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 檀那寺の先代のご住職はわたしが小さい頃からおじいさんだ。皆「ご住職」とか「お寺さん」とか呼ぶものだから、何歳くらいなのかも、名前すらもわたしは知らない。何年か前にくも膜下出血だったかで倒れて麻痺が残り、それがきっかけで代替わりしたと聞いたことがあって、確かに今も左脚を庇うように歩き、杖に頼っている。でも「ごめんください」と言った声は大きくてよく通るし、顔色もよくて結構元気そうだと思った。「実花子ちゃん、大きくなったねぇ」というときの声音は、晴ちゃんくらいの子が相手のときとまるで同じだ。

「父ですか?」

「いえいえ、お母さまはいらっしゃっけ?」

 玄関先で尋ねられてどきっとした。先代は父ではなく、母を訪ねてきたのだ。でも、まさか死んだなんて言えない。

「すみません、今出かけてまして……」

 わたしはどきどきしながら嘘をついた。「母にどういったご用でしょうか?」

「昨日、お母さまがうちを訪ねていらっしゃってね」

 先代はゆっくりとうなずきながら話す。

「どうも過去帳に載っとらん昔のことについてお尋ねがあったらしい。私はそのとき留守をしとったんだけど、後から息子から話を聞きましてね。今日になってちょっこと思い出いたことがあったがで、お話ししようかと」

 違うどきどきが押し寄せてきた。そういえば父が、「母が檀那寺に行ってきた」と話していたっけ。そうか、そのとき先代には会えなかったんだ。

「あの、母は帰りが遅くなると思うので、よかったらわたしが伝えましょうか? あっ、あと父もそれ知りたいと思うので呼びますし」

 先代が「いやいや、また改めて伺うさかい」と辞退するのを引き留めて、わたしは父に電話をかけた。五分ほどで父の車が戻ってきた。

「何か急いでお調べですかな」と先代は察しがいい。

「すみません、お手数おかけします」

「なに、大きい家ちゃ色々あるものやさかい」

 そう言って先代はあれこれ聞き出そうとしないので、わたしはほっとした。昔からこの土地に住んでいるひとだし、文坂家から死人が続いているのももちろん把握しているだろうから、きっと察するところがあるのだろう。

「まぁ、とにかくお上がりください」

 父は母が寝ている客間をスルーして、先代を居間に通した。全然動揺していないように見える。我が親ながら大したポーカーフェイスだ。

 先代は椅子の方が楽だというので、わたしはキッチンからダイニングチェアを持ってきた。その間に父がお湯を沸かす。こんなときでもお茶はくむのだな、とふと思った。

「ありがとう、どうぞお構いなく」

 ダイニングチェアに腰かけて、先代はまたゆっくりとうなずく。どことなく亀に似ている。

「実は、今日はよそへ出かけたついでに立ち寄っただけやさかい、お話しできることがそこまであるかどうか……寺を探せばもうちょっこし色々わかるかもしれませんな。古い帳面やら手紙やら、物置にやたらと放ってあるものも多いさかい」

「いやいや、今おわかりになることだけでも助かります」

 わたしと父はちらりと視線を交わし合った。今日になって急に思い出したというのは、例の「手がかりをぼやけさせる力」が遠のいているからなのかもしれない。今まではたどり着けなかった情報がこれから出てくるかも――と思うと、いやでも期待が膨らんでしまう。

「実は先々代の頃に、お宅の裏山の中に五輪塔をひとつ建てたちゅうことがありましてな」

 民話を語るような口調で、先代は話し始めた。

「ご存知のとおり、あの山は昔から入らずの山で、怖ろしい怪物がおるて言われたものや。なんの怪物かはわからんけどえらい昔からいるもんで、私の母などは『神様みたいなものやろう』と言うとりました。人間の言うことを聞かない怖い神様――らしきものがおられる、とね。もし神様やったらうちは専門外や。寺やさかい」

「そういうもんですか」

 父が相槌を打つ。先代はお茶を一口飲んで、「亡くなった方の供養はいたしますがな」と言った。

「それで五輪塔を」

 父が何かわかったような顔で言う。ゴリントウが何のことかピンとこないわたしに、父は「お墓やな」と囁いて、話を続けた。

「どうして墓地でもなんでもない山の中にそんなもんが必要やったのか――」

「代々の墓に葬りたくない人物がいた、ということでしょうか」

 父が急に踏み込む。先代は「どうでしょうなぁ」と言いながら、またゆっくりとうなずいている。

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