第38話 里帰り 弐

 昔、妹と暮らしていた部屋へ案内される。


「お荷物はここでよろしいでしょうか」

「おお、そこでよい。小平太は力持ちだな。ゆかもよく落とさず運んでくれた」


 礼を言うと、ふたりはやり遂げた感を漲らせて、妹、ゆかりのもとへ戻っていった。


 ――可愛らしい子供たちだ。


 婿養子を迎えたと聞いていたが、よい殿方のようだ。


「――ふぅ」


 気ぜわしい時間に一区切りがつき、力を抜く。

 ここは子供たちが寝る部屋だろうか。人形が箪笥の上に飾られている。子供たちがあげる無邪気な声と、妹や母のさんざめく声が耳に届く。大奥とは違い、生活感に満ちた音は心を落ち着かせた。しばらく耳を澄まして聞き入る。


 ――さて。六日間、なにをして過ごそうか。


 見事なまでに、やりたいことがなにもなかった。

 本は読みたくないし、沢渡主殿頭が治め、幕府の目が光る城下を出歩く気にもなれない。さりとてじっとしていれば落ち込んしまうのは目に見えている。


 ――子供たちの相手をして、母や、ゆかりの手伝いをするか。いや待て。家事、できるか……?


 奉公に上がるまで家事はたたき込まれてきたし、下っ端の時期には雑用をこなしていたのでできるにはできるだろうが、この五年はまったくしていないので、いささか不安だ。


 ――取りあえずは夕刻に帰る父上と婿殿に挨拶をして、夕餉を食べて休もう。大奥のことは、今は考えないようにして、そうだな。今後の身の振り方をどうするかじっくり考えるとしようか。


 あとは、表情筋を駆使して小平太や、ゆかを怖がらせないよう無表情はなんとかしようと決める。


「あかね叔母さま! お茶が入りましたゆえ、お越し下さい!」

「ください!」


 小平太と、ゆかの元気な声が高遠を呼ぶ。


「うむ、すぐ参る」


 座敷でお付きの者の紹介をして、甘い菓子と茶をいただいた。

 


 七ツ半――午後五時前に、父と婿殿が帰途に着いた。


「殿さまのお帰り」


 はさばこを肩に担いだ中間ちゅうげんが大きな声で報せる。

 高遠も皆と一緒に玄関で迎えた。


「……おお、あかね。帰ったか」


 腰に差していた太刀を母に渡しながら、父、伊平いへいが言う。


「はい。しばし、すごさせていただきます」

「うむ。奥向きも忙しかろう。ゆるりとすごすがよい」


 相変わらずの無表情だが、細められた目はとても優しい色を浮かべている。幕府に勤める役人は、夕七ツ――午後四時ごろお役目が終わる。


 高遠の実家は、御城から三十分ほどの位置にあり、近所は同じく旗本の家が並び立っている場所だ。父は高遠の出世も手伝い、今では奥右筆おくゆうひつとなり、武ではなく文でもって幕府に仕えている。

 生真面目で、無表情な父親には似合うお役目だと思う。


 記憶にある父はとても大柄だったが、書き付けが主な仕事のせいか少し猫背になり、小さく映った。

 妹のゆかりが、伊平の後ろにいる男性から太刀を受け取る。


「お姉さま。夫の正和まさかずさまです」


 紹介を受けた正和は白い歯を見せて、


「お初にお目にかかります。正和と申します。どうぞ、ごゆるりとおすごしくだされ」と穏やかな声で言った。


「こちらこそ、急なことで申し訳ございませぬ」


 騒がしい玄関に母の仕切る声が響き、笑いながらそれぞれの部屋に入った。

 高遠は伊平の後に続いて書院まで付いてゆき、改めて挨拶をした。


「お久しゅうございます。父上」

「久しいな、あかね。――立派になったな」

「いいえ、まだ、己が未熟であることを感じ入ることばかりで……」

「――今は苦しいときだろうが、また陽が昇る日もくるであろう。急ぐでないぞ」


 ああ、父にも自分のことが知れ渡っているのだ。

 それでも触れない優しさが有り難かった。


「父上。ありがとうございます」


 伊平の思いやりに頭を下げた。

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