第30話 暗雲立ちこめる~金崎という女 弐

 ――今日は金崎殿との番だったか。


 どっと肩に重さを感じるが、


「よろしくお願いいたしまする」とひとこと言って、隣に座った。


 金崎はチラと高遠を一瞥いちべつするだけで返事はない。

 全身から『関わるな』といわんばかりのオーラが吹き出ている。

 仕方がないと諦め、問題を報告しにくる女中がこないものかと、あらぬ考えを抱きつつ、世間話もないまま時間だけが過ぎていった。


 ――仲良くしたいわけではないが、そこまで毛嫌いしなくともよいではないか……。


 と、思う。

 大奥総取締役、塩沢がいる衆議では、話し合いのために意見を出し合うが、個人的に向き合うと途端にこれだ。

 今日も隙のない装いで、御年寄としての品格を保っている。


 ――次期大奥総取締役を望んでいない自分には、考えもよらない思いがあるのかもしれない。――多分。


 ふたり揃って前方の壁を見ていると、ようやく金崎が口を開いた。


「のう、高遠殿。男色本を出すと知れてから、御中臈たちばかりか、他の者までこぞって男色本を購入しておりますなぁ」

「――はい」

「そのせいか、夜遅くまで読みふけり、油や蝋燭ろうそくの消費が多くなっておるそうですよ? 金がないというに困ったことですなぁ」

「――…………そうでございますな」


 ――口を開けば嫌味か。しかも、そんなささいなことで。ご自分は二月下旬、代参帰りに芝居見物をして、ついでに役者と酒を飲んで憂さ晴らしをしたというのに?


 と、突っ込みを入れたいのをグッと耐えた。

 代参とは御台所に替わり、歴代の将軍をまつ寛永寺かんえいじ増上寺ぞうじょうじで祈りを捧げることで、大手を振って外に出られるチャンスなのだ。


 お付きの者も、そのおこぼれに預かれるので、建前上は禁止とされている代参帰りの寄り道について、なにも言わないのが暗黙のルールとなっている。大奥は闇が深い場所だ。


『生きていたいのならば黙っていよ』


 が、浸透しており、滅多なことは言わない方が身のためなのだ。

 高遠も、出版が叶うまで足を引っ張られないようにと代参が終わり次第、茶屋で団子を食べることさえせず御城へ直帰していた。


「それに……」


 と、金崎が続ける。

 まだなにかあるのか? とうんざりしながら「はい」と答える。


「あんな微々たる金のために、沢渡主殿頭さわたりとものかみに逆らうことが懸命な判断であると思われるますか? 少なくともそのせいで、塩沢さまは注意をうけ、結果的に逆らう形となったのですぞ」


 ――すべて、わたくしのせいですか……。


 金崎は出版について、いまだに反対の姿勢を貫いている。上様のご威光を示す大奥から男色本を出版することが許せないのだ。

 その気持ちは理解できる。自分だって健全な方法で稼ぐ手立てがあるのなら、そちらを選びたい。だが、他に方法がないのだ。

 身バレしてまで頑張っているのは、


『大奥を救いたい』


 その一心からだ。

 金崎と形は違えど、大奥を大切に思う気持ちは同じなのだ。


「……そうですな。金崎殿の仰るように、塩沢さまにはご負担をかけてしまい、心苦しい限りです。ですが、今は大奥が滞りなくあることが肝要かと存じます。塩沢さまもそれを理解され、出版のお許しをなさった。わたくしはそう考えております。ならば、わたくしはわたくしのお役目を果たすだけにございます」

「――…………」


 金崎はそれ以上なにも言わず、この話は終わった。

 しかし、金崎と同じ考えの人間は一定数存在する。高遠は祈るような思いだ。


 ――ああ、どうか無事に出版が叶いますように。

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