8 収穫祭仮装計画

「おかえりローザ。今日も城下は楽しかったみたいだね」


 執務室の窓越しに六人の護衛に付き添われ西門から戻って来たローザを見つけた父王カルロが、彼の参謀でもあるフレド・バルマー伯爵を伴って、いそいそと娘を迎えに降りて来ていた。護衛たちは王と伯爵に挨拶をすると役目を終えて下がっていく。


「はい、お父様。今日もとっても楽しかったです。お母様には可愛いお花のお土産がありますよ。お母様はお部屋ですか? ああ、それから……」


 ローザはリボンが簡単に巻かれた紙を嬉しそうに顔の横で左右に振りながらカルロとフレドに見せる。


「なんだい?」

「これは私の絵です。すごく可愛く描けているのです」

「ほう。見せてごらん」


 ローザは摘んできた花を足元に置くと、巻かれたリボンを慎重に解いて、大事そうにそのリボンも花の横に置く。それから両手で紙を広げると、二人に向けてそれを見せた。


「ほら。ローザです!」


 その紙の中で、鉛筆描きのローザがニッコリと笑っている。


「おやおやおや。なんとも可愛らしい姫様が!」

「……そうだな。よく描けている」


 得意そうにローザが上を向く。

 自分よりも先にフレドが娘を褒めたので、カルロは少しばかりムッとした顔でフレドを睨みつけた。フレドはそんなことはお構いなしといった様子でローザにとびきりの笑顔を向けていた。

 このバルマー伯爵、見た目はどこにでも居そうな中肉中背の優しげな中年男性といった雰囲気だが、その実、王の側近の一人であり “クリスタリアの頭脳” とも呼ばれる男なのだ。


「旅をしている絵描きさんに描いてもらったのです。お礼に美味しい串肉のお店まで案内してあげました」

「ローザ。その絵描きの名は聞いたか?」

「いいえ……」


 カルロは後ろに控えていたフレドに小さな声で指示をする。


「護衛の中に……確か、カステル男爵の息子が居たな?」

「はい。男爵家の三男です。確か名はマリオ。マリオ・カステル」

「そうか。では、その者に後で執務室まで来るように伝えてくれ」

「畏まりました」


「あの、お父様。何か駄目でしたか……?」


 父と伯爵のやりとりを見て、ローザが少し不安気に父親に問いかける。


「いや。大丈夫だ。何も問題ないよ。パトリシアに花の土産があるんじゃなかったか? そうだ。パトリシアが衣装を早く決めないと収穫祭までに間に合わないと困っていたぞ。早く行ってやれ。それとその絵も見せると良い。きっと喜ぶぞ。可愛く描けている」

「はい!」


 ローザはしゃがみ込んで絵が描かれた紙をクルクルと丸め、花とリボンを掴むとピョンと元気に立ち上がり、スキップでもしそうな勢いで城内に入って行った。


「やれやれ……」


 カルロは両腕を上げ、大きく身体を伸ばすと、左右に首をコキコキと曲げ、左手で首の後ろを抑えるようにして首を回して、深い溜息をつく。


 なかなかに苦労が絶えないのが王という者である。



        ー  *  ー  *  ー  *  ー 



「今年は絶対に『海賊リリー』です!」


 カルロが部屋に入っていくと、困り顔のパトリシアに向かってローザが熱弁をふるっているところだった。


「ローザ、流石に海賊は駄目だと思うわ。やっぱり王族的には……」

「でもお母様。お祭りの日、私はただの女の子で、王族ではないのですよ。街ではいつだって誰も私が王女だとは気付いてないのです。だから海賊でも平気です!」

「あー、でもね。お母様はやっぱり海賊より “花の妖精” とか “猫ちゃん” の方が断然可愛いと思うわ」

「妖精は前になりました。それからもう動物は嫌です」

「ああ、カルロ。良いところに。お願いよ。何とか言って頂戴……」



 パトリシア・クリスタリアは困り果てていた。

 末娘は普段は物分かりの良い本当に素直な娘なのだが、これと心に決めたことがあればこんな風に一歩も退かなくなるのだ。

 パトリシアはもともと身体があまり丈夫な方ではなく、穏和な性格と優しい語り口の為、自分が前に出て積極的に行動するタイプではない。夫であるカルロを側で支え、子供たちを慈しみ、国民からも愛される、美しく慈悲深き王妃である。末娘の説得は難しいと本人も半ば諦めムードだった。



 ローザが息巻いて参加を表明している秋の収穫祭は、ここヴィスタルで一番盛大な祭りだ。

 小麦をはじめとした今年一年の作物の安定した収穫、牧畜と酪農の無事な成果を祝い、神に感謝を捧げる目的で古くからこの地で執り行われてきた。

 メインの広場には大小様々な屋台が軒を連ねる。小麦を使った焼きたてのパンや菓子、ミルクやチーズをふんだんに使った温かい料理の数々、塊のベーコンやソーセージから香ばしい食欲を掻き立てる匂いが漂ってくる。エールにワイン、果実水も並ぶ。

 他国から大道芸人が来て、ちょっとした見世物小屋が建つ年もある。

 十数年前からだろうか、子どもたちが思い思いの仮装をして祭りに参加するようになっていた。たまには子どもの心を忘れられない大人も混じっていたりもする。

 兎にも角にも、子どもにとっても大人にとっても魅力的な祭りなのだ。



「上は大きな襟の付いた白のブラウスで、下は赤のスカート。スカートはフリルがいっぱいのじゃなくて、ストンとしたのね。それから黒いリボンを腰に巻いて、再度で結いて長く垂らすの。赤い海賊帽子に鳥の羽根を飾って、靴は編み上げの黒のブーツ……」


 ローザの言うところの『海賊リリー』と言うのは、ヴィスタル近海を縄張りとしている “オルカ海賊団” の一員で、首領の美しき妻でもある。

 オルカ海賊団は元々はひどい荒くれ者の集まりだったが、十五年程前に首領が今のキャプテン・ミゲルに替わってから後は “義賊的” とも取れる行動を見せるようになっている。

 ここ十数年オルカ海賊団に襲われるのは、後ろ暗い噂が絶えない貴族の船だったり、悪どい商売を繰り返している商人の船ばかりだ。

 そういったこともあり、ここ数年女海賊リリーとミゲル船長が人気で、小さなリリーとミゲルが収穫祭に多く出没するのであった。



「ローザ。海賊は捕まれば縛り首だぞ!」

「捕まらなければ平気よ。実際この数年、オルカ海賊団の海賊たちは誰も捕まっていないのでしょ?」

「まあ、その通りだが……」

「ねえ、お父様。リリーの衣装を注文しても良いってお母様に言って下さい」



 カルロが早々に陥落することは火を見るよりも明らかだった。この父王は末娘には殊更に甘いのだ。

 こうなるとパトリシアも折れるしか無い。


「では、明日にでもお針子を呼びましょうね」


 ローザは嬉しそうにピョンと母に抱きついた。

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