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「――正気ッ!?」


 ソフィアの飄々とした口調が崩れ、真に迫ったものとなった。

 二人の体をふわりと浮遊感が包み込む。


 そしてソフィアは、それどころじゃないとばかりにホールドを解き、二人は空中で向かい合い、睨み合う。


 この戦いは、異能力オルタビリティ無しを謳っている。

 だが、三階程度の高さがある場所から落ちているのだ。

 落下傘降下を訓練に織り込んでいる、自衛隊第一空挺団は、ビルの三階から飛び降りて無傷で済んだというが。


 さすがに鷹一もソフィアも、高所から落ちて無事で済むような訓練は積んでいない。


 つまり、異能力オルタビリティ無しで落ちることは戦線離脱リタイアを意味するのだ。


 二人とも痛みを幾度も味わってきた。

 高所から落ちた経験はそこまであるわけではないが、その痛みの経験値が、無意識にダメージを想像させる。


(まずい、異能力オルタビリティを展開しなくちゃ――ッ!)


 ソフィアはギアに手を伸ばそうとする。

 しかしすぐに、これは違う勝負であることに気づく。


 鷹一は確かに、コースターからわざと落ちてホールドから脱出した。

 それはつまり、脱出して“正義の十字クロス・ロンギヌス”で着地するつもりだったからだ。


 が、なら落ちてすぐ“正義の十字クロス・ロンギヌス”を出してもいいはずなのに、まだ鷹一はギアを触る様子すら見せない。


 数秒で落ちるはずなのに、まるで時間の感覚が伸びているように、ソフィアの思考が重なっていく。


 鷹一は、貫く男ランスだ。


 勝負となれば譲らない。


 それは夜雲との戦いでも顕著だった。


 異能力オルタビリティ無しと言ったのだから、鷹一から発動させることはない。


 試合そのものの勝敗には関係しないが、ここで先に異能力オルタビリティを発動させることは、競技者ガンコモノとしての意地が許さないのだ。


 迫る。


 地面デスが迫る。


 上に景色が流れていき、風が体を押し上げるような錯覚すらあった。


 しかし、如実に死が迫る。


 無心になろうとしても、これから数秒、何もしなければ確実に来るであろう死が、背筋を撫でる。


 鷹一も、ソフィアも、二人ともその死に対して向き合っていた。


 今は互いが死神に見えていることだろう。


 死に心が折れて、異能力オルタビリティを先に発動させた方が、ここで先に譲ったことになる。

 それはそう遠くない内に訪れるであろう鉄火場で、足を引く理由になってしまう。


 相手より強いと言い張れない人間が、どうして勝負に勝てる?

 鷹一も、ソフィアも、それを文字通り骨身に刻んできた。


 誰にも負けたくないから、拳を磨き続けてきたのだ。


 どんな僅かなことだって、譲ってたまるか。

 言葉はないが、今二人は、確かにその感情を共有していた。


 語らずともわかり合えるその時間に、ソフィアの緊張の糸がキリキリと締め付けられる。

 そして、楽しい時間には必ず、終わりが訪れるのだ。


 それは、地面に激突する、三秒前。


 その瞬間、ソフィアは本能的に、自らのギアをタップした。


 発動して、着地体勢を整えるには、どうしても二秒必要だったのだ。


 しかし、鷹一はギアを操作しようとしない。


 なぜ――ッ?


 ソフィアは、疑問を振り払うかのように、異能力オルタビリティを発動させた。


魔獣喜劇弾バレットサーカス!」


 ソフィアの手に、リボルバーが握られ、そのリボルバーを地面に向けて発砲。

 着弾した位置には、ベッドほどの大きさなスライムが現れていた。


 ソフィアの選択した“魔獣喜劇弾”バレットサーカスは、装弾数六発のリボルバー型異能力オルタビリティ。一発ずつにモンスターが入っていて、発射するとそのモンスターを召喚することができる。


 ただし、やられてしまえばその試合中の再装填は不可能かつ、見た目騙しでそこまで強くはない。


 鷹一をあぶり出すためだけの目的で選択した異能力である。


 ソフィアは、そのスライムの弾力で着地。

 しかし、鷹一のほうが、落ちた時の位置関係上、コンマ数秒程度遅い。

 死を覚悟したアドレナリンが脳を加速させ、そのコンマ数秒で、ソフィアを抱き寄せるようにし、鷹一もスライムの上に着地した。


 まさか――!?


 ソフィアの表情が、驚愕に染まった。

 そもそも鷹一は、自分で着地手段を用意する気などなかったのだ。

 ソフィアの着地に便乗し、彼女を抱きかかえたままスライムの弾性を利用して再び飛び上がった。


 そして、バックドロップの要領で、背後にソフィアを叩きつける。


 ゴシャッ……!


 と、鈍い音がして、鷹一はすぐさま起き上がり、リードストレートの構えを取った。

 顔面から地面に落とされたソフィアは、そのまま仰向けに倒れている。


 立ち上がるな、と祈ることすら、鷹一はしない。

 ドロップを叩き込んだ鷹一だからこそ、衝撃を殺されたことを全身で感じ取ったからだ。


「……さすがに、あの土壇場で完全なホールドはできなかったからな。しっかり受け身取ってんだろ?」


 そう。

 鷹一はあくまで打撃系ストライカーだ。

 投げ技グラップルは得意ではない。

 あの一瞬では、腕を巻き込んで抱き込むことまではできなかった。

 ソフィアは地面に叩きつけられる瞬間、腕を地面について、衝撃を肘で吸収していたのだ。

 と言っても、それでも吸収しきれず、顔面を強打することにはなったが。


 その鼻は歪み、鼻血も出ていた。


 ソフィアはゆっくりと立ち上がり、片方ずつ鼻の穴を押さえて息を勢いよく吹き出す。

 びしゃっ、びしゃっ、二回地面で血が弾け、折れた鼻骨を動かして、ハメ直す。


「さすがレスラー。頑丈だな。だが、心はそうでもねえみたいだな」


 先に異能力オルタビリティを発動させたことを言っているのだろう。

 鷹一の唇が、嘲笑で歪む。


 ソフィアの表情には、先程までの笑みがなかった。

 それは、鷹一の狂気に触れたからだ。


 飛び降りておいて、助かる算段は人任せ。

 先に異能力オルタビリティを発動させないという意地だけでは、あの作戦は建てられない。


 着地の体勢を整える時間を、ロスとして切り捨て。

 ソフィアが命惜しさに異能力オルタビリティを発動させたその時間で組み付く。


 失敗すれば大怪我は免れない。

 そんなこと、並の人間なら考えない。


(……狂ってる。どういう経験があれば、こんなこと思いつく!?)


 ソフィアの精神が乱れる。

 ダメージは肉体よりも、心に現れていた。

 鷹一に対し、恐れを抱いてしまったのだ。


 よほど勝負にかける気持ちがあるのだろう、と推測した。

 命を投げ出してもいい。そう心の底から思えるそれだけの理由があるのだろう、と。


「さあ、続けようぜ。俺とお前、どっちが強いかを決める戦いをよぉ……」


 鷹一は、ギアを操作し“正義の十字クロス・ロンギヌス”を首に巻き、拳を保護した。

 

 だが、負けたくない理由は、ソフィアにもある。

 さっきは譲ったが、ここからは譲らない。


 その決意を新たに、ソフィアも構えた。

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