7 ローザと絵描き

 ヴィステルの街の中心部から離れ、当てもなく気の向くままに歩いていると半分崩れかけた石畳を見つけた。時折、気持ちの良い爽やかな秋風が吹いている。

 男は石畳に腰掛けた。身体を少しだけ右に向けると、まるでこの街を従えるかのように建つヴィステル城が目に飛び込んでくる。


「本当に見事だ……」


 斜めに下げていた布製のカバンから男はスケッチブックと筆入れを取り出した。

 足を組み、太ももの上でカバンを下敷きにしてスケッチブックを安定させる。それからは取り憑かれたかのように紙の上で鉛筆を走らせる。



「何を描いているの?」


 いつの間に隣に立たれていたのだろうか。

 可愛らしい小さな女の子がニコニコしながら男のスケッチブックに描かれた絵を覗き込んでいる。

 久しぶりに “絵を描く” という作業に集中していたので、声を掛けられるまで全く気が付かなかったとは……。

 我ながら苦笑するしかない失態だ。


「この街と城をね。とっても綺麗な景色を見つけたから……」


 少女は私の絵と正面の街を何度も何度も見比べている。


「本当だ、お城だわ」

「ああ、とっても立派なお城だね。いろんな街を見てきたが、ここほど美しい街はなかなか無いと思うよ」


 何故だか少女の顔が少しだけ誇らしそうに見える。


「素敵ね。とっても上手だわ」

「そうかい? どうもありがとう」

「お隣に座って見ていても良いかしら?」


 答えなど待たずに、少女は石垣に腰を下ろすと興味深そうにまた絵を覗き込んでいる。


「君も絵を描くのが好きなのかな?」

「どうかしら……描いたことがないからよく分からないわ。もしかして貴方は絵描きさんなの?」

「そうだよ。絵を描きながらいろいろな国を旅をしているんだよ」

「ふーん。そうなの……旅って貴方一人で? 寂しくはない?」

「寂しくはないな。たまには君のように話しかけてくれる子も居るだろう?」


 少女はふふふっと楽しそうに笑って、今度は絵の具や絵筆の観察を始めたようだった。



 時々独り言を交えながら、なんとも楽しそうな様子の少女をこちらも観察してみる。綺麗な子だ……それに、とても身なりが良い。


(ん? 南国でも何故だか日に焼けることもなく色白で、手足はすっとしていて、さほど背は高くない。プラチナブロンドのカールした綺麗な髪。明るい緑色の大きな瞳。愛らしい声。……ああ、なるほどね。あの船員の言ってたことは間違っていないみたいだな)


「もしかして君は……」


 言いかけて言葉を飲み込む。確か船員が「」と言っていたのを思い出したからだ。


「何?」


 少女がこちらを見て、僕の話の続きを待っている。


(ああ。やっぱりそうだ。1、2、3、少なくとも見える範囲で三人の護衛がついている。いや、あそこにもう一人。一応『割と裕福目な大店の娘』ともとれる服装をしてはいるが、この少女こそがクリスタリア国第三王女のローザ姫で間違いないだろう)


「もしかして君は、この辺りで一番美味しいって評判の店を知っていたりするのかなって思って。ちょっと聞いてみたんだ」


(折角のお忍び、わざわざ正体を暴いてしまうのは野暮ってもんだろう)


 男は何食わぬ顔で話をすり替えた。


「美味しい店?それはおやつとして?それとも食事として?屋台が良いの?それともちゃんとしたお店?」

「なんだい、そんなに詳しいの?」

「そうでもないわ。いつだって駄目だって言われちゃうもの……。でも屋台だったら何回か食べた事があるわ。揚げてある丸くて甘いお菓子とか、串に刺さって焼いてある塩味のお肉とか。後は……」


 その少女は美味しかった食べ物のことを、楽しそうに指を折って数えながら思い出しているようだった。

 その様子を男はサラサラとスケッチブックに描き留める。


「ねえ、知っている?」

「何をだい?」


 男は一瞬顔を上げただけで手を休めようとはない。

 そして少女の質問に質問で返す。


「もうすぐ秋のお祭りがあるのよ。街の子どもたちは皆思い思いの仮装をしてお祭りに参加するの。その日は私も仮装をするつもりよ。向こうの大きな広場に屋台がいーーっぱい並んで、美味しいものや楽しいものが沢山よ。お祭りの日はね、街で使えるお金も少し貰えるの。自分で、えっと、お金はたぶんお兄様が払うんだけど、お買い物もするのよ」


 少女は興奮気味に早口で捲し立てる。

 それから突然、上品とは程遠い自分の態度に気付いたのか「あっ」っと小さい声を漏らすと、慌てた様子で小さな両手で口元を隠した。


「またやっちゃった……」


 その余りにも可愛らしい様子に、男の顔から極上の笑みがこぼれた。

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