第10話 リンデンの魔道具店(1)

 邸宅の厨房は日の出とともに動き出す。


 それに伴い他の使用人たちもぞろぞろと起きてきて、身支度をして朝食をとった後、それぞれの任につく。


 本日は昨日打ち合わせた通り、シャルルリエ通りの裏にある多国籍機関の銀行やその近くの魔道具屋に向かう。邸内の人間には知られたくないということなので、ロージェ自ら御者の役も果たす。


 十時前にロージェは昨日と同じクーペ型の二人乗りの馬車を借り、本館前につけ雇い主を待った。


 行く予定の場所までの経路を地図で確認している時、彼女が本館から出てきた。治安が少々悪い地域でもあるので、上質のドレスを着用しているのが見えないよう地味なマントを身に着ける方が好ましいという、ロージェの忠告に従った格好をしていた。


「おはようございます、それは?」


 彼の持っている地図が光って見えることをメイは目ざとく見つけた。


「今日行くところの道筋ですよ。ここが魔道具屋、そしてここが銀行」


 ロージェが目的地を指し示す。


 メイはそれを覗き込んだ。


 目的地とそこまでの経路が光っているのを見てGPSを連想した。

 車に比べると原始的な移動手段となる馬車。

 それにそんな最先端なお助けグッズがあるとは!


「すごい!」

「特に珍しいものじゃないです。観光客に売られている魔法地図を念のために購入していただけだし」

「魔法でこんな地図が作れて普通に売っているの?」

「観光客のために街の雑貨屋や観光案内所なんかで売っていますからね。僕はこの近辺をある程度知っているから、目的地だけ示してくれる『並』で十分だったけど」

「並? ならばさらに高性能の地図もあるってことかな?」


 メイの好奇心はとどまるところを知らない。


「ええっと……、それより、とりあえず出発しましょう。入り口をふさぎ続けるのもまずいし……。」

 ロージェはメイに乗車を促した。

「地図なら今日行く魔道具屋にもたぶん置いていますよ。」


 ロージェが手を差し出し、メイの乗車の手助けをした。


 昨日の外出でメイは思い知ったが馬車の乗降がかなり怖い。


 バスや電車のステップと違って折り畳み式の梯子のような階段。ヒールの高い靴と長いスカートを着用していると、滑ったり、足をひねったり、スカートの裾を踏んずけたりしそうで、それで転落したらとんでもないことになる。


 なぜ似たような衣装と交通手段を持つ昔のヨーロッパで、馬車の乗り降りの際、殿方が婦人に手を貸すのか、メイはわかったような気がした。大げさだが場合によっては、命に直結するからだったのだな、と、身にしみてわかった。


 慣れていないからと言って照れている場合ではない。


 素直にエスコートに従いメイが乗りこむと馬車は走行した。


 目的地の魔道具屋や銀行は北通りの二丁目の裏手にあるので、今日は南通りの一丁目まで進んでそこから橋を渡り、北通りを少しひき返して馬車は止まった。

 太陽はすでに高いところにあり、馬車から降りたメイはまぶしさで目がくらみそうになった。七月初めの夏真っ盛りの暑さは、マントを脱いで歩きたいほどの気候だが、我慢して歩いた。


 コランダム装飾専門店が角にある二丁目と三丁目の間の路地に入ると道は狭くなり、太陽は建物の陰に隠れ、メイは少しだけ暑さから逃れることができた。


 二つほど建物を通り過ぎた先に、

『リンデンの魔道具店』

 と、いう看板のショーウインドーもなく、中からは様子がうかがい知れない店の小さな入り口があった。


「ここは、友人の魔導士と何回か訪れたことがある店なんだ」

 入り口の前でロージェは説明した。

「魔導士の友人がいるの、どんな人?」

「えっ?」

「やっぱりいつもローブみたいな衣装を身に着けているの? 私たちの世界の魔導士とか魔法使いって言えばそんな感じなのよ。物語の中の話だけどね」


 ロージェは話を聞きながら思った。


 この娘は「魔道」とか「魔法」とかいう事柄に対してやたら食いつきがいい。

 聖女候補がそれでいいのか?

 もっとも魔道具店に案内しようとしている俺が言うことじゃないか。


 ロージェは店の扉を開けた。


 店の中は外から見て想像するよりは広々として、天井からつるされているものや、トレーに並べられているものなど、様々な道具が陳列されている。

 窓一つもない建物でありながら、商品がはっきり見えるだけの明るさはあった。


「おや、ずいぶんと若い方々がいらっしゃったようだ」

 カウンター越しに座っていた老人が、低いが店中に良く響く声で言った。

「こんにちは」

 ロージェが挨拶をした。そして、

「リンデン・アボットさん、この店の店主だ」

 メイに説明した。


 生まれながらなのか、日焼けなのかわからぬが褐色の肌をしたリンデンという名の主人は、やわらかく微笑んでメイに会釈した。

 髪の色は抜けすでに白髪だったが、明るい青い目は力強い光をたたえていた。


「お嬢さん、布地は上質だが、防水と防火の魔法加工しかなされていないマントじゃ暑かろう。店内は賊を防止する仕組みがしっかり施されて安全じゃから、脱いでもさしつかえないよ。」


「えっ、これは魔法加工がされているのですか?」

 メイは驚いた。まったく知らなかった。

「ああ、魔導士としての修行を続けると、物や人や空間にどのような魔法が施されているのかも見えるようになる。春と秋ならその程度の加工でいいが、夏や冬には少しきついかな。」

「じゃあ、どんなのがいいのですか?」

 メイはマントを脱ぎながら尋ねた。

「ちょっと待ってな。こっちにおいで。」

 店主は店の一角の衣装がいくつかかかっているところにメイを手招きした。


 メイがそれに応じて近寄った。


「そう、これなんか防水、防火の他に温度調節機能がついているから、マントの中の温度はいつも一定じゃ。夏は涼しく、冬は暖かい。ついでに言うと防しわと布地の劣化を遅らせる加工もされておる。」

 店主はそう言って藍鼠色のマントを取り出して見せた。

「へえ。」

 メイの身体にぴったりの大きさのマントを店主は羽織らせてやった。

「本当だ、暑くない。いいなあ。部屋にはこのマントしかなかったから、暑いかもって思いつつ着てきたの。これと取り換えてくれないかな?」

 メイは自分が脱いだ紫紺のマントを指して言った。

「それを下取りさせてくれればお値引きもできるが……。いいのかい、かなりの上物なのに?」


「う~ん……、値引きされたらどのくらいのお値段なのかな? それに、あるかどうかわからないけど、欲しい物があって来たからね」

 メイが思案する。するとロージェが、

「あの、こういう収納用の腕輪を探しに来たんですけど。彼女が使えそうなやつ、ありますか?」

 と、店主に打診した。

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