09
わたしが泣いている間、父も一緒に涙を流していた。(お父さんが泣くところを初めて見た)と思った。ようやく涙が引く頃には、これはわたしたちにとって必要な作業だったのだと実感した。
どのみち母の死をゆっくり悲しんでいる暇はない。夜になればまた何かがわたしたちのところにやってくるかもしれない。
父はさっき言ったとおり、本家の蔵を見に行くという。なかなか手間がかかりそうだ。
「わたしも行くよ」
立ち上がりかけると、
「いや、できればこっちに残ってほしい」
そう言われた。
「母さんが何か伝えようとしてくるかもしれん。辛いやろうが……」
「わかった」
わたしはうなずいた。本音を言えば一人になるのがいやだった。父と一緒にいたかったけれど、そんなことを言っている場合じゃない。蔵の中身は逃げないけれど、母の幽霊は消えてしまうかもしれない。同じ幽霊に明日も会えるかどうかなんて、誰にもわからないのだ。
「気をつけてね。人手が必要だったら言って」
「わかった。実花子も気をつけてな」
父はヘッドライトなどを持って家を出て行った。手持ち無沙汰になったわたしはリビングに戻り、ソファに腰かけてスマートフォンを見た。
兄からの連絡はない。代わりに友達からのメッセージが入っていて、そういえばここ数日大学を休みっぱなしだということを、わたしはようやく思い出した。『見ないけどどしたん? 休み?』という問いに詳細に答えることができず、少し悩んで『ごめん、風邪ひいた』と返事をした。
『つら そんなことかと思って数学のレジュメ一部もらっといた。あとマクロ課題ある』
『ありがとう。熱下がったら教えて』と返すと、「おだいじに」と手を振る猫のスタンプが送られてきた。もう一度この子に会うことができるだろうか、とふと考える。できるようにしたいな、と思う。不思議と静かな気持ちだった。
父は本家に着いたかな、まだかな、と考える。
(それにしても、ヘッドライトなんかよく持ってたな)
ふとそんなことを思った。そういえば昔、家族みんなでキャンプに行ったことがある。その時に買ったのかもしれない。だとしたら結構古いものだ。
あのときはわたしたちだけじゃなくて、本家の護さんと聖くんも一緒だった。護さんはすでに本家の当主らしい人間離れした雰囲気を醸し出していたけど、聖くんは年相応に幼くて無邪気だった。
兄しかいないわたしは、一個下なのをいいことに聖くんを弟みたいに扱っていた。聖くん自身、なんというか「雨に降られた子犬」みたいなところがあって、何かと世話を焼きたくなるような子だった。小さい頃から可愛い顔してたし――というところまで来て、ふとあることを思い出した。
聖くんの顔はどことなくおサヨさんに似ているのだ。そのことに気づいた途端、わたしは頭の中で小さなピースがはまったような音を聞いたように思った。いつの時代のひとかはわからないけれど、やっぱりおサヨさんは文坂家の祖先なのだ。そのことがストンと腑に落ちる。
(やっぱり本当に本家のお嫁さんだったんだ。そんな立場のひとに、一体何があったんだろう?)
わたしにはわからない。彼女はどうしてあんなふうに彷徨わなければならなくなったんだろう? 汚れて、おぼつかない足取りで、あんな風に困った顔をして――
(知りたい。何があったのか)
そう強く思ったとき、ドアの向こうからさっと何かが動くような音がした。この家には今、わたし一人しかいないはずだ。
わたしは急いで立ち上がると、リビングの戸を開けた。
廊下を挟んだ斜向かいに、母の遺体を安置している客間がある。さっき閉めたはずのその襖が開いていた。
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