18
こうやって朝を迎えられていることが嘘みたいだった。布団の中で天井の木目を見上げながら(明るいな)などとぼんやりしていると、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。あまり聞き覚えのない、重量感のある足音だ。一体誰が家の中にいるんだろう? などと呑気に考えていると、襖が軽くトントンと叩かれてからスッと開き、鴨居のすぐ下からぬっと顔が覗いたのでギョッとした。
「あっ、起きました? すみません文坂さん、勝手に入りました」
黒木さんだった。
どうしてこの人がここにいるのか、夜の間に何があったのか、やっぱり全然わからないままだ。でも、今はとにかくまともな人間に会えたことが嬉しかった。
色々聞きたいし話したいこともあったのだが、晴がまだ寝ていたので、おれたちはとりあえず居間に移動した。隣のおれの部屋は、黒木さん曰く「今は入らない方がいい」らしい。
「昨夜窓ガラスを割ってしまったんで、破片が落ちてるかもしれません」
「はぁ」
そういえばガラスを割るような音がしたっけ、と思ったそばから、昨夜の記憶がものすごい勢いで頭の中に押し寄せてきた。晴の姿をしたものに抱き着かれたときの感触が蘇って、喉の奥がぎゅっと詰まった。
「大丈夫ですか?」
ソファに座っている黒木さんがテーブル越しにおれの顔色を伺ってくる。本人は心配してくれているのだろうが、眉をひそめると強面がさらに強面になる。申し訳ないのだがそれが妙におかしくなってしまい、うっかり笑わないように口の中を噛んでいたら気が紛れてきた。
「だい……大丈夫です」
「それならよかった。いや、実は俺にもよく事情がわかってないんですよ」
黒木さんは申し訳なさそうに言った。ゴーッと音をたてて、エアコンが部屋を暖め始める。いつのまにか電源も復活したようだ。
「俺はただ、『今すぐ文坂の本家に行ってドアでも窓でもいいから破れ』って、志朗に指示されただけなんです」
「志朗さんに?」
「昨夜の……確か八時半くらいに志朗が急に起きまして」
ちょうど病室から一旦引き上げようとした黒木さんが驚いているのを捕まえて、志朗さんは開口一番「巻物ある?」と尋ねたらしい。病院に来るのに持参しているわけがないし、第一血で汚れてしまっている。そう答えると、志朗さんは「何でもいいから白い紙持ってきて」と言い始め、A4のコピー用紙を使って「むりやりよみ始めた」というから、とにかく急いでいたようだ。
「それで黒木さん、窓を破れって言われたんですか?」
「そうです。本当は志朗本人が来ようとしてたんですが、医師に止められました」
「ですよね……」
それで黒木さんは、夜の高速を飛ばしてこっちに来てくれたらしい。事情がまったくわからないままなのによくもまぁ来てくれたなと思うのだが、
「最悪逮捕されても何とかしてやるって、すごい勢いで言うもんですから……」
というから押し切られたようだ。もちろんおれとしては、今更黒木さんを警察に突き出す気などさらさらない。
「ていうか志朗さんこそ大丈夫なんすか? 病院で倒れたんでしょ?」
「本人が言うには『急にめちゃくちゃ眠くなって寝ちゃった』だそうです。寝方ってものがあると思うんですが……」
「それはありますね……」
その時廊下からバタバタという足音と、「きっちゃん! きっちゃんどこ!?」という晴の声が聞こえてきた。どうやら目が覚めたらしい。
おれが「おーい」と言いながら居間の戸を開けると、廊下の向こうから晴が走ってきて、勢いよくおれに飛びついた。それからしばらく晴はおれにくっついたままで、なかなか離れてくれなかった。
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