21

 おれは心のどこかで、ねえさんはもういなくなってしまったものだと思っていた。あの山から来るもののせいで消えてしまったんじゃないかとずっと疑っていて――認めたくはないけど、そのことに少し、ほんの少しだけ安心しているところもあった。こんなことを言ってはいけないんだろうけど、ねえさんのことは、おれには正直重荷すぎたのだと思う。黒木さんの前にねえさんが現れたらしいと聞いたとき、おれは初めてそのことに気づいたのだった。

 ねえさんはサヨさんと話したりしたのだろうか。おれたちから離れて本家に戻り、機会を待っていたのだろうか。もし次にねえさんと会えることがあったとして、おれは普通の顔をしていることができるだろうか。

『聖さ〜、またどうしようもないことを考えてる気配がするんだよね〜』

 志朗さんが突然そう言う。また急に呼び捨てだ。顔も見えてないのになんでそういうことに気づくんだ? 空気読みにも程がある。実際どうしようもないことをグズグズ考えている自覚はあるので返事に困っていると、黒木さんが横から口を挟んだ。

「そういえば志朗さん、言われたとおり掃出し窓を一枚割ったんですけど、その修理費用ってこっちに請求してもらっていいんですか?」

『ああ、まぁ、こっちが勝手に割ったからね。文坂さんに払ってもらうのも違うよね。いいよー』

「実はそのガラスなんですけど、あの〜、実は今朝、茅島さん経由で来た工務店の方からたまたま電話がありまして」

『ああ、ほんとなら今日伺う予定じゃったねぇ』

「そのついでにちょっと聞いてみたらですね、たぶんその、アンティークものじゃないかと」

『は?』

「写真撮って送ったら大正ガラスじゃないかとか言ってました。今貴重だそうで、最悪似たようなものを海外から取り寄せになる可能性も」

『えっちょっと待って黒木くん、なんかすごいもの割った?』

「いやいやいや」おれは慌てて割って入った。「何でも嵌ってればいいんで! いいですって普通のやつで」

 古い家はこういうとき面倒くさい。住んでいた家がたまたま古かっただけで、アンティークがわかる人間なんか、おれの知ってる限り本家にいた試しがない。

「たぶん現時点で全窓揃ってないですよ。どこか割れたら大急ぎで修理してたはずなんで」

 そう言ってからふと思い出した。志朗さん、そういえばそもそもおれに電話をしようとしてて倒れたんじゃなかったっけ? 「ぐるぐる回るのがなんとかかんとか」って言ってたって、黒木さんから聞いたはずだ。うっかり忘れていた。

 で、尋ねてみたら、志朗さんも忘れていたらしい。

『それそれ! もうええかと思ってうっかりしてた。あのとき、ぐるぐる回るやつと当主の命を取るやつは別じゃないかって急に思いついたんだよね』

 急だ。どうしてそうなったんだろう。

『仮に山から来るものが当主の命を取っちゃうんだとしたらさ、家の周りを一晩中ぐるぐる回る意味があんまりないじゃない。だって当主はずっと同じ部屋にいるわけでしょ? だったらその部屋の外で見張ってた方がいいじゃない。なんかチグハグだよなと思って』

「ああ〜……なんかそういうこと、考えてもなかったです」

『たぶんぐるぐる回るのは、家の中に入れる場所がないかどうか探してたんじゃないかな』

 急に悪いことをしていたような気持ちになった。誰かがもっと早く禁を破って彼女と話をしていたら――などと考え始めて、やめた。おれはまたどうにもならないことをグズグズ考えようとしている。

 スマホの向こうでは志朗さんが『干渉されたってことは合ってたってことだね』と明るく言い、黒木さんが「変な証明の仕方しないでください」と苦情を言った。それでこの話はおしまいになったけれど、おれはそれからも時々、家の周りをぐるぐる回るサヨさんはどんな気持ちだったんだろうみたいなことを、意味もなく考えてしまうようになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る