうか。ピーヒョロヒョロという、のどかな鳴き声が聞こえてくる。


「ハァ……。少し外へ出てみるか」


 気が進まないが、大奥を辞してからの身の振り方も考えなければならない。散策でもすれば新しい考えも浮かぶかも知れないと出かけることにした。

 妹のゆかりに一声かけて門をくぐる。


 高遠の実家の近くには神社が点在し、城下町が開発されていくなかで道が入り組んでしまったため、表通りに出るまで時間がかかった。

 付いてきたお付きの者に小銭を渡し、しばらくひとりにしてくれと頼んだ。慣れない人の家で気疲れしたのだろう。嬉しそうに受け取った金を握って町中へ消えた。


「ふう。ようやく、ひとりになれたな」


 人並みに合わせるようにして江戸城下を歩いて行く。

 涼風が心地よい。

 時期が時期だけに、ご禁制の流行りものはなく、立ち並ぶ店も寂しそうだ。すれ違う人々の着物も鮮やかな色はなく、地味な色合いばかりで、若い娘も簪ひとつ挿していない。沢渡主殿頭わたりとものかみの統制下におかれている江戸市民たちの様子がつぶさに伺えた。

 気分転換に出てきたが、目を引くような売りものもない。


 ――これでは、次の奉公先も見つからないであろうな。


 思わずため息が洩れる。

 大奥でさえ雇い止めを行っているのだ。当然といえば当然な結果に、うなだれたくなる。――と、視線の先に軒灯けんとうを見つけた。


 ――まだ残っていたのか。


 娘時代、母と妹ゆかりと一緒によく立ち寄った茶店だ。

 懐かしさに暖簾をくぐった。

 風通しがいい往来に並べられた長床几ながしようぎはほぼ埋まっており、甘酒や茶を楽しんでいる。高遠も甘酒と団子を頼み、家族の土産にしようと団子を包んでもらうことにした。

 出てきた団子は一串、四つになっていた。


 ――昔は五つだったのに。


 飢饉の余波がまだ引かないのだろう。

 数を減らすことで時代を乗り切ろうという苦労が忍ばれるようだった。それでも懐かしい味は健在で、高遠はゆっくりと味わいながら食べた。

 そばに座っている人たちの会話が耳に入ってくる。他愛のないことや愚痴で酒を呑んでいればいい肴になるなと思いながら、なんとはなしに聞いていると、


「井原西鶴の新本を持ってるだって?」とヒソヒソ声を耳が拾った。

「ああ、禁止されるまえに買ってたのよ」

「くー羨ましいねえ。頼む! 貸してくれよ。どこもかしこも、禁止禁止で堅苦しい本しか売ってねえんだ」

「ダメだ、ダメだ。表に出すなんざ危なくてできるかよ」

「ええー」


 本屋という言葉はもっとも高遠が聞きたくないワードだ。

 それでも男たちは好色本を懐かしむ話を続ける。いたたまれなくて、土産の団子を受け取るとそそくさと店を出た。


 ――本なんて……。


 そう思う。思うが耳に入ってしまえば気になるもので、迷いつつも足は覚えている字本問屋へ向かった。

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